29 親玉ネズミは超巨大
ライナムルさまがお戻りです、扉の向こうからロンバスの声が聞こえた。慌てて立ち上がるリーシャ、すぐに開いた扉からライナムルが部屋に踏み込む。
「にゃあ~ん」
足元から聞こえるホシボクロの声、止まったライナムルの足、後ろから続いて入ろうとしたロンバスに小突かれたライナムルが、少しよろけるように屈み込んでホシボクロを抱き上げた。
「失礼しました! 大丈夫ですか、ライナムルさま?」
ロンバスは慌てたが、すぐに立ち上がったライナムルにホッとし、抱かれたホシボクロに苦情を言う。
「なんだ、ホシボクロか。扉の真ん前に立つなって教えたのに」
ホシボクロを抱いてニコニコのライナムルがソファーに進み、ロンバスがぶつくさ言いながら扉を閉めた。
「ただいま、リーシャ。この子がホシボクロだよ」
ソファーに腰かけながらライナムルがリーシャに微笑む。
「おかえりなさい、ライナムル」
リーシャもライナムルに微笑みを返し、ソファーに座り直す。見つめ合う二人を見比べるホシボクロ、にゃおんニャオンとライナムルに身体を擦りつけて甘え、ロンバスがちょっと顔を
「ライナムルさま、毛だらけになりますよ」
そうだった、とライナムルがホシボクロを降ろし、着替えてくるね、と寝室に向かった。
ソファーに降ろされたホシボクロが前足を
「いると思ってなかったので、ヤギのも牛のも乳はありませんよ――ライナムルさまが戻られたら厨房に行って何か貰ってくるんで、
とホシボクロを見もせず言う。ロンバスを見るのをやめたホシボクロがソファーに伸び伸びと寝ころんだ。
部屋着に変えたライナムルは戻ってくると、ホシボクロに占領されたソファーをチラリと見てからキャビネットに向かった。出してきたのは何かの箱と二枚の皿だ。
「ライナムルさま、それは?」
リーシャの隣に腰かけたライナムルにロンバスが問う。
「クッキーだよ、ロンバス。嵐の中じゃ取りに行けないと思って、夜中にお腹が空いた時のためにドンカッシヴォに貰っておいたんだ。結局、食べなかったけどね」
そんな物があったのね、わたしに隠していたのかしら、と思うリーシャだ。
見ているとライナムルはクッキーを数枚、砕いて皿に乗せた。するとホシボクロがテーブルに飛び乗ってガツガツとクッキーを食べ始める。
「猫にクッキーなんかあげて大丈夫なの?」
「ホシボクロなら大丈夫、他の猫にはあげないでね」
もう一枚の皿にクッキーを出しながらライナムルが答える。なるほど、ホシボクロは魔物だから何を食べてもいいのね、言いはしないがそう考えたリーシャだ。ロンバスが、クッキーを貰ったのなら他はもうないからね、とホシボクロに言った。
ライナムルがホシボクロの皿をテーブルの下に移動させる。皿についていったホシボクロがいなくなった空間をロンバスが拭き清め、お茶のカップを置いた。
「さぁ、リーシャ、僕たちもお茶にしよう」
隣に座ったままライナムルが微笑んだ。
ロンバスも椅子に座り、のんびりお茶の時間が始まる。黒髪の侍女がどうなったか気になるリーシャだが、帰ってきたばかりのライナムルに問うのも気が引ける。それにひょっとしたらリーシャに聞かせたくない話かもしれない。ライナムルが出かけた時より老け込んでいるのも気になった。部屋を出た時は二十代前半まで戻っていたのに、また三十歳くらいに見えている。
ライナムルはかなり空腹だったようで、
リーシャが一枚食べきらないうちに箱は空っぽになった。ロンバスは多分一枚も食べていないだろう。ようやくカップに手を伸ばしたライナムルがお茶を一気に飲み干した。
「はぁ、美味しかった」
カップの影から出てきたライナムルの顔は二十歳くらいに戻り、若々しい笑みを湛えている。愛は甘いもの、そう感じたリーシャだが、ライナムルはわたしと同じ十四、これでもまだ老け込んでいるのだわ、と少し悲しくなる。
お茶のお替りをロンバスに頼みながらライナムルがチラリとリーシャを見る。
「そんな悲しい顔をしないで。クッキー、全部食べちゃったね、ごめんよ」
「そんなことは気にしないで」
できるだけ優しい声で言おうとするリーシャ、なのにライナムルには悲し気に聞こえたようだ。
「それじゃあ、なんで泣きそうなの?」
「ふふん、ライナムルはやっぱり鈍感だね」
ライナムルが帰ってからはニャオニャオ言っていたホシボクロが急に人間の言葉を発した。もちろん、ライナムルもロンバスも驚かない。
「帰ってきたのにスリスリも撫で撫でもペロペロもしてやらないからだよ」
ロンバスがグッと笑いを噛み殺し、ライナムルが真っ赤になった。
