東京ドーピングオリンピック

戯男

第1話

「東京ドーピングオリンピック三日目。今日は男子陸上百メートル決勝の模様をお届けします。実況はアナウンサーの銃田。解説はドーピングオリンピックワルシャワ大会メダリストの罌粟岡さんにおいでいただいています」

「罌粟岡です」

「ドーピングオリンピックは今年で三十回。ステロイドでも覚醒剤でも洗脳でも何でもあり、『強いもんが強い』のスローガンのもと、犬神製薬創始者・犬神佐兵衛の呼びかけによって始まったド五輪ですが、その記念すべき三十回大会を第一回開催地である我が国で開催できたことについて、罌粟岡さん。どう思われますか」

「そうですね。今でも批判的な意見はあることにはありますが、この大会が、特に医薬品業界に大きな躍進をもたらしたことは事実です。それに、一般のオリンピックの視聴率が年々低下している一方、ド五輪中継の視聴率は回を追うごとに増加しています。特に一昨年のノリリスク大会では、二百五十八回転をきめたフィギュアのギニュー選手をはじめ多くの記録が出たこともあって、瞬間最高視聴率が八十五%という……」

「あっと。各選手スタート位置につき始めました。四レーンはドイツのランツェン選手です。昨日の準決勝では六秒四三という世界新で決勝進出を決めたランツェンですが、罌粟岡さん。これはこれまでの記録であった七秒八一を一秒以上も上回る数字なわけですが、このあたりについてどう思われますか」

「そうですね。百メートル六秒となると、これは時速にしてだいたい五十七キロということになりますから、実に大変な速度です。ランツェン選手は近年ヘロインによる大規模な洗脳と肉体改造を行ったそうで、これまでオピオイド系は競技ドーピングにあまり向いていないとされてきたのですが、ですから昨日の世界新は大きな……」

「続いて六レーンにはコロンビアのランテス選手。今年の三月にオーバードーズをやって意識不明となり、一時は命も危ぶまれましたが、奇跡の復活を遂げ、準決勝ではランツェンに次ぐ六秒九の記録をたたき出しております。罌粟岡さん。ランツェンの記録に隠れる形にはなりましたが、ランテス選手も実はかつての世界記録を上回っていたんですね?」

「そうですね。近年の技術革新には目を見張るものがあります。オリンピックの記録が一年後のインターハイで破られるなんてこともざらで、まあそれだけ人類が肉体と技術の限界を更新し続けているということなのですが、やはりオーバードーズはいけません。しかもランテスは休暇中に行ったメルフェスタミン注射によって意識不明に陥ったということですが、これは競技とは全く関係のない薬物摂取で、しかも昨今若年層での濫用が問題視されているメルフェスタミンということもあって国際社会からは批判を……」

「さあ。そしていよいよお待ちかね、日本の麻生です。罌粟岡さん。やはり我々としては麻生に金を取ってもらいたいというところではありますが、どうでしょう。可能性はありそうですか」

「そうですね。見た感じではかつてないほどに仕上がっているようですが、ランツェンやランテスに比べると、やや見劣りすると言わざるを得ません。日本はド五輪発祥の地であるにもかかわらず、犬神製薬以外ではドーピング用薬の開発着手に二の足を踏んだ企業が多く、その分国際的に遅れをとったところがあります。麻生は犬神の所属ですから本邦では最新の薬物投与を行っているはずですが、やはり業界全体でのしのぎの削り合いというのが技術の底上げをごごごごごががががががげげげげげげげげ」

「どうされましたか」

「失礼しました。発作みたいなものです。現役時代の薬物投与の後遺症で小脳が十%ばかし萎縮しているもので。気にしないで下さい」

「わかりました」

「ですからそうですね。犬神製薬は最近新薬の開発に成功したという噂がありまして、それが本当かどうか、それにどれほどの効き目があるのかによって、麻生の金メダルもまあ期待できないでもない……というところではないでしょうか」

「それは楽しみですね。はい。全選手スタート位置につきました。ランツェンは四レーン。麻生は七レーンです」

「綺麗にスタートを決めて欲しいところです。前々回大会ではフライングした選手がそれに気付かずゴールまで走ってさらにそのまま競技場の壁を破って道路に走り出てダンプに轢かれて死ぬという痛ましい事故が……」

「ちょっとスタートですのでお静かに」

「はい」

「さあ……人類最速……お薬の力を借りて……人類はどこまで早くなれるのか……現時点での人類最速が決まります……」

「ごげ……」

「スタートしました!」

「ごげげ」

「……? あれ?」

「ごげ?」

「……あっと。もうゴールしております。一着は麻生。時計は……一秒〇八」

「一秒ですか」

「ですね。あ。二着以下の選手が今次々にゴールしていきます。二着はドイツのランツェン。三着にコロンビアのランテスという、ここはまあ予想通りの並びではありますが、罌粟岡さん。麻生は一着でしたね」

