39 お供はたくさんの鳥
ロンバスの肩でホシボクロが叫ぶ。
「ヒャッホー--!!! こんな高いところから地上を眺めた猫なんて、たぶんボクだけだ!」
耳元の大声にロンバスが露骨に嫌な顔をしている。
リーシャと言えば震えながら、それでもしっかりオッキュイネの足に捕まり、そんなリーシャをライナムルが、オッキュイネの足ごとしっかり抱き締めている。
「大丈夫だよ、リーシャ。僕が一緒だ。安心して」
風が起こす音に掻き消されないよう、リーシャの耳元で囁き続けるライナムルにリーシャは微かに頷き続ける。
オッキュイネも気を遣い、飛ぶときは力を抜いてだらりとさせる指にしっかり力を入れ続けている。リーシャには判らないが、いつもよりずっとゆっくり飛んでいるのはそのせいだろう。飛びにくいのだ。
やがてライナムルが囁くのをやめる。ゆっくりと顔を上げ周囲を見渡しているのをリーシャが感じる。
「ねぇ、リーシャ。僕がしっかりリーシャを抱き締めているから、少し景色を見てみないかい? 今ならザルダナ国が一望できる――まずは僕の顔を見るといい」
「え?」
恐る恐るリーシャが顔を上げライナムルを見る。いつも通りの優しい笑顔、穏やかな眼差しがリーシャを見ている。それがゆっくりと
「うわぁ……」
広がる大地、点在する森と湖――後ろの方を見ると遠く王宮が
王宮の後ろ側は空が広がるだけで何も見えない。でも知っている、あそこには高い崖があり、そして下には果てしない森が続いている。進行方向に振り返って見ると、ずぅっと向こうに険しい山が連なり、上の方は真っ白だ。
すぐ近くは比較的平たくて、数軒の家がまとまって見えるのは村、畑に草原、小さく
キラキラ煌めく線は川ね。王都を
「綺麗ね。わたしたちが住んでいるところはこんなに綺麗なところなのね」
リーシャの言葉にライナムルが微笑む。
「少し上も見渡してごらん」
言われたとおり地上から目を離し、自分の周囲をリーシャが眺めた。
「わぁ!」
たくさんの鳥たちがオッキュイネに従って飛んでいる。先導するように前を飛ぶものもいる。みなごく普通に見かける野鳥たちだ。
「今日は姿を消さずに飛んでいるのね」
オッキュイネの翼が上下して、その鳥たちが見え隠れする。それにはニッコリしただけでライナムルは答えない。
「オッキュイネは鳥の王――納得する景色だよね」
と言っただけだった。
ギミビジ公爵館が見えてきた――そう言ってライナムルがさらにしっかりとリーシャを抱き締める。オッキュイネがゆっくりと高度を下げていくのが判る。目指す先に見えるあのお館がそうなのね、森に囲まれているけれど、お館の周りは広い庭だ。光るのは池かしら? もうすぐ着くのね。
あら? なんだかわたし、少しだけ残念がってない? もうちょっとこのまま景色を見ていたい――ねぇ、ライナムル、わたしね、もう高いところが怖くないみたい。
オッキュイネが着地したのはギミビジ公爵館の裏手の森の中の、少し開けた場所だった。
「リーシャ、髪がバサバサ」
とライナムルが笑う。あんなに風に遊ばれたのだ、髪が乱れるのは仕方ない。
「ライナムルだってそうよ。ロンバスだって――」
「人間は面倒だねぇ」
とケラケラ笑う。猫の毛は全く影響を受けていないようだ。それでもホシボクロは地面に座り込むと毛繕いを始め、
「身だしなみさ」
と舌を出しながら言った。
ライナムルはオッキュイネに
リーシャの髪を結い始めたライナムルの髪を、革袋から飛び出した紐が編み込んでいく。紐が袋から出てくるのを目の端にとらえていたリーシャ、切ない気持ちになるけれど、なにも言い出せずにいた。ライナムルの呪いは解けていない……ロンバスもホシボクロも思いは同じなのだろう。紐の動きに気が付いていないはずはないのに、誰も何も言わなかった。
髪を結い終わると革袋から出した装飾品をライナムルが付けてくれた。
「うん、素敵だ、よく似合ってる」
とライナムルが言えば
「何にも付けなくって充分なのに、なんで人間はそんな面倒なことするんだろうね。邪魔なだけなのに」
リーシャを見上げてホシボクロが笑う。
