第6話 大人《アダルト》

 ◇葉月


 中学の頃の私は、とにかく派手好きでやんちゃだった。

 おしゃれのために校則を破るなんていうのは当たり前。


 髪だって言い訳ができないぐらい明るく染めていたし、メイクにもネイルにも、これが人生のすべてなんじゃないかと思えるぐらいに没頭していたと思う。


 恋愛だってそう。色々な人と付き合っていたから、周りから軽い女だと思われていただろう。

 今思えばバカだなあなんて思うこともたくさんある。


 クラスの中では常にカースト上位。当時はそんな言葉はなかったけど、いまでいう『陽キャラ』というやつだ。

 田舎の小さい学校だったけど、常に自分たちが中心にイベントが発生していて、楽しい学生生活だった。


 ひと学年で2クラスしかない小さな学校で、高橋一太郎とは3年生になって初めて同じクラスになった。


 もちろん1年の頃からその存在は知っていた。ちょっと背が高いけど、運動神経はあんまり良くない。

 眼鏡をかけていて、いつも勉強ばっかりしている物静かなやつ。成績はめちゃくちゃ良くて、テストの度に先生に褒められるような優等生だ。


 私が『陽キャラ』なら、一太郎はまごうことなき『陰キャラ』で、今もこれからもお互いに交わることはない。住む世界の違う人間ということで、特に興味なんて持っていなかった。


 どうせ彼は私なんかじゃ到底たどり着けないような凄い大学とかを卒業して、将来は世界的に有名な会社で働いたりするのだろうと、当時の私は思っていた。


 一太郎と初めて話したのは中学3年生の梅雨の時期。半日授業でみんながそそくさと帰る中、彼は教室のなかで一人でせこせこと勉強をしていた。


 一方の私はといえば、早く帰ってみんなと遊ぼうと思ったのに、生徒指導の先生につかまってお説教を受けてしまっていた。


 かばんを取りに教室に入ったとき、不意に彼と目が合った。


「……どうしたの? もうみんな帰ったよ?」


 一太郎は耳につけていたイヤホンを外し、私へ話しかけてきた。

 彼は何かしら音楽を聴きながら勉強をするスタイルらしい。


「知ってる、ただ単にさっきまで柴田先生生徒指導に怒られてただけ」


「そうなんだ。大変だね、柴田先生って話長いし」


 まさか会話になるとは思っていなかった私は驚いた。

 あの真面目な優等生である一太郎が、先生に対して「話が長い」なんて小言っぽく言うのが意外過ぎたのだ。


「へー、一太郎でもそんなこと思うんだ」


 初めて彼の名前を呼んだのはその時だったと思う。


 いきなり下の名前で呼ぶとか馴れ馴れしく思うかもしれないけれど、こういう人数の少ない田舎は苗字のかぶりが非常に多いから、下の名前で呼ばないと区別ができないことが多々ある。


 同じクラスに高橋は一太郎を入れて3人いるし、桜庭だって隣のクラスに2人いる。


 都会の人から見たら変な距離感なんだろうけど、これが私たちの当たり前。


「そりゃあ僕だって長ったらしい話は好きじゃないし、それがお説教だったなら尚更ね」


「でも授業はちゃんと聞いてるじゃん。私、あれこそ長話にしか聞こえないんだけど」


「ちゃんと聞いてるわけじゃないよ。さすがにずっと集中するのは無理だし。だからこうやって復習してる」


 真面目だ。ただでさえ真面目なのに、この会話だけでそれが上塗りされてしまうような感じ。


 でも、ただの真面目じゃない。ちゃんと私と同じように嫌なこと、嫌いなものが存在していて、それを飲み込んだ上で真面目に立ち振る舞っている。そういう風に見えた。


「……勉強楽しい?」


「今のところは」


「じゃあ、これからつまんなくなることもある?」


「多分あると思う。理解できなかったり、躓くことがあればそうなるかも」


 よくわからないまま私は、高橋一太郎というただのガリ勉少年に興味が湧き始めていた。

 大して面白いことなど言っていないはずなのに、なぜかもう少し彼と話してみたいという、そんな気持ちになっていたのだ。


「ねえ、いつも勉強しながら何聴いてるの?」


 私は一太郎の座る席へ向かうと、先程彼が外した片方のイヤホンを手にとって自分の耳につける。


「えっと、それは……」


「なんだろこれ、英語の歌だね。だいぶ音がこもってるけど、古い曲?」


 彼は私のいきなりの行動に少し動揺したのか、慌てた素振りを見せる。イヤホンを片方ずつ共有するなんて、私にとっては当たり前でも一太郎にとっては珍しいことなのかもしれない。


