19話 奴隷奇譚。

「テメェのような変態を信じた俺が馬鹿だったぜ」


 フリッツは死んだ船員の頭を蹴り上げながら怒鳴った。


「ひとりは残せって言ったよな?──これで、もう手詰まりじゃねぇか」


 ブリッジの場所を聞き出して人数任せに犠牲も厭わず押し入り船を乗っ取る──というのが、フリッツの海賊らしい目論見だった。


 ──まったく、もう! こんな奴、野蛮なベルニクがお似合いよ。


 というクリスによる人物評は、後に正鵠を射ていたと判明する。


「す、すみません──ううっ──つい──」


 では殺された方も浮かばれないのだが──。


「まあ、いいや。テメェの変態さ加減を勘定に入れ忘れた俺の落ち度でもある」


 すぐ怒り、そしてすぐに切り替える男だった。


「ラッキーな事に、この船の盆暗共は遠隔モニタをしちゃいねぇ」


 全く反抗する気力を見せてこなかった奴隷に対して、グレートホープ号の船員達は完全に油断していたのである。


「とりあえず、こいつら二人の服に誰かが着替えてはどう?」


 クリスが提案すると、フリッツは首を振った。


「意味がない。俺らがどれほど臭くなってるかを忘れるなよ。──アンタもな」

「ま、ふんっ!」


 クリスは頬を膨らませると同時に根源的欲求を思い起こす。


 ──ああ、今ならシャワー五分と、全てを引き換えにできそう……。


 目の前で起きた殺人行為より熱い湯への郷愁が勝る罪の許しを女神に請いつつ、クリスは血塗られた現実へ意識を戻した。


「ともあれ、ここに居ても死ぬか奴隷になるかだわ」


 元不良少女、元修道女、元伯爵令嬢であるクリスティーナ・ノルドマンは覚悟を決めた。


「こうなったら進むしかない。レオンも、お父様も──そして、他の人たちも」


 もはや、勝負に出る以外に道はない。


 クリスは震えている弟レオンの傍に寄り、今生の別れとばかり強く抱き締める。


 ──もし、無事に帰れたら──二度と喧嘩なんてしない。誓ってね。


「その通りだぜ」


 フリッツは物騒な笑みを浮かべ周囲を見やった。


「生き残りたい奴は殺せ。武器を奪って喉を斬り裂くんだ」


 弱り切った素人衆に、可能か否かなど分からない。


「別の獄に女子供が居る奴は特に張り切れよ」


 何人かは、妻子と離れ離れとなっていた。


「女は死ぬまで回される運命だ。それを思って突き進め。手足がいかれても歯で嚙み千切れ! 地獄の底から罵倒しろ! お前らの全霊を賭して呪え!!」


 海賊向きの下衆な激だったが、多少の響く部分があったのかもしれない。


 座り込んでいた連中も重い腰を上げ、先へ進む意欲を見せ始めている。


「おっと忘れるところだった。ちょっと貸せ」


 そう言ってフリッツは、殺人鬼トーマスが持つ剣を借り受けた。

 

