19話 奴隷奇譚。

「テメェのような変態を信じた俺が馬鹿だったぜ」


 フリッツは死んだ船員の頭を蹴り上げながら怒鳴った。

 元海賊という素性に相応しい横着ぶりである。


 そんな輩が、ベルニクへ向かう違法な旅客船に乗っていた理由は気になったが、問い詰める状況などではないとクリスも理解していた。


「ひとりは残せって言ったよな?――これで、もう手詰まりだろうがッ」


 彼の目論見は、ブリッジの場所を聞き出し、後は人数任せで犠牲も厭わずに押し入って船を乗っ取ろう――という至って海賊的な単純さである。


 軍師などと大言を吹かしておいて、とクリスは感じたが、武器を持たない烏合の衆では、他に手段も無いかと抗弁はしていない。

 とはいえ、本人の希望とは裏腹に、多分に血の気が勝る戦士なのだろうとクリスは判じた。


 ――野蛮なベルニクがお似合いだわ。


 彼女の人物評は、後に正鵠を射ていたと判明する。


 他方、殺人鬼トーマスはといえば、項垂れてフリッツに平謝りをしていた。


「す、すみません――うう、若――つい――」


 では殺された方も浮かばれないだろうが――。


「まあ、いいや。テメェの変態さ加減を勘定に入れ忘れた俺の落ち度でもある」


 すぐ怒り、そしてすぐに切り替える男であった。


「ただ、ラッキーな事に、この船の盆暗共は遠隔モニタをしてないようだ」


 船員が二人も、奴隷に殺されたのである。

 獄を遠隔監視しているのであれば、とうに船内アラートが鳴動し、他の船員が駆け付けて来るはずだろう。


 彼らには与り知らぬ事なのだが、到着前に浮ついた気持ちでいた当番船員の不手際であった。

 全く反抗する気力を見せない奴隷に対し、グレートホープ号の船員は大いに油断していたのである。


「とりあえず、こいつら二人の服に誰かが着替えるのは?」


 クリスが提案すると、フリッツは首を振った。


「意味がない。忘れるな、俺らが、どれほど臭くなってるかを――アンタもな」

「ま、ふんっ!」


 頬を膨らませ、腕に鼻をつけてみたが、既に嗅覚が順応しており判然としなかった。


 だが、フリッツの言う通り、船員からすればすぐにそれと分かる臭気を放っているのだろうと理解する。


 ――ああ、今ならシャワー五分と、全てを引き換えにできるわ……。


 目の前で起きた殺人行為より、熱い湯への郷愁が勝った事への許しを女神に請いつつ、クリスは血塗られた現実へと相対した。


「ともあれ、ここに居ても死ぬか奴隷になるかだわ」


 元不良少女、元修道女、元伯爵令嬢であるクリスティーナ・ノルドマンは、既に覚悟を決めていた。


「こうなったら進むしかない。レオンも、お父様も――そして、他の人たちも」


 先に待つのは絶望のみであるが、勝負に出る以外に方法は無かった。


 クリスは震えている弟レオンの傍に寄り、今生の別れとばかり強く抱き締める。


 ――もし、無事に帰れたら――二度と喧嘩なんてしないわ。


「その通りだぜ」


 フリッツが、片頬に笑みを浮かべて周囲を見る。


「生き残りたけりゃ、奴らをぶちのめせ。武器を奪って喉を斬り裂くんだ」


 弱り切った素人衆に、可能か否かなど分からない。


「別の獄に女子供が居る奴は、特に張り切れよ」


 何人かは、妻子と離れ離れとなっていた。


「女は死ぬまで回される運命だ。それを思って進め。手足がいかれても、歯で嚙み千切れ、罵倒しろ、呪え」


 海賊向きの下衆な激ではあったが、少しは響く部分はあったかもしれない。

 何より退路が無い事は誰の目にも明らかなのだ。


 座り込んでいた連中も立ち上がり、先へと進む気配を見せた。


 トールと出会って以来、不運が続くフィリップ・ノルドマンとて同様である。

 生きていたとしても一家離散となり、娘と息子は蛮族の奴隷とされるのだ。


 ならば、いっそ狂気にまみれ、ひとりでも多くの敵を殺すほか選択肢など残っていない。


「おっと忘れるところだった――ちょっと貸せ」


 そう言ってフリッツは、殺人鬼トーマスが持つ剣を借り受けた。

 

