潮香る島の話

北と南。西と東。点対称に存在するその2国はそれなりに交流があった。


「おー」

ぬかるんだ土を踏んで、男は感嘆の声をあげた。直後にもうひとり、その隣…少し後ろに降り立った。

「貴方は本当に翼が出ないんだな」

「ん?あー」

適当に頷いて振り返る。

「本当にいいのか?思ってたより小さくねーぞ」

「いいとも。貴方は信頼出来る人だ。そちらこそいいのか?国は」

「問題ねー。おれさまは隠居の身だ」


ホド域の外れ、潮香るニゲル島。コクマ様式の文化が伝わるこの島には、コクマの聖霊が暮らしていた時期があると言われている。特産の、独特の香りを持つ蒸留酒も彼の考案だと伝わっている。


「ところで、その格好では暑くないか」

「かなりあちー」

北国で標高も高い地からそのままの格好でやって来た。ホドのターミナルに着いた時から暑いとは感じていたが、着替えなど用意していなかった。

「何処かで調達しよう。貴方のサイズが手に入るといいんだが…」

ここらの人間は皆小柄だ。ミカでかなり大きい方だが、ラツィーはミカより更に大きい。

「あー、まあ、それは後でいい。それより、島内見てきていーか?」

「あぁ。言った通り、この島に今統治者は居ない。この島内において貴方には領主と同等の権利を与える。好きに過ごしてくれ」

「働けってこったろ。りょーかいだ」


決して小さくはないその島は、岩と泥、なだらかな丘で出来ている。島民は農業や漁業を生業にしているようで、畜産も行われている。幾つもある湖では娯楽としての釣りが盛んで、年に一度島全体で釣り大会が開かれる。一年を通して温暖で自然豊かな島だ。


「おじさん、大きいね!」

こどもたちは物怖じせず見慣れぬ大男に話し掛ける。

「ミカさまも大きいけど、それ以上だ!」

「ねぇねぇ肩車して!」

「ちょっとダメよ!申し訳ありません!お許しを…」

慌てて出てきた保護者らしき大人が肩車をせがんだ女の子をラツィーから引き離そうとする。

「別に構わねー。ほら」

ひょいっと女の子を持ち上げ、肩に乗せてみせた。

「わあ!すごい!景色が違うわ!」

「ぼくも!」

「ぼくも!」

「んー。同時は流石に無理だな」

大きな杖で地を突くと、こどもたちはフワリと浮き上がった。

「わぁ!」

「わ!わ!?」

キャッキャと喜ぶこどもたちに保護者は顔色を無くしている。

「ほら、終いだ」

ゆっくりと地に下ろすと、こどもたちはすぐにラツィーの足元にまとわりついた。

「もっと!」

「もっかい!」

「また今度な」

「約束よ!」

ポンポンポンとこどもたちの頭に手を置いて背を向ける。少し歩いてから、ミカはラツィーに話し掛けた。

「こどもが好きなのか?」

「好きも嫌いもねーが、ちょっと懐かしかったな。あんた、こどもは?」

「もうじき生まれる」

「そりゃいい」

きっと父に…いや、両親に似て丈夫な子が生まれるだろう。

「それにしても、凄いな。私は自分を浮かすだけでも精一杯だが、他人まで浮かせられるのか」

ラツィーは術式を説明しようとして──思い直した。

「まーそれは効率だな。学べば出来る」

以前に何かを説明しようとした時、「悪いが私は頭がよくない。簡単簡潔に頼む」と言われたのを思い出した。

「そうなのか。つくづく、貴方が敵にならなくて良かった」

「こっちの台詞だ」

忘れもしない初対面時。ライナーの一撃を正面から、しかも防具もなしに受けて立っていたこの男はラツィーの仲間内では「バケモノ」とあだ名されている。

「ところでこの、各地にある泥。これは燃料か」

「あぁ、よく解ったな。肥料にもなる。あとは…女性たちが肌に塗ったりしているらしい」

泥沼は島のあちこちでみられた。今もラツィーの靴と裾を汚している。

「なるほどな」



村々を回り、人々の生活の悩みを改善し、蒸留酒の作り方を教え、そして学校を建てた。数年経たず新しい領主は島民に好意的に受け入れられた。


「学校か」

塔には魔術師が集まっている。皆放っておいても自主的に何かを学ぼうとする人種だ。各々で師弟関係を組み専門知識の伝達は行われているが、その前段階、広く基礎を教え選択肢を広げる為の教育機関というのも、必要かも知れない。

「塔にも作るか」

「塔…というのは、故郷でしたっけ」

お茶を運んできた人物が呟きに応える。真っ白な肌と髪を持つ華奢な女性で、名はヴーリン・ハスノック。どうしてもラツィーの下で働きたいというので使用人として雇った島民だ。

