16  切ないリーシャ

 ライナムルが眠ってしまい、ロンバスも退出してしまえば、これと言ってすることがないリーシャ、アップルパイを食べながら見るともなしにライナムルを眺めているしかない。


 ライナムルはコクっと舟を漕ぎ、フィッと目を開けるところを見ると、起きようとしているようにも見える。だが、努力虚しく直ぐに瞼が落ちてしまうようだ。そうこうするうちにロンバスが掛けたケットがズルズル落ちてしまう。


 最初の内はアップルパイの皿を置き、ライナムルの傍に寄って掛け直していたリーシャも食べ終わってからは面倒になり、ライナムルの横に座ってズレ落ちるケットの番を始めた。


 そうなると不思議なもので、カクっと傾くだけだったライナムルがスゥッとリーシャに寄り掛かるようになった。どうもリーシャを枕とでも勘違いしているようだ。


 これもその度押し返して元に戻していたが、何度も繰り返すものだから仕舞いには面倒になって寄り掛かってくるのをそのままにすることにした。でも……重いっ!


 しかもライナムルとしてはさらに横になりたいようで、とうとうリーシャの膝にライナムルの頭が乗る形になってしまった。こうなるとリーシャの力ではライナムルの身体をもとのように座らせることもできない。


 リーシャの位置からはライナムルの横顔しか見えないが、すっかり眠っているようだ。少しばかりぽかんと開いた口元がなんとも無防備で、起こしてしまうのは可哀想、と思うリーシャだ。ケットがズレ落ちないよう、ライナムルがソファーから落ちないよう、ライナムルの肩のあたりを支えた。


(こうしていると、やっぱり小さな子どものよう……)

 ライナムルの身体を支えているのとは別の手で、リーシャがライナムルの髪を撫でた。ライナムルの黄金の髪が煌めいて、ふわりと――


(伸びた!?)

思わず息を飲むリーシャ、いいえ、見間違いよ、と、もう一度撫でてみる。するとリーシャが撫でた部分だけ、ふわりと浮き上がるとイヤイヤをするように揺れた。

(ほらね、延びたわけじゃない。立ち上がって動いただけ――)


「えぇえぇ!!!」

「うぉ!?」


 リーシャの叫び声に、さすがのライムなるも目を覚まし上体を起こそうとするが、リーシャに押さえつけられたままで起きるに起きれない。


「ライナムル! あなた、髪が生きてる!」

リーシャの膝に戻されたライナムルは仰向けにリーシャを見て答える。

「リーシャ、僕の髪で遊んだの?」


「ちょっと撫でただけよ、そしたら、そしたら!」

「ふわふわ動いた? きっとんだよ。撫でたきゃ撫でていいけど、もう僕を起こさないで――リーシャ、枕になってくれたんだね、優しいリーシャ、ありがとう」


「ちょっと! ライナムル!」

「あ、そうだ。髪を束ねてる紐、引っ張れば解けるから取っちゃって。それじゃオヤスミ」


「えっ? 髪を束ねてる紐……」

 きっとこれねとリーシャが引っ張ると、ライナムルが言うとおり、するすると解けた。そしてその紐もクネクネと踊るように宙に浮く。


「あ、あ、あぁ?」

「リーシャ、静かに。僕を寝かせて」

「いや、いや、ライナムル! この紐!」


 本当に眠ったのか眠ったフリなのか、ライナムルは反応を示さない。

「この紐、どうしたらいいの?」

泣きたい気分のリーシャ、紐は勝手に宙を舞って部屋の片隅のキャビネットに向かっている。するとキャビネットの引き出しが勝手に開き、紐が中に入るとパタンと閉じた。


 とりあえず、紐の始末はついた。なんて安心している場合ではない。キャビネットから視線を膝の上のライナムルに戻して、改めてライナムルの顔を見る。このどさくさに紛れて、仰向けになったのみならず、ソファーで完全に横になったライナムルだ、足まで延ばして居心地は一段と良さそうだ。


「ライナムル?」

 無駄とは思っても、一応呼んでみる。前髪が僅かに動いたのはリーシャの息のせいか、それともライナムルのか?


 束ねを失った長い髪はハラハラと零れ、リーシャの膝の上で波打っている。恐る恐る指先で触れると、クルッと指に絡みついてからサラッと落ちて行った。


 と、ここでまたしてもリーシャ、気が付かなきゃいいのにあることに気付いてしまう。

(なんで!? なんでライナムルが足を延ばせるほどのソファーなのよっ!?)