「蛮族どもは、虹彩こうさい認証が好きらしいんでね」


 口笛でも吹きそうな様子で、食事を運んで来た船員の眼球を綺麗にくり抜いていく。

 見張り番のものであった二つの瞳は、トーマスの指先で潰され使い物にならない為だろう。


 随分と手慣れたものね、とクリスは冷静な感想を抱いた。


 ◇


「た、大変です、神職様!」


 扉も叩かずアドリアの居室へと、女ソルジャーが転がるように入って来た。


「どうしたのですか?」


 下船に備え荷物の整理をしていたアドリアは、驚いた様子で瞳を見開く。


 ソルジャーに対して消し得ぬ恐怖心を抱いていたが、今回の航海で部屋付きとなった彼女に対しては、その落ち着いた物腰に好感を抱き始めていたのである。


 ところが、今の彼女には欠片も落ち着きが見られない。


「畜生どもが、奴隷が――眼を――ああ――ヴィンスが――女神よ」


 整理のつかない繰り言を吐き出しつつ、女ソルジャーはアドリアの足許にしゃがみ込んでむせび泣き始めている。


 ――ヴィンスって、恋人の名前だったような……。


 アドリアと女ソルジャーは、互いの私事を多少は話すようになっていたのだ。


 ヴィンスはグレートホープ号の船員として、彼女は雇われソルジャーとして、盛大な結婚式を挙げる為の資金を懸命に貯めていたはずである。


「何があったのか、話してくれませんか」


 そう言ってアドリアは、相手の肩に手を置こうとするが、指先が震える事に気付き止めておいた。

 幾らか気を許せるようになった相手とはいえ、やはりソルジャーに触れるなど、自分には無理なのだろう、と心秘かに息を吐く。


「うう――奴隷どもが叛乱を起こしまして――」

「まあ!」


 統計的には一%程度の確率――と、昨夜に聞いたばかりであるが、それを引き当ててしまったらしい。


 ――でも、百の航海で一回と考えたら、不思議じゃないわよね。


 船付神官としては新米だが、数十回の航海に同行している。


「では、まさか、ヴィンスさんが?」


 と、気遣う言葉を掛けつつ、奴隷の叛乱が起きたのなら、自分を逃がす算段が先なのではないのかと考えていた。

 船付神官の命は何をおいても優先されると、神職院で学んだ記憶がある。


 ――でも奴隷船だものね……。


 グレートホープ号はμミュー艦では無い。

 船付神官が絶命したとしても、航行に問題は発生しないのである。


 ――やっぱり、μミュー艦の神官は選ばれし存在なのだわ。


 そのミネルヴァ・レギオンのμミュー艦であるが、グレートホープ号をポータル面から送り出した後に別の宙域へと去っていた。


「はい――ヴィンスは――喉を――優しかった瞳まで――ううう」

「なんと酷い」


 アドリアは自然と声が震えた。

 同情心からではなく、自身の命が危機に晒されているという恐怖心からである。


 ――ああ、駄目よ。明るい側面、良い側面――何かあるはずよ――。


「で、では、退治しないと駄目ですよ――私の――いえ、ヴィンスさんの為にも」


 悠長に船付神官の許へ来て、ベソを掻いている場合ではないだろうと思った。

 奴隷船の雇われソルジャーとはその為に在るのではないのか?