「故郷にお戻りになる際は、必ずヴーリンをお連れ下さいね!」

あわよくば慈悲も頂ければと!と、言葉に出さずに身をくねらせる。過去に二度ほど色を仕掛けて失敗し、「次やったら追い出す」と言われている。

「テメーにゃこっちの学校を任せてーんだけどなァ」

「えっ」

期待に応えたい気持ちと一緒に居たい欲とでヴーリンがフリーズを起こしている内に、出されたお茶を飲み干して立ち上がった。

「じゃ。蒸留所見てくるわ」

「あっ!行ってらっしゃいませ!」

逃げられた…とスカートを握り締め、主が出て行った扉を見つめる。数秒後、溜め息を吐いて屋内の清掃の準備に取り掛かり始めた。


ヴーリンは頭の回転はイマイチだが勉強はよく出来た。此方の学校を任せたいのは方便だけではない。地頭も本当は悪くないのだろうが、欲に忠実で心が強い事も手伝って、細かい計算を行わない。二十代前半と言っていたが、ラツィーから見れば我が子ライナーより10近くも年下のこどもだ。孫をみるような気持ちで接している。


「よー、調子はどーだ?」

「! ラツィーさん!丁度3年ものの試飲をしようかと思っていた頃合いで」

「おー。いーな」

島で育てた大麦から作った蒸留酒を樽に詰め、熟成させる。樽はホド本土で醸造酒造りに使用されていた物だったり色々な木材で作られた物を使用してみている。試行錯誤の最中だ。

「もうちょい置いといた方がいいな」「この樽はあんまり…」などと、各々に試飲の感想を交換しあっている。

「うちではこの泥を炊いた香りが好評だが、ミリアの所では不評らしくてな。なるべく使わないようにすると言っていた」

「あー。好き嫌い分かれるのは仕方ないわね。独特だもの」

「カールの所は中古樽を大量に仕入れてたぞ」

「ワイン樽はどうなんだ?俺んトコには合わねぇなぁ」

同じことを教わって作り始めた蒸留酒も、蒸留所によってそれぞれ特色が出て来始めている。

何処も将来が楽しみだ。それぞれに少しずつアドバイスをして、ラツィーは蒸留所の視察を終えた。


「おやラツィーじゃないか。どうしたんだい」

「特に用件はねー。様子見に来た」

突然訪れてもミカは喜んで応対してくれる。奥に声を掛けると、小さなこどもがふたり、急いで駆け出して来た。

「ラツィー!ラツィー遊んで!」

「あそんで!」

纏わり付くこどもたちをいなし、しゃがみこむ。

「先ずは挨拶だ。こんにちわ」

「「こんにちわ!!」」

「おーし」

其々の頭を撫で元気な挨拶を褒め称える。

そのまま暫く相手をしてから、夕方頃、漸くラツィーは腰を下ろした。

「こどもたちと遊んでくれてありがとう。疲れたろう」

「相変わらず元気で結構だ。アンタはどーだ」

「私も変わりないよ」

4歳の双子は夕飯前に一寝入りし始め、今は静かだ。

「君は本当にこどもに好かれるな。そして扱いが上手い」

こどもたちの遊び相手は普段はオルデモイデが担っているらしい。こどもたちの無遠慮な遊んでパワーは大玄獣をも疲れさせるものだが、ラツィーは巧く回していた。

「育てるとなりゃご存じの通りだがな」

「ライナーくんは良い子じゃないか」

「そーか。そりゃどーも」

奔放に育ち過ぎかとも思うが、良い子なのは違いない。

「もうこどもは作らないのか?」

「は?その気はねーな」

もう40も後半だ。魚の寿命は短い。今子を成しても成人まで見届けられるか怪しい。同じ魚として解っているだろうに、ミカは笑っている。

「ヴーリンの猛攻を受けてるらしいじゃないか」

「あー。セクハラが横行してる」

ウンザリと肩を落とす様子にミカは不思議そうに首を傾げた。

「嫌ならクビにしないのか?」

「まーなんだかんだ気は利くからな。使い勝手は悪くねー」

それにもう長い。今更だ。

「なるほど。隠し子を作るのならうちで援助するぞ」

「いらねー」

冗談なのかズレた好意なのか判りかねる発言に呆れ返る。ミカは特に気にせず話を続けた。

「島の様子はどうだ?問題は聞こえてこないが」

どころか、良い評判ばかりだ。

「まー問題はねーな。順調だ」

学校も蒸留所も、生産も福祉も整ってきている。お陰で本土から島への移住を希望する声まで出てきている。

「私も頑張らなくては」

離れ小島に国民を持っていかれては堪らない。

「そーしてくれ。あの島は今くらいの人口が丁度良い。それで、そろそろ後任は用意出来そーか?」

この島に来たのは息抜きだ。隠居後のスローライフ。偶々、丁度領主が居ないからと管理も任された。

「貴方の後では皆顔を顰める。貴方の下で学びたい、という若者なら数人居るが」

「んーじゃ纏めて寄越してくれ。そっから選ぶ」


そうして数人に領地経営を伝授した後、選ばれた後任はヴーリンだった。ホドにおける初の女性領主となったが、領民からの支持は高かったと記録されている。

退任後のコクマの聖霊に関しては信用に足る記録は残されていない。故郷に帰ったとも、そのまま島で老後を過ごしたとも言われている。

因みに。現コクマ国宰相の家系図にはヴーリンの名が記載されているとかいないとか。

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