「そ、そう。The Whoっていうイギリスのバンドの曲。この間レコードが手に入ったから、いつでも聴けるようにMDにダビングしたんだ」


「レコード? CDじゃなくて?」


「CDもあるんだけど、やっぱりレコードがいいなって思って。中古で色々と探し回ったんだけど、やっと手に入ったんだ」


「ふーん、よくわかんないけど大変そうだね」


 中学生のくせに、おじさんみたいな趣味をしているなと私は思った。


 友達と遊んだり、恋愛してみたりすることに一太郎は興味がないのだろうか。中古のレコードを漁ることが悪いこととは言わないけれど、それが本当に楽しいのか疑問だらけだ。


「中古のレコード探しなんて、中学生の趣味じゃなくない?」


「別にそんなことないと思うけど。……あっ、ごめん、もしかして僕、言っちゃいけないことを言ったかな?」


 一太郎は何かを思い出したように私へ謝り始めた。

 全く心当たりのない私は、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。


「別に言ってないけど、どうしたの?」


「い、いや、『中古』って言ったら怒るかなって……」


 その瞬間私は、「こいつは真面目なバカだ」と思った。


 多分一太郎は、私が尻軽過ぎるせいで陰で『中古』と呼ばれていることを知っているんだろう。

 確かに『中古』呼ばわりされるのは嫌だけれど、そこまで過敏になってはいない。


「ぷっ、そんなこと気にしてたの? 意外に一太郎って面白いやつだね」


「えっ、あっ、いや、別に気にしてなければ全然いいんだ。むしろごめん……」


「いいよ別に、事実っちゃ事実みたいなもんだし。隠すつもりもないし」


「そ、そうなんだ。やっぱり葉月って大人だね」


 どっちが大人なんだか。と言おうとして思いとどまった。


 色々な人と付き合ってきた事実は別に大人でもなんでもない。

 私自身、軽い女であることに対して後ろめたさがないかと言われれば、完全に否定はできない。


 そんな私をよそに、一太郎はレコードの話の続きをする。

 お店に出向くだけじゃなくて、今はネットでも売り買いしているんだとか。


 ふと、私はまるで自分自身をレコードに重ねるかのように、こんな質問を彼へと投げかけてみる。


「ねえ、中古のレコードって買うとき不安にならない?」


 その質問に対して、一太郎は悩むことなく即答する。


「僕はあまり不安ではないかな。まあ確かに、たまに破損してて聴けないものとか、ひどいときは中身が違うなんてこともあるけど」


「その……、今まで誰が触ってたかわかんない怖さみたいなのもあるよね」


「あー、そう思う人もいるかもね。でもレコードって、手にとった人みんなに愛されて音を奏でてきたわけだし、それが最後に僕のところに来てくれたのなら、とても嬉しいことだと思わない?」


 なんだろうこの感覚は。

 自分のことではない、ただのレコードの話なのに、なぜか私はその言葉に救われた気になっていた。


「……そういう風に考える人もいるんだね」


 その時の私は、なんて顔をしていいかわからず困惑していた。


 一太郎が自分みたいな人を許してくれるような、そんな人であったらいいななんて、この時から私は強く望んでいたのかもしれない。


 そうしてそこから15年後、私はその気持ちを引きずったまま彼と衝撃的な再会を果たすことになる。


 てっきり大物になっているだろうと思っていた彼は、全てを奪われてボロボロになっていた。


 あれほどの人格者がバカを見るようなことを私は許せなかった。だから彼を立て直して、元に戻るまで協力したいなと、そのときに強く思ったのだ。


 あわよくば、誠実で真面目な彼に想われたいなんていう下心みたいなのもある。ズルいと言われればズルい。

 もし彼から好きではないと言われたらすっと身を引こうと思っていた。もう綺麗な身体でもないし、理解がされない可能性も十分にある。正直なところ、望みはうすいかなとも思った。


 でも彼は受け止めてくれた。それだけなのに、私の心は十分に満たされてしまったのだ。

 だから、絶対に彼を幸せにさせよう。そう私は心に決めた。

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