「みたいですね」

「しかも圧倒的、まさに圧倒的というしかない記録ですが」

「一秒ですからね。時速三百六十キロです。……ええ? そんなのありえるんですか?」

「でも時計はそうなっていますね。これはちょっと、今後もなかなか破られそうにない記録ですが。いやはや。ついに一秒が出ましたか。だいぶ一足飛びですが、罌粟岡さん。これはあれでしょうか。さっきおっしゃっていた、犬神製薬の新薬の効き目ということなのでしょうか」

「いやでもいくら何でもそんな薬は……」

「あっと。グラウンドでは二位以下の選手が麻生に詰め寄っています。ふざけるなということでしょうか。まあそう言いたくなる気持ちもわからんでもありません。あ、今スロー映像が出ました。スタート時の。これは……麻生の両隣の選手が、麻生の風圧でよろめいているように見えます。これは妨害になるのでしょうか」

「いや……待てよ。まさか……」

「あっ。ランツェンが麻生の胸のあたりを突き飛ばしました。これはいけません。いくらドーピング五輪だからって最低限のスポーツマンシップは……」

「……まさかあれを実用化させたのか?」

「あ! 麻生が! 麻生がランツェンの顔面を張り飛ばしました! ああ! ランツェンの首がもげてグラウンドに転がります!」

「間違いない! ぐげげ!」

「なんですか罌粟岡さん」

「『ヤマトダマシヒ』です!」

「なんですかそれは」

「半ば伝説的に存在が言い伝えられてきたアルカロイドです。どうやら稲に含まれているらしいということなのですが、今まで単離に成功した例はありませんでした」

「聞いたことありませんね」

「あの麻生を見て下さい。側頭から頭頂部にかけて脱毛の症状が見られるでしょう。月代様脱毛はヤマトダマシヒの副作用なんです」

「それはどんな薬なのですか」

「基本的な効き目は一般的な筋肉増強剤と似たようなものなのですが、その度合が桁外れなのです。伝説では筋力が潜在能力のおよそ七倍以上にまで増強され、痛覚が鈍麻し、判断能力が低下し、後先考えず目の前のことに全ての能力をつぎ込むようになると言われています」

「あっと。麻生がランテスの右腕を引き抜きました。ランテス逃げる。しかし麻生逃がしません。追いかけていって後ろから跳び蹴り。ランテスの胴体に穴が空く!」

「おそらく今の麻生はその場にいる全員を殺すことに集中しているのでしょうね。ヤマトダマシヒによる異様な集中状態を俗に『玉砕モード』と呼ぶのですが、麻生はまさにその状態にあるのでしょう」

「ああ。麻生が次々に選手を虐殺していきます。これはむごい。抵抗を図ったアメリカのスティミュラーが、麻生によって空高くぶん投げられました。あ。高い。ああ。落ちる。あー。あれは死にましたね。首からいきました」

「ぐごごごげげ」

「罌粟岡さん」

「なんですか」

「その、ヤマトダマシヒですか。いくらかの改良が必要だとはいえ、こんなにも劇的な効き目があるわけですから、これはおそらく今後のドーピング界に広く普及していくことになりそうですね」

「いや。それはどうでしょう」

「どういうことですか」

「ヤマトダマシヒの薬効は確かに強力ですが、そのぶん強烈な副作用があるのです」

「はあ。ハゲるくらい別に構わないようにも思いますが」

「月代様脱毛の他にもあるのです。そろそろじゃないですかね」

「あ。麻生が唐突にその場に座り込みました。薬が切れたんですかね」

「あれがもう一つの副作用です。一度玉砕モードに入ると、それからおよそ五分後に、あのような行動を取り始めるのです。俗に『ハラキリ様行動』と呼ばれているものですね」

「ハラキリってあのハラキリですか」

「そのハラキリですね」

「でも麻生は手に何も持っていませんが」

「道具がなくても行動が止むことはありません。おそらく素手でなんとかするでしょう」

「あ。麻生がユニフォームの前を引き裂きました」

「始まりましたね」

「ということは罌粟岡さん。これから麻生は自分の手だけで腹部を」

「そうなりますね」

「グロいですね」

「グロいでしょうね」

「あ。麻生が右手を手刀のように。左手で腹部をさすりながら。あ。右手が麻生の下腹部に」


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