3話 待つ。

 ジェラルド・マクギガンは、父ディアミド不在時には、邦笏ほうしゃくを預かるほどに信頼されてきた男である。


 ゆえに、ランドポータルを防衛する連合軍へ参画するにあたり、一万五千の艦艇を率いる司令官を任されていた。


 己としても、当然の差配であろうと思っている。


 国許にあって他領邦との小競り合いには、常に自分が出張ってきたのだ。ポータル防衛に関して、その経験と知見に絶対的な自信を持っている。


 だが、少しばかり釈然としない思いが内奥にあったのも事実だ。


 今回の連合軍編成において、マクギガン領邦は最も多くの艦艇を派出していた。

 尚且つ、率いる司令官は、領主の息子――つまりはピュアオビタルなのである。


 にも関わらず、ポータル防衛を統括する統合司令官は、各領邦の連番制とされた。


 旧くから付き合いのあるオソロセアはまだしも、弱小、辺境、アホ領主が治めるとされてきたベルニクと同列扱いという点には忸怩たる思いがある。


 さらに、休暇中の一般兵が、ベルニク軍と乱闘騒ぎを起こしたなどの報告は、ジェラルドを大いに苛立たせていた。


 ――全く、ベルニクとは上から下まで気に入らん!

 ――あのアホ領主は、どんな手管を使って陛下に取り入ったのか……。


 ジェラルド基準によれば、惰弱な風貌としか思えぬトール・ベルニクの顔を脳裏に描き、何度か執務机に拳を打ち付けた。


 そんな最中に、彼は聞いたのである。


 ――余のはらである銀獅子権元帥へは既に勅命を発した。おのれら蛮族共を塵芥へ還せとな。


 蛮族討伐の勅命――。


 女帝ウルドに余のはらとまで言わしめた自身より年下のアホ領主は、勅命を授かり栄えある蛮族討伐へと赴く。


 他方の己は、どうか?