そう、いつの間にかソファーの大きさがライナムル化している。とうとうリーシャも堪らなくなって、久々に意識を失ってしまった。よくぞここまで頑張った、自分を褒めたいリーシャだった。


 例によっていい匂いの中、リーシャが目を覚ます。目の前には眠るライナムル、もはやリーシャが驚くこともない。


 あたりを見渡すとリーシャの部屋ではない。という事はライナムルの部屋か? 今回のライナムルはリーシャの腕に絡みついてはいないけど、しっかりと繋いだ手を握っている。解こうかとしたが、起こしてしまいそうで諦めた。


 目の前のライナムルは、同じ年の男の子の顔に戻っている。そう言えばソファーで眠り始めた時はすっかり老け込んでいたっけ、とぼんやり思う。


 なんとなく切なくなったリーシャが身体をライナムルに向ける。握られていないほうの手を伸ばしライナムルの顔にかかった髪をどかすと、髪はすんなり言うことを聞いて頭の後ろの方に流れてくれた。髪を撫でつけた手でそのままライナムルの頬を撫でる。柔らかくふっくらした感触、すべすべした肌はほんのり温かい。


 不思議なライナムル、本当だったらわたし、もっと怖がってもいいんじゃないの? そう思うのに、目が覚めた時、そこにライナムルがいたことに、どこかホッとしたリーシャだ。それがなぜかは判らない。いてあげなきゃとも思うし、傍にいたいとも思う。


 頬を撫でられているのに気が付いたのか、ライナムルがパチッと目を開く。

「誰だっけ?」

「ライナムル!」


クスリとライナムルが笑う。わたしがこんな思いをしているのにあんたって、わたしの名前さえ忘れてしまうのね!? 泣き出しそうなリーシャの頬をライナムルが撫でる。


「目が覚めたら目の前にリーシャがいる。嬉しくって、つい惚けちゃったんだ――ごめんよ」

「えっ?」


 握っていた手を離し、ライナムルが上体を起こす。リーシャの頬を撫でる手はそのままだ。起こされたライナムルの上体がリーシャに覆い被さるように傾けられて、目の前にライナムルの顔が近づいてくる……


「お目覚めになりましたか?」

「!」


 咳払いとともに聞こえたロンバスの声、驚いて振り返ろうとしたライナムルが勢いでベッドから落ちた。今度は巻き添えを回避できたリーシャだ。あるいはライナムルがリーシャに捕まろうとしなかったのかもしれない。掛け布団も難を逃れている。


「ロンバス、いつからそこに!?」

 ベッドの下でやっと体勢を立て直したライナムルがロンバスに問う。

「お二人をここにお運びしてからずっとでございます」


「えっ? リーシャのことも運んだの?」

「叱られるのが判っておりましたから、リーシャさまは小間使いが三人掛かりでお運びしました」

「そっか」


立ち上がりながら少しだけ安心したような顔をするライナムルだ。髪の乱れを手櫛で直している。


 ロンバスがすかさず紐を取り出して渡すと器用に髪を束ねた。

「父上が呼んでる?」

「もちろんお呼びです」


「ギミビジ公爵館での出来事の報告は?」

「衛兵隊長が済ませております」


「で、父上は僕に何の用?」

「ギミビジ公爵討伐のご命令が下されます」


「ふぅん……初陣か?」

「そうなりますね――ジュラナムルさまが眠り病の今、ライナムルさまにお任せするしかありません」


「じゃあ、兄上を起こそうか?」

「起こせるのですか!?」


「たぶんね。でも起きてすぐ討伐は兄上が気の毒だ。それにギミビジ公爵討伐は軽率だと思う――まぁ、父上と話してみるよ」

「ライナムルさまは公爵以外に黒幕がいる、と?」


「そんなのあたりまえだよ、ロンバス。僕と一緒にいて、何を見てきたの?――父上はもう少し待たせておこう。おいでリーシャ、お茶にするよ。アップルパイはまだあるかな?」


 ムッとした顔つきのロンバスに続いて応接室に向かうライナムル、とっくにベッドから起き出して、二人の話に聞き耳を立てていたリーシャが後を追った。


 切り分けたままのライナムルのアップルパイは小さな傘のような覆いが被せられていた。覆いを外して嬉しそうな顔をしたライナムルが眼差しでロンバスにお茶を催促している。


「ライナムル、食べるの大好きよね」

思わずつぶやいたリーシャにライナムルがニッコリする。

「ちゃんと食べて、ちゃんと眠らないと、生きていけないもん」

「大袈裟だわ、ライナムル」


「大袈裟ではありませんよ」

答えたのはロンバスだ。

「さぁ、お茶をどうぞ。リーシャさまも」

ロンバスがリーシャの分のアップルパイを新たに切り分けているうちにライナムルは最初のパイを食べ終えて『お替り』と、皿を差し出した。


「ほかにも何かご用意いたしますか?」

 ライナムルの皿にもパイを乗せたロンバスがライナムルにお伺いを立てる。

「ううん、これくらい食べて眠ればきっと回復する。リーシャも一緒に寝てくれるし」


「陛下にはなんと?」

「起きたって言わなきゃ判らないよ」


 二人の会話を聞いていたリーシャが聞き咎める。

「なんでわたしが一緒に寝るのが前提なの?」

「いやなの?」

不満顔のライナムル、ロンバスが、

「リーシャさまがご一緒に眠るだけでライナムルさまはご回復なされます――そろそろ気が付かれたころかと思いましたが、思いのほか鈍感でいらっしゃいますね」

とリーシャを笑った。

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