25 ライナムルの初恋
ほっとしたリーシャだが、あることに気が付く。
「ねぇ、ライナムル。わたしがずっとそばにいたら、本来の年齢まで若返る?」
「そうなると思いますよ」
答えたのはロンバスだ。
「さっきも申しあげましたがライナムルさまが十歳の時、わたしはライナムルさまのお傍つくよう命じられました。そのときライナムルさまはどこからどう見たって十歳の少年でしたから」
「十歳ってことはたった四年前? 四年の間に何があったの? わたしの知っているライナムルは十四歳より年上に見えるわ」
この質問にはロンバスも、リーシャと同じようにライナムルの返事を待つ。
「そんなこと、僕に判るはずもないよ」
ふたりから見詰められたライナムルはドギマギしたようだ。
そこでロンバスがリーシャに向かい
「ライナムルさまが急成長なさったのは十一歳のころなんです」
と言った。
「その頃、何か生活に変化があったとか?」
「これと言って思いつきませんね。ずっと王宮内部で過ごされていたライナムルさまが街の様子を見たいと仰って、こっそり抜け出すようになったのも、修道院の視察を始めたのも十歳の時からですし」
と、ここでロンバスがあることを思い出した。
「修道院の視察と言えば、食べ物を持っていくのはやめようとライナムルさまが言い出したのは十一歳の時ですね。一番喜ばれるのになぜだろうと思ったものです」
「あれ? 食べ物はやめた方がいいって、ロンバスが言ったんじゃなかったの?」
再び、リーシャとロンバスが二人揃ってライナムルを見る。
気まずそうにソッポを向いて頬を染めたライナムルだ。
「ごめん、なんだか本当のことが言えなくって。ロンバスのせいにしちゃった」
勿論そんな返答で追及を緩めるリーシャではない。どういうことなの? と問い詰める。
「だってリーシャ、僕のこと、ほんの少しも覚えてなかったんだもん」
嫌そうに話し始めたライナムルだ。
「そりゃあね、修道院に行ったのはウルマだからさ、僕のことを覚えてないのは仕方ないかも知れない。でもウルマのことだって全く覚えてなかったじゃん」
「なんかそれ、答えになっていないわよ。なんでわたしが覚えていなかったからって、食べ物を持っていくのをやめたのをロンバスのせいにしたの?」
そこにロンバスが追い打ちをかける。
「そもそもなんで修道院に行くって言いだしたんですか?」
これにはライナムル、渋々答える。
「クリセントの奥方を探すためだよ」
「はいっ?」
「僕がクリセントの奥方と姫君が行方不明だって知ったのは十歳になる少し前。で、考えた。もし二人が王都にいるなら、どこにいるだろうって。女性が二人だ、身を寄せるなら修道院」
そんなライナムルにロンバスが呆れる。
「そんなことをバンバクヤ侯爵さまや国王御夫妻が考えないと思われたんですか?」
「母上とクリセントが『修道院からは該当者がいないって返事だった』って話しているのが聞こえた――国王や王妃、侯爵が修道院に直接行くわけにはいかない。修道会は庶民の場所、王族貴族は協力や寄進はしても干渉しない鉄則だからね。二人の行方が判らなくなってからずっと、定期的に問い合わせをしてるけど、まだ見つかない、そんな話をしてたんだ」
「なるほど、王子の身分を隠すため女性に化ければ修道院の中に入れると?」
ロンバスはさらに呆れたが、ライナムルは我が意を得たりとばかり、うん、と頷く。
「だから僕はウルマになる必要があった。ウルマなら王子と見破られずに修道院に入れるし、その奥にいる孤児たちとも接触できる」
「でも――」
疑問を呈したのはリーシャだ。
「ライナムルは公爵夫人の顔を知っているの? 姫君の顔は?」
「そこなんだよね――会ったことないから知るはずもなくて。だからもし会えても判らない。でも名前は知っていた……もっとも、そんな名前の人は見つからなかった」
「どうして公爵夫人はいなくなったの?」
「それすら判っていないんですよ、リーシャさま」
答えたのはロンバスだ。
「バンバクヤ侯爵さまが仰るには、夫婦仲はよかった。それを信じるなら公爵夫人が自分からいなくなるとは考えにくい」
「だけどさ、もし誘拐だとしたら何を目的としているのかが判らない。クリセントは何も要求されていない」
ライナムルがロンバスを引き継ぐ。
「クリセントと母上の話を漏れ聞いた時、クリセントの奥方の意思で二人は修道院に隠れてるって僕は思った。いつも通り根拠なんかない、だけどそう感じたんだ」
「予知ですか?」
ロンバスの問いに、
「予知なのかどうかは僕には判らない。でもみんなが言うところの予知だ」
と、
「で、ライナムル。二人がいる修道院はどこなの?」
「それが判れば苦労しない――王都に修道院は二つしかない。リーシャのいたところともう一つ」