 補修整備に追われ当面は攻めてくるはずもないカドガン領邦を相手に、ポータル前の防衛陣を奔り続けるのみである。

 連合軍という性格上、兵達の下らぬ諍いにも頭を悩ませる必要があった。


 ――アホ領主との格差が拡がるばかりではないか……。


 オビタル帝国が二つに分かたれた現状は、危機である同時、全ての者に想像もしなかった立身の機会を与えている。


 ――このままでは、父上が存命中の官職は望めぬ。――いや、乱世が終われば、さほど功無き者として末席に追いやられかねない……。


 ジェラルド・マクギガンの最も大きな見当違いは、この点であっただろう。


 乱世の終息は、思いのほか早いと考えていたのである。


 とはいえ、新生派勢力側においては主流となっている見解であった。

 女帝と玉璽を擁し、さらには教皇アレクサンデルが、自身の旗色を鮮明にしたのである。


 風見鶏の如く動かぬ諸侯も、蛮族討伐後には雪崩を打って駆け込んでくると目されていた。


 ゆえにこそ、ジェラルド・マクギガンは功を焦ったのかもしれない。


 マクギガン情報部から上がって来た報告は、そんな彼の興味を大いに引いた。


「――カドガンは、残った艦艇で強襲するという確度の高い話があります」

「馬鹿を言え。補修整備に出していないとなると――二万程度だろう」


 その数では、防衛陣を破れるはずもない。


 連合軍は三万の艦艇を擁し、不足あればマクギガン領邦から援軍を呼ぶ事も可能なのだ。


「それが――ベルニクが裏切り手引きするそうでして――」


 ◇


「ベルニクにメリットが無いのではなくて?」


 フォックスの目論見を聞いたグリンニス・カドガン伯が問うた。


「トール伯と、統帥府長官ヨーゼフの不仲を利用しました」

「嘘なのでしょう?」

「皆が信じていれば、それは真実となりましょう」


 ジェラルド・マクギガンは信じた。


 常から上がって来る兵士間の諍いも、彼の想念を後押しした可能性がある。


 それらの諍いの陰には、決まってテンションの妙に高い美女が介在していたと知れば、ジェラルドとて策謀を疑ったかもしれないのだが――。


 ともあれ、ジェラルドは、憎きベルニクの裏切りで、カドガンが攻め入って来るのを手ぐすね引いて待っている。


 忌々しいベルニクを屠り、カドガンを打ち破って功を上げる機会と考えているのだろう。


「そもそもですが、統合防衛本部のガバナンスが機能していません。これも我等に有利に働きましょう」


 烏合の衆が数だけ揃えても、有機的な運動は行えない。


「敵陣の艦隊運動は一定ですから――」


 多数の犠牲を出しつつも威力偵察を続けた成果であるが、ランドポータルから五十光秒付近に展開されている敵防衛陣の備えは把握している。


 三つの艦隊で構成され、それぞれが交代で前面に立つよう運動しているのだ。


「――ベルニクの艦艇が引くタイミングで、まずは老朽艦を突入させます」


 撒き餌である。


「彼等が定石通り城を築くなら失敗です。速やかに引かせましょう」


 フォックスが目を細める。


「期待通り――野人の息子が功を焦ったなら、これは好機かと」


 ◇


 乗馬服姿のウルドが、謁見の間に立つ。

 銀色の美しい髪は下ろさず、頭上へと結い上げている。


 彼女の脇に控えるのは名誉近習となったレイラ・オソロセアのみであった。


「カドガンずれにはときが無い。ゆえの愚策である」


 謁見の間に呼ばれたガウスは、跪いたまま女帝ウルドの話を聞いている。


 ――愚策と言われれば、確かに愚策なんだよな。


 仮にフェリクスを一時的に抑えたところで、ベルニクやオソロセアからの援軍が到着すると、僅か二万の手勢では守り切れまい。

 聖骸布せいがいふ艦隊を引き連れたトールが戻ってきた場合も同様だろう。


 つまり、時間が経てば経つほどに、カドガンは不利な状況に陥っていく。


「それほどに欲しておるのだ」

「畏れながら――陛下をでございますか?」


 小さな舌打ちがウルドから漏れる。


「二度は畏れるな、ガウス・イーデン」

「ハッ」


 叱責ながら不快ではないな、とガウスは思った。直截な物言いを好むようになった――という噂は真実だったのである。


「アレが欲するのは余ではない。くだんの台座である」

「なるほど――」


 目にした事は無いが、テルミナ経由でマリの話は聞いている。ベルツ家に連なる者が台座に乗ると、城塞の建つ不思議な島に飛ばされるらしい。


「台座を持っていくつもりだ」


 地面ごと引き揚げて運搬するという大掛かりな土木工事になるだろうが、永続的なフェリクス占領よりは実現可能性が高い。


 つまり、ベネディクトゥス星系を版図に加えるつもりなど無いのだ。


「手土産に、余を攫うか始末しようとも企んでおるかもしれぬが――」


 グリンニス・カドガンと、女帝ウルドの間にある確執は、ガウスとて耳にした事がある。


「――は、本筋ではなかろう」

「ならば、引かれるのも手では?」


 訳の分からぬ台座など呉れてやれば良いとガウスは考えたのだ。


 ホーク艦隊司令ギルベルトが提案した通り、太陽系に逃れた後に援軍を待つというわけである。


「真に安全策だがな――」


 腕前のほどは分からないが、彼女の腰にはフルーレが吊るされていた。


「――矢を見れば背を向けるとの悪評を余は望まぬ」


 女帝ウルドは、叛乱軍を避けるため旧帝都を脱している。トールによる策謀の一環とはいえ、諸侯や民草から見れば関係のない話であった。


 それからさほどのときも経たぬうち、女帝が再び帝都を追われたとなれば、最終的な勝利を得ようとも人心が離れる事を危惧した次第である。


「愚かな献策にございました。ご容赦を」


 素直な思いでガウスは頭を下げた。


 乗馬服とフルーレという妙な姿にも、意味があったのだと理解する。帝国においては、女帝が戦場に立つなど想定されておらず、纏うべき正式な軍装が存在しないのだ。


「そもそも勝てるいくさであろうしな」

「籠城――ですか?」


 この点については、ガウスは些かの不信感を抱いている。


 ベルニク蛮進前夜となる当時は、為政者の屋敷や宮を防衛するという概念は希薄であった。戦闘行為は宇宙空間に限定され、宙域とポータルの制圧により趨勢は決まったのである。


 オリヴィア宮とて例外ではなく、防空設備こそあれ、地上部隊による侵入を妨げるすべなど持たない。

 平城に等しい状況である。


「まず、敵には時間が無い。ゆえに拙攻となろう」


 四時間でフェリクス宙域に到着したとて、壁面砲を受けつつ軌道揚陸を果たさねばならない。


 さらには、援軍到着前にオリヴィア宮の中庭を占拠し、台座を外す土木工事を終え撤収する必要があった。


「次に、守るべき場所が少ない」


 敵の狙いがウルドの推察通りであれば、中庭に在る釣鐘状の建築物を守れば良い。


 とはいえ、こちらの地上兵力が不足している点は問題だとガウスは思った。

 ベルニクの地上部隊は、蛮族討伐のために出払っているのだ。


 よしんば兵の頭数が揃ったとしても、パワードスーツの予備が無かった。


「尚且つ――ん――」


 ウルドの言葉が中断され、照射モニタが彼女の脇に現れた。


「陛下ッ」


 ――か、閣下だ!


 思わず相好の緩みそうになるガウスであったが、状況の深刻さを思い起こし堪えた。


 ――というか、陛下と直接のEPR通信を?――いつの間にだろうか――。


 帝国において有り得べからずな話であるのだが、閣下ならば例外なのだろう、とガウスは妙に納得して独り頷く。


「ご無事で良かったです」


 久方ぶりに見る領主の表情には、幾分かの疲労が見える。


「うむ。余は息災である」


 これから敵に攻められる女帝とは思えぬいらえであった。


「そ、そうなんですか。カドガンちゃまが攻めてくると聞いたんですけど」

「ちゃま?――まあ、そうだ。来る」

「急いで戻りますが、十日近くは掛かると思うんです。ですから――」

「宮にて待つ」


 何かを言わせまいとするかのように、ウルドは言葉を重ねた。


「ええっ!?――確かに今後の事を考えますと、引かずに頂けるのは有難いのですが――ええと――あ――いや――」


 その時、トールは、遥かな地で乗馬服を纏い屹立する少女の眼差しを見た。


「――陛下」


 血が流れ過ぎた。流し過ぎた。

 もはや、己の身ひとつで贖える状況ではない。


 だが、彼には――トール・ベルニクには――、


「ご武運を」


 ――戻らねばならない場所がある。


「うむ」


 傲然と頷く女帝ウルドの口端が緩んだと気付いたのは、レイラ・オソロセアのみであった。


「伯より授かった備えもある。ゆるり、安心致せ」


 ゆえ、ウルドに懸念は無い。

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