「蛮族どもは、虹彩こうさい認証が好きらしいんでね」


 口笛でも吹きそうな様子で、食事を運んで来た船員の眼球を綺麗にくり抜いていく。


 随分と手慣れたものね、とクリスは冷静な感想を抱いた。


 ◇


「た、大変です、神職様!」


 扉も叩かずアドリアの居室へ、女ソルジャーが転がるように入って来た。


「どうしたのですか?」


 下船に備え荷物の整理をしていたアドリアは驚いた様子で瞳を見開く。


 ソルジャーへの消し得ぬ恐怖心を抱いていたが、今回の航海で部屋付きとなった彼女に対しては好感を抱き始めていたのである。


「畜生どもが、奴隷が──眼を──ああ、ヴィンスが! 女神よ」


 女ソルジャーはアドリアの足許にしゃがみ込んでむせび泣き始めた。


 ──ヴィンスって、恋人の名前だったような……。


 アドリアと女ソルジャーは、互いの私事を多少は話すようになっていたのだ。


 ヴィンスはグレートホープ号の船員として、彼女は雇われソルジャーとして、盛大な結婚式を挙げる為の資金を懸命に貯めていたはずである。


「何があったのか、話してくれませんか」


 そう言ってアドリアは、相手の肩に手を置こうとするが、指先が震える事に気付き止めておいた。


 幾らか気を許せるようになった相手とはいえ、やはりソルジャーに触れるなど自分には無理なのだろう、と心秘かに息を吐く。


「ど、奴隷どもが叛乱を起こしまして──」

「まあ! では、まさか、ヴィンスさんが?」


 と、気遣う言葉を掛けつつ、奴隷の叛乱が起きたのなら、自分を逃がす算段が先なのではないのかと考えていた。

 船付神官の命は何をおいても優先されると神職院で学んだ記憶がある。


 ──でも、奴隷船は話が異なるかもしれないわ……。


 奴隷船グレートホープ号はμミュー艦では無いのだ。


 つまり、船付神官が絶命したとしても、航行に問題は発生しない。


 ──やっぱり、μミュー艦の神官は選ばれし存在なのね……。


 ミネルヴァ・レギオンのμミュー艦は、グレートホープ号をポータル面から送り出した後に別の宙域へと去っていた。


「はい。ヴィンスは喉を──優しかった瞳まで──ううう」

「なんと酷い」


 アドリアは自然と声が震えた。


 女ソルジャーへの同情心からではなく、自身の命が危機に晒されているという恐怖心からである。


 ──ああ、駄目、駄目。明るい側面、良い側面──何かあるはず。


「では、早く退治しないと駄目ですね──私のため──い、いえ、ヴィンスさんの為にも」


 船付神官の足元で泣き言を言っている場合ではない──と、アドリアは怒鳴りつけたかった。


「うう。その点はもう──」

「あら?」


 ──良い側面、明るい未来、バラ色の日々。


「既に畜生共は制圧済みなのです。神職様に裁可証人になって頂きたいと──船長が申しております」


 安堵したと同時に、父との約束を思い起こし頭が痛くなる。


 ──保護と言われましてもね。お父様……。


 ◇


 虜囚達は、精一杯の努力をした。


 クリス達に幸いしたのは、フリッツやトーマスが戦い馴れ──というより殺し馴れていた事と、船員達が殺傷せずに制圧しようと努めた点だろう。


 奴隷船の利益は、無事に運んだ奴隷の数に比例するのだ。


 とはいえ、雇われソルジャーと船員達とてやわではない。


 結局のところ奴隷蜂起は失敗に終わったのである。


 拘束された彼らは再び獄に押し戻されていた。


「──神職様」


 アドリアが来たのに気付いた船長は、二角帽子を取って頭を下げる。


「ご苦労さまです」


 と、応えながらアドリアは獄中を見回し、クリスティーナ・ノルドマンの生存を確認した。


「で、船長はいかなる裁可を下されるのですか?」

「その件ですが──」


 苦渋の決断となった船長が、悔しそうに顔を歪める。


「全員を縊り殺したいところですが、ノルマもありましてな。ここは涙を呑んで首謀者のみを放り出そうかと」

「ええ──妥当な裁可かと思います」


 アドリアはホッと胸を撫でおろした。


 首謀者一人を始末してしまえば、この下らぬ与太騒ぎも御終いである。


 後は予定通りクリスを危険思想者として与れば良い。


「賛成して頂けて良かった。では、そこのクリスとかいう小娘を外に放り出します」


 ──は、はいぃ?


「く、クリス!! バカな、私の娘を娘を──離せ──んがああッ」

「お姉ちゃんっ!!」


 暴れ狂う父フィリップは船員に抑えつけられている。


「だはら、ほれが、ふぼうひゃだって、ゆってるだろうぎゃっ」


 原型が分からなくなるほどに顔を腫らしたフリッツが叫ぶが、彼とて船員に抑え込まれている状況である。


「ち、違うそうですけど?」


 アドリアは祈るような思いで船長に問うた。


「いや、船員達の証言によれば、あの娘が先陣をきって指示を出していたのです。いつぞやも神職様に口答えをしていたそうですからな」

「あ、いえ、それはですね──」

「そうよッ!」


 アドリアの苦しい抗弁を遮るかのようにクリスは雄叫んだ。


「さっさと殺しなさい。例え死んだとしても、アフターワールドに召されるんだから、むしろ祝福だわっ!!」


 ──ああ、駄目──。矯正意見書なんて取り出したら逆効果に……。


 アドリアに残された手段は一つのみだ。


「今さら言うのは申し訳ないのですけれど、船長──」


 首謀者だけとしては、あらぬ疑惑が生じて自身の立場を危うくしかねない。また、メディアで報じられる可能性を考慮すると、目立つトピックを他に提供する必要もあった。


「全員をクィンクティが買い取ります」


 かくして、アドリアの父ルキウス・クィンクティは、破産しかねない出費を強いられる次第となる。

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