「そっか、修道院、としか閃かなかったのね」
「だから二つの修道院、両方に行った。一年に一度ずつね。見落としが見つかるかもしれないと思って」
「そう言えば、ライナムルはわたしのことを知っていたのね? ウルマのことすら忘れてたって、さっき言ったわ」
「まぁね――二度目に行った時、僕はクッキーを孤児の数に合わせて持って行ったんだ。みんな大喜びで、それだけでも来た甲斐があったと思った」
「その時は食べ物だったのね」
「ええ、確かそれを最後に食べ物はやめたのですよね」
ライナムルがチラリとリーシャを見、やっぱりちょっとだけロンバスを見て、やっぱり目を逸らす。
「小さな子が一人、大喜びで走り回って転んでしまった。持っていたクッキーは袋の中で粉々になってしまった。その子は大泣きして、僕は何とかしてあげたいって思ったけれど、平等になるようにクッキーは人数分しかない。どうしようって困っていると、一人の女の子が泣いている男の子に自分の袋を差し出した」
「優しい子がいたのね」
リーシャの言葉にライナムルが口籠る。そんなライナムルをリーシャが『それで?』と先を促す。
ここでもライナムルがチラリとリーシャを見た。
「それでウルマはその女の子に訊いた。それじゃああなたの分がなくなる。するとその子は答えた。誰かが泣くくらいならわたしはクッキーなんかいらない――声も笑顔も明るくて、その子の本心なんだって僕は思った。十一歳の僕はその瞬間、その子に魅了されてしまったんだ」
「あら、ライナムルの初恋?」
クスリとリーシャが笑う。
「リーシャの初恋は?」
否定しない代わりにライナムルがリーシャに問い返す。
「えっ? わたしは――」
好きになったのはライナムル、あなたが初めて。でも、恥ずかしくって言えないリーシャだ。
答えないリーシャをチラチラ盗み見ていたライナムルだが、やがて怒ったように溜息を吐く。
「なにしろ! それから僕は修道院に持っていくのは壊れないものって決めたんだ」
「ライナムルさまが食べ物を避ける理由は判りました」
真面目な声はロンバスだ。
「それで、バンバクヤ侯爵夫人と姫君の捜索はどうなったのですか?」
話を本筋に戻していく。
「それは……まだ見つからないし、それにもう修道院にはいない」
「修道院にはいない?」
リーシャとロンバスの声が揃う。
「だったらどこにいるの?」
「修道院にはいないって閃きはあった。でもそれ以来、二人に関して何も閃かないんだ」
リーシャの問いにライナムルが申し訳なさそうに答えた。
「僕が感じるのは――クリセントの奥方はこの世にいない、そして姫君は幸せに暮らしている。それだけなんだ」
「そんな――」
蒼褪めるリーシャ、ロンバスがライナムルに厳しい視線を向けた。
「ライナムルさま、それはリーシャさまがライナムルさまの前に現れたから、ですか?」
ギョッとしたライナムルがロンバスを見る。
「リーシャを好きになったから、クリセントの奥方と姫君のことは僕にとってどうでもよくなったってこと?」
「もしここでバンバクヤ侯爵令嬢発見となれば、リーシャさまのお立場が微妙になりますから」
そうね、そうだわ、確かにそうよね、ロンバスの言葉にリーシャも蒼褪める。
まじまじとロンバスの顔を見ていたライナムルが、フッと苦笑した。
「もし姫君が見つかっても、僕はリーシャと結婚する。これは何があっても変えないよ、父上や母上が反対しても従わない。僕にはリーシャが必要だ」
「それで姫君はどうされるのです?」
「姫君は幸せに暮らしている。それではダメかい、ロンバス?」
「王子の身分を隠し、出てはいけないと言われている王宮を勝手に抜け出し、そうまでして探そうとしたのはなぜなのでしょう?」
「クリセントが気の毒だったからだよ」
「バンバクヤ侯爵が?」
「うん、母上と話しているクリセントはいつもの
「今は思わないのですか?」
「今でもクリセントを救いたいのは変わらない――ロンバス、力を貸してくれるよね?」
ロンバスが溜息を吐く。
「ライナムルさま、大きく矛盾していると感じます。もちろん幾らでも助力いたします。でもどうしろと?」
「うん、もう少し考えさせて」
ロンバスがやれやれと両手を上に向けて首を振る。そのロンバスを横目に、
「お願いだから、今の話を聞いたからって、僕を見捨てたりしないで――僕を諦めちゃいやだよ、リーシャ」
縋るような目をリーシャに向けるライナムルだ。
「リーシャはすっかりケロッと忘れているみたいだけど、転んだ子にクッキーを譲ったのはリーシャ、キミだったんだよ」
ライナムルの揺れる瞳がリーシャを見詰めた。
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