第102話 ふとした瞬間に愛を感じることがある

 さて、実は今回もしば犬の彼のお話なのですが、前の子もちょこっと出てくるので、このようなサブタイにしました。ご了承ください。


 さて、涙が枯れ果ててしまったものなのか、今からおよそ十数年前に東京の病院に入院中、ほぼ毎日のように前の子に会いたくて、会いたくて、涙を流していました。


 家に帰って来た時の、前の子の喜びよう!! まるでアニメーションのような満面の笑顔で、何回も何回も、私が私なのだと確認しに来てくれたものです。


 そんな前の子ですが、大病を経て、お亡くなりになりました。あんなに愛していたのに、涙は不思議と一粒もこぼれませんでした。


 なんならあれ以来、泣いていないかもしれないです。


 ですが、心はいつも雨が降ったように暗く沈み込み、毎朝前の子がいないことを確認しては、つらい気持ちになっていました。いわゆるペットロスだと思います。


 その前の前の子の時の子を亡くした時は、前の子がうんと小さな赤ちゃんの状態で家に来たので、ロスとか言ってられないくらい、目まぐるしく愛しまくっていました。


 さて、現在の彼です。前の子が亡くなっておよそ半年ほどで家に来たのですが、前の子のことをいつまでも引きずってしまっていました。


 いっそ、涙が出てくれたら、それで気持ちを切り替えることもできたのかもしれませんが、不器用な私にそれはできません。


 そして、時を経て、映画『ハチ公物語』を観た時に、久しぶりに泣くことができました。それでもまだ、前の子のことを忘れることができません。


 今の彼を、もっときちんと向き合って愛してあげなければ失礼だと思っても、どういうわけか踏ん切りがつかずにいました。


 ある時、彼が、教えてもいないのに、おやつを上げる時、私の後をついてきて、綺麗にお座りしていることに気づきました。


 前の子はとてもやんちゃでしたので、そんなことはしません。


 でも、今の彼は、必死に私に応えようとしてくれているのが、その時になってようやく気がつくことができたのです。


 そして、以前ならなでられることすら嫌がっていたのに、積極的に私の足元に寝転がり、たくさんなでさせてくれています。


 これは、前の子が自然にやっていたこととまったく同じ姿勢だったことにも気が付き、そうして私はようやく今の彼ときちんと向き合うことができるようになりました。


 私は、神様とか占いとか、そういうのは申し訳ないのですが信じていません。


 でもね、そういう時って、もしかして、前の子の魂が、彼にこうするといいよって教えてくれたのかな? なんて不思議なことを思ってしまうのです。


 だからね、前に飼っていた子のことをどうしても忘れられなくても大丈夫なんです。だって、それだけ深く愛していたのですから。だから、忘れる必要なんてないし、比べる必要もない。


 愛おしい気持ちって、突然気がつくのです。そして、みんなそれぞれを愛していてもいいのです。


 もし、昔飼っていた子たちのことが、どうしても忘れられなくて、新しい子を迎えたいけれど、覚悟がないという場合もあると思います。


 でもね、もし、皆様の中で、ほんの少しでいいから、覚悟ができていたら、少しだけね、明日殺処分されてしまうかもしれない子たちのことを、ちょっぴりでいいから考えてみて欲しいのです。


 みんなを救うことができなくても、それでも、皆様のことを、ずーっと待っていてくれる子は、必ずいるかもしれませんから。


 だから、ほんの少し勇気を出してください。必ず、以前の子と同じ病気や事故などにあうわけではないのです。


 本当は人を愛したいけれど、怖い思いをしたから、なかなか心を開いてくれないかもしれない。


 でも、きっといつか、お互いにわかる瞬間があるんです。


 ああ、愛おしいなぁって。


 ちょっと語ってしまいましたが、環境次第でお互いが幸せになれる可能性を信じてみてください。よろしくお願いします。


 つづく

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