「人間は猫じゃないからですよ」
と皮肉ったのはロンバスだ。
自分の姿が気になるリーシャだが、あいにく鏡は持ってこなかったとライナムルが言う。割れるのを心配したのだろう。ライナムルの『素敵だ』という言葉を信じるほかない。
参りましょうとロンバスに促され森を行くと小さな池の
「リーシャはここで待っていて。オッキュイネ、ホシボクロ、頼むよ」
えっ? とリーシャがライナムルに訴える。
「わたし、歩けるわ。一緒に行きたい」
「クリセントにはまた会える。行きはよくても帰りはどうだろう? 僕に
すると小さな声でキュルッと鳴いてオッキュイネが寄り添ったのをリーシャが感じる。見えなくてもオッキュイネは暖かく優しい。
「行ってくるからね――いい子にしてるんだよ」
いつもの微笑みをリーシャに向けるとライナムルは、ロンバスと行ってしまった。
ズンと感じたのは、きっとオッキュイネがお腹を地面に付けて座ったからだ。気配のあたりを当てずっぽうに探ったリーシャ、ズポっとオッキュイネの羽毛に手を突っ込んだ。
「あら、ごめんなさい」
キュルルッとオッキュイネの声、
「お手柔らかに、だってさ」
ホシボクロが笑う。
「ボクだっているんだから、そんなに心細そうな顔をするなよ」
「うん、そうよね」
「これでもボク、魔物なんだぜ? 野犬くらいやっつけるぞ」
「ギミビジ公爵のお庭に野犬なんかいるかしら?」
「野犬はいないだろうけど、番犬ならいるかもね」
「ホシボクロ、番犬をやっつけちゃうのは拙くない?」
「そん時はリーシャ、リーシャが使役しちゃえばいいじゃん」
オッキュイネが足を一本リーシャに差し出し、リーシャを引き寄せた。座れという事だと思ってリーシャが腰かけると、ホシボクロがリーシャの膝に乗った。
「今日は
幸せそうにホシボクロが言った。リーシャはなんとなくホシボクロの背中を撫でた。
空は晴れ渡り日差しが
「バンバクヤ侯爵はわたしを養女にしてくれるかしら?」
リーシャの呟きにホシボクロが膝の上で顔の手入れを始める。
「ライナムルはバンバクヤ侯爵がいいみたいだけど、他の貴族ではだめなのかな?」
バンバクヤ侯爵は王妃さまの従弟だ。貴族の中でも上流、わたしみたいな庶民を養女にしてくれるかしら? もっと下流貴族なら何とかなるかもしれないけれど……
するとこれには答えたホシボクロ、
「クリセントには後継ぎがいないんだよ」
と言う。
「後継ぎ?」
「うん、娘とライナムルを結婚させる約束も、ライナムルを入り婿にしてバンバクヤ侯爵を継承させるって約束だったんだ」
「ライナムルは侯爵さまになりたいの?」
「それは違うんじゃないかな? クリセントのために、だとボクは思うよ」
「だとしたら――」
もしリーシャが養女になってから行方不明の奥方と姫ぎみが見つかったら、バンバクヤ侯爵はどうするのだろう?
「リーシャ?」
言葉が止まってしまったリーシャをホシボクロが見あげる。
「ねぇ、リーシャ。なんでリーシャのお母さんが故郷から逃げたか聞いてる?」
「母から、ってこと? 何も聞いてないのよ。母もわたしも
「ふぅ~ん」
膝の上でホシボクロがリーシャを見上げる。
「ボク、思うんだけどね――」
するとオッキュイネがブルブルと身体を震わせた。
「思うんだけど?」
「ううん、憶測でモノを言うなってオッキュイネが怒ってる」
「あら、ホシボクロの意見も聞いてみたいわ」
リーシャが催促してもホシボクロはそれ以上何も言わなかった。
「ライナムル、向こう岸に着いたようだね」
ホシボクロの呟きに向こう岸を見ると、軍服を着た誰かがライナムルに敬礼している。
「あの人がバンバクヤ侯爵かしら?」
「うんにゃ、あれは下級兵士。軍服見て判らないの?」
「兵隊さんなんて街で見かけるだけだもの」
「それじゃマーリンにしっかり教えて貰わなきゃね」
見ているとライナムルは下級兵士の案内で館の表に回ったようだ。バンバクヤ侯爵はどこにいるのだろう?
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