「そ、そうでした。動揺の余り、お伝えするのを忘れておりました」

「あら?」


 ――良い側面――明るい未来――バラ色の――。


「既に畜生共は制圧済みなのですが、裁可の証人になって頂きたいと――船長が」


 安堵したと同時に、父との約束を思い起こし頭が痛くなる。


 ――保護と言われましてもね……。


 ◇


 虜囚達は、精一杯の努力をした。


 獄の在る地下エリアを遮蔽していた扉は、フリッツがくり抜いた眼球のお陰で開いている。

 そこから唐突に雪崩れ込んできた奴隷の大群に、グレートホープ号の船員は慌てふためき多くの被害を出した。


 クリス達に幸いしたのは、フリッツやトーマスが戦い馴れ――というより殺し馴れていた事と、船員達が殺傷せずに制圧しようと努めた点であったろう。


 奴隷船の利益は、無事に運んだ奴隷の数に比例する。

 おまけに給金は歩合制であり、目先の怒りと先々の生活を天秤に掛ける戦いとなった。


 とはいえ、雇われソルジャーもいるし、船員達とてやわではない。


 結局のところ奴隷蜂起は失敗に終わったのである。


 拘束された彼らは再び獄に押し戻されていた。

 切り傷程度で済んだのは運が良い方で、死んだ者も数多くいる。無論、相手方にも死傷者は出ていた。


 船員達の正直な気持ちとしては、皆殺しにしてしまいたいところであろう。


「――神職様」


 女ソルジャーに伴われ、アドリアが来たのに気付いた船長は、二角帽子を取って頭を下げる。

 船長ともなれば、ソルジャーでなくとも二角帽子の着用が許されるのだ。


「ご苦労さまです」


 アドリアも頭を下げ、ちらと獄の様子を眺めた。

 くだんのクリスティーナ・ノルドマンが生きている事を確認したのである。


 頬に血糊はついているが、五体満足な様子でひとまずは安心した。

 アドリアとて、父ルキウスとの約束は、出来得る限り果たしたいと考えていた。


「全く不心得な畜生どもですが、いかなる裁可を下されるのですか?」

「その事ですが――」


 苦渋の決断となった船長が、悔しそうに顔を歪める。


「――全員を縊り殺したいところですがノルマもありましてな。涙を呑んで、ここは首謀者のみを放り出そうかと」


 死んだ同僚を思えば全員を始末したいはずだが、商売との兼ね合いもある。


「妥当な裁可でしょうね」


 アドリアはホッと胸を撫でおろす。


 首謀者ひとりを始末してしまえば、この下らぬ与太騒ぎも御終いである。

 後は予定通りクリスを危険思想者として――、


「賛成して頂けて良かった。では、そこのクリスとかいう小娘を外に放り出します」


 ――え?


「く、クリス――バカな、私の娘を娘を――離せ――んがああッ」

「お姉ちゃんっ!!」


 暴れ狂うフィリップであるが、船員に抑えつけられている。


「だはら、ほれが、ふぼうひゃだって、ゆってるだろうぎゃっ」


 原型が分からなくなるほどに顔を腫らしたフリッツが叫ぶ。

 彼とて、船員に抑え込まれている状況である。


「ち、違うそうですけど?」


 アドリアは祈るような思いで船長に問うた。


「いや、船員達の証言によれば、あの娘こそが先陣をきって指示を出していたのです。いつぞやも神職様に口答えをしていたそうですからな」

「あ、いえ、それはですね――」

「そうよッ!」


 アドリアの苦しい抗弁を遮るかのように、クリスが叫んだ。


「アタシがリーダーよ。さっさと殺しなさい。私はピュアオビタルとして、アフターワールドに召されるんだから!」


 ――ああ、駄目だわ――これで矯正意見書なんて取り出したら逆効果に……。


 頭を抱えたくなる状況となり、アドリアに残された手段はひとつのみとなる。


「今さら言うのは申し訳ないのですけれど、船長――」


 首謀者だけとしては、あらぬ疑惑が生じて自身の立場を危うくしかねない。

 また、メディアで報じられる可能性を考慮すると、目立つトピックを他に提供する必要もあった。


 かくして、アドリアの父ルキウス・クィンクティは、破産しかねない出費を強いられる次第となったのである。


「ヴィンス――」


 一方で、女ソルジャーは無念の涙を呑んでいた。

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