第7話 踏切
葉月と付き合いはじめたとはいえ、恋人らしいことをしているかと言われれば僕は首を横に振る。
その原因は間違いなく僕の女性恐怖症にある。
老若関係なく、一定範囲内に女性が近づいて来ると発作が起こるのだ。
せっかく葉月が立ち直るために寄り添ってくれはするものの、未だに手すら繋げない状態だ。
週末にデートをすると言っても、ちょっとしたドライブをするとか、一緒にランチに行くとかその程度。
女性恐怖症の症状が少しずつ改善してくればいいなと思ってはいたけれど、全くその兆候は見えない。
車の運転席と助手席の間くらいの距離感。これが僕と葉月のギリギリラインだ。
これ以上はまだ近づくことができない。
こんな状態の僕をなんとかしようだなんて、葉月は相当に骨が折れることをやっていると思う。
普通ならなんの兆しも見つからなければ諦めてしまいそうなもの。それでも葉月はいつもと変わらず接してくれている。
葉月は素敵な人だ。
でも何が彼女をそこまで動かすのだろう。
もちろん葉月がものすごく親切だというのもある。昔からやんちゃではあったけど、悪事をはたらくことはなく、むしろみんなが楽しくなるように立ち振る舞うタイプだった。根が優しいのは間違いない。
しかしそれだけでは気持ちが切れる。
親切心だけでは絶対に続かないというのは、僕自身が一番理解しているから。
元妻と別れる前、辛くて心が何度も折れそうになった。
なんとか正気を保てていたのは、血は繋がってなくても子供がいたからだと思う。親心というものは、それなりに力強い。
葉月の場合はどうだろうか。もちろん子供なんていないし、何が僕ら2人を繋ぎ止めるような強力な絆もない。
あれでもないこれでもないと要素をひとつずつ削っていくと、あらわれてくるのは『お金』の2文字。
僕は士業を営む身なので、まあまあ金銭的には恵まれていると言ってもいいだろう。
葉月がお金目当てでチョロそうな男と付き合いはじめたという仮定を肯定したくはないが、悲しいことに考えれば考えるほどその結論に落ち着きそうになってしまう。
彼女に限ってそんなことはあり得ないと思いたいが、万が一、一太郎は私にずっと騙されているんだよと葉月が言ってきたとしても、ショックを受けるどころかむしろ納得してしまいそうなそんな状態だ。
今の僕に、彼女を引きつける魅力なんてものはない。
「――ねえちょっと、とうしたの? ずーっと遠くをみてボーッとしてるけど」
ふと我に返ると、テーブルを挟んで向かい側には葉月が座っていた。
すっかり物思いにふけていたけど、実はデートの真っ最中だ。
葉月がずっと気になっていたというカフェに来て、テラス席でのんびりとお茶をしている。
町はずれの県道沿いにあるカフェで、周りは田んぼと畑と羊やヤギがいる飼育スペースがある程度。
地元の第三セクター鉄道の線路と交わる踏切も近くにあるが、いかんせん2時間に1本という頻度のスカスカダイヤのおかげてびっくりするほど静かだ。
代々木上原あたりの踏切の働きっぷりをこの踏切たちが見たら、おそらく労働環境の違いに涙するはず。
長々としてしまったが、そんなことはどうでもいい。目の前の葉月の質問に答えなければ。
「ああ、いや、なんでもない。天気が良くて気持ちいいから、ついついボーッとしちゃって」
「そこは嘘でも『目の前の素敵な人に見惚れてました』って言って欲しかったなー」
「ご、ごめん、そこまで気が利かなくて」
葉月はちょっと意地悪そうに笑う。本気でそんなことは思っていないのは明らかだけど、真面目すぎる僕は自分の機転の利かなさが嫌いだ。
「うそうそ、一太郎がそんなこと言い始めたら逆に怪しいって」
「そうかなあ……?」
「ちゃんと取り繕わずに正直に言えるところ、私は凄くいいと思うよ」
不意に褒められてしまった僕は、表情筋をどう動かしていいのかわからなくなってしまった。
シンプルに褒められた嬉しさと、自分の思っていたことを見透かされていたような恥ずかしさが入り交じる。
「……葉月は、そんな感じで取り繕ったりお世辞を言ったりするの?」
「おっ、一太郎は面白いことを聞いてくるね。気になるの?」
「そりゃあ、まあ、気になる」
葉月はフフッと笑ってテーブルの上にあるフルーツティーのストローに口をつける。
そろそろりんごの収穫時期ということもあって、地元産のりんごを使ったアップルティーがこのお店の今日のオススメらしい。
「相手によるかな。正直ベースで話す人もいれば、おべっか使う人もいる」
「……そうか、やっぱりそうだよね」
考えてみたら当たり前のこと。ある程度の大人であれば、相手によって対応を変えることぐらい普通だ。
何も特殊なことではない。
「でも一太郎にはそんなことしないよ? だって自分を取り繕ってまでして恋人と付き合うの、絶対にしんどいじゃん」
「そういうものなのかな……。僕にはちょっとピンと来ないや」
「まあ、あんな酷い女に捕まったんだもんねー、そういう疑心暗鬼っぽくもなるよね」
葉月はもう一度アップルティーのストローに口をつける。
最近流行りの紙ストローには、ちょっとだけ葉月の口紅がついて紅くなっていた。
「女性恐怖症を克服するのもそうだけど、お互いに取り繕わなくても大丈夫な関係を少しずつ作っていこうよ。腹を割って話そうって感じで」
「でも、……時間、かけちゃうかもしれない」
「そんなのわかってるって。簡単に治るものじゃないのは承知の上だし。……あっ、それとも何? 時間がかかりすぎて私がお婆ちゃんになっちゃうよーとかそんな話?」
「ち、違う違う。どうして葉月はそんなに僕に優しいのかなって」
僕がやっとのことで絞り出した質問に、彼女は何だそんなことがと鼻で笑う。
「それはね――」
葉月が答えを言おうとした瞬間、カフェの隣にある羊やヤギの飼育スペースから『メェー』という鳴き声が聞こえてきた。
まるで狙いすましたかのように素晴らしいタイミング。僕と葉月と羊がバンドを組んていたら、かなりイカしたグルーヴを生んていたかも。
「羊……、ジンギスカン食べたい……」
「えっ?」
葉月は突拍子もなく、羊を眺めてそんなことを言う。
いつの間にか、僕の質問の答えは忘れられてしまっていた。
「私実は羊の肉って食べたことないんだよねー。今度ジンギスカン食べに行こっか」
「ええっ……。生きた羊を見てジンギスカン食べたいとか思う?」
僕は困惑する。
でもそれは間違いなく嘘偽りない今この瞬間の葉月の気持ちだ。
僕の前では一切取り繕わない葉月らしい言い草に、なんだか僕は救われた気になった。
そんな気持ちになれたので、質問の答えはまた今度でいい。
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