「人間は何だっけ? ほら、口を吸いあうヤツ。そんのがなけりゃリーシャも寂しいんじゃないの?」
最初は、ホシボクロは何を言っているんだろうと思っていたリーシャも、これにはさすがに気が付いて真っ赤になった。
「人間はサカリがついたからって、すぐには
ライナムルにお替りのカップを差し出しながらロンバスが取り成す。サカリとか
「ホント、人間って不自由だよね、もっと自由でいいんじゃないの? ロンバス、水くれ」
はいはい、とロンバスが、もう一枚皿を出して水を注ぐ。
「そ、そんな事より――」
さっさと話題を変えたいリーシャが、とうとう気になっていることをライナムルに尋ねた。
「黒髪の侍女はどうだった?」
ライナムルがロンバスに視線を送り、ロンバスが少し頷く。不思議そうな顔でライナムルとロンバスを見比べたのはホシボクロだ。
「黒髪の侍女って?」
ホシボクロがライナムルに訊いた。
「サラサーラの父親、ギミビジ公爵がサラサーラにつけて寄越した侍女だよ。ギミビジ公爵から密命を受けていた」
リーシャが話をよく聞こうとライナムルを見詰める。ホシボクロは、真っ黒頭のことか、と呟いた。
「ギミビジ公爵は、夫人を誘拐されて脅されている。夫人は妊娠していた。その夫人が生んだ子、つまり公爵の子を、サラサーラが生んだ子と偽って王宮に入れろ、って言うのが誘拐犯の要求だった。公爵の子をジュラナムルの子として、父上の次の王にするのが目的だと思う」
「そんなことをして、何の意味があるの?」
悲鳴のような声でリーシャが聞いた。
「正当な血筋でない王になればザルダナの守りが崩れる。王家に伝わる魔法の力の話はしたね、全てのものを遠ざける力。ギミビジ公爵の子どもは、そんな力を持ってない」
「それじゃあ、ザルダナを攻め込もうとするどこかの国の仕業?」
「そんな力を王が持っていると、他国に知られているとは考えにくい」
そう言ったのはロンバスだ。
「たぶんギミビジ公爵だって知らない。王家の血が絶やされて得をするのは――」
「魔物の王だね」
ホシボクロがサラッとロンバスの言葉を
「だけど地下室に閉じ込められっぱなしの魔物の王は、ギミビジ公爵夫人を誘拐できっこない」
「それじゃ、誰かが魔物の王に手を貸した?」
蒼褪めるリーシャに応えず、ホシボクロにライナムルが問う。
「王宮ネズミと猫たちの協定を詳しく知ってる?」
「あぁ、あれね。あれはさ、最近、王宮外からネズミが入り込むようになったんだ。そのネズミ、ボクはまだ遭遇してないけれど、王宮ネズミの三倍は大きいそうだよ。で、王宮ネズミはやられっぱなし、喧嘩にゃ勝てない餌場は荒らされる、で、とうとう猫たちに頼ってきた。前々から猫たちはネズミの道を使いたがっていたからね、猫も通れる大きさにするから、外から来たネズミをやっつけてくれって」
「それで猫たちは、外から来たネズミを退治できたのかい?」
「今、頑張ってるんじゃないのかな? 猫にしたって外から来たネズミに大きな顔をされるのは面白くないからね。少しずつやっつけちゃいる。でも、親玉はどこかに潜んでいて、猫の前には出てこないらしいよ。親玉ネズミは巨大で、人間に近い大きさだって噂だ」
「人間大のネズミ――その巨大ネズミは一匹、ですかね?」
ロンバスがライナムルの顔を見た。
「そうだね、ロンバス。そしてソイツは多分、魔物だ。魔物の王の家来だ」
「魔物の王の家来!?」
悲鳴のような声をリーシャがあげる。
「それじゃ、ライナムル。巨大ネズミが魔物の王のために動いたって事? ギミビジ公爵夫人を
「黒髪の侍女はギミビジ公爵に王宮の庭に呼び出されたって言ってる。そこで渡された薬を王太子の水差しに入れたって。眠るだけの薬だから怖がらなくっていいと言われた。事実、ジュラナムルは眠っているだけだし、なによりギミビジ公爵が気の毒で仕方ないって言った。夫人が誘拐されている、仕方なく従うしかない。王家を裏切る覚悟をしたと」
「奥さまを愛してらっしゃるのね……公爵夫人は無事に出産されたのかしら?」
聞いたのはリーシャだ。
「いや、それが――」
言い辛そうにロンバスが答える。
「流産されたそうです――夫人を誘拐したのは巨大ネズミ、流産の原因は巨大ネズミへの恐怖からではないでしょうか? 誘拐されたと言っても、ギミビジ公爵の領地にあるお屋敷の一室に閉じ込められ、巨大ネズミがつきっきりで監視していたそうです」
「なんて、お気の毒な――そんな状態なら、ギミビジ公爵さまもご領地にお戻りになるわね」
ポツンと言って涙ぐむリーシャだ。
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