38話 100(ワンハンドレッド)。
「乗艦、確認されず」
ブリッジで報告を受けたトールは微かに息を吐いた。
既に、叛乱軍艦隊は白旗信号を発信し、重力場シールドを解除している。
戦果報告によれば、艦種問わずで轟沈、大破五百隻以上――と、完全に敵は継戦能力を失っていた。
白旗信号自体は早い段階で発せられていたが、戦時領邦協定を知らずか、あるいは手違いにより、降伏時に定められた重力場シールドの解除を実施しなかったのだ。
結果として、トールが想定したより大きな被害を与えている。
――今回も、たくさん
ともあれ、ウルリヒ・ベルツが、フェリクスポータル方面艦隊に居ない事は確認された。
「後は、ソテルか――」
ケヴィンが座るはずのシートに陣取るロスチスラフが呟いた。
このまま、ブリッジに居座るつもりなのかもしれない。
なお、ディアミド・マクギガンより、野人伯爵らしい打電を受けている。
――我、腐肉を炭にする。
九条発令の報せも届いており、トールは、エヴァンがマクギガン領邦の動きを追認した事実を知った。
ガバナンスの喪失を、既成事実化しない為であろうとも理解している。
とはいえ、ソテルポータル方面の叛乱軍艦隊に、現在の思い人であるウルリヒ・ベルツが乗り合わせていなければ何の問題も無い。
――始まってしまったのなら、ソテルは捨て置くしかないなぁ。
目の前に、ウルリヒが存する可能性が最も高い総督府があるのだ。
こちらの攻略を、まずは優先するのが必然であろう。
そのような事情で、現時点におけるトールの懸念はひとつを残すのみである。
――ゲート開放が先か――それとも――。
トールの懸念を反映したわけでもあるまいが、二人のオペレーターが対照的な声音で同時に報告を上げた。
「閣下、ゲート開放が始まりましたッ!」
「ランドポータル方面、質量多数の存在確率上昇を検知」
ひとつは、朗報である。
ジャンヌ・バルバストルが、管制センターを制圧したのだ。
後は、壁面砲の脅威はあれど、宇宙港に強制着艦し、さらなる白兵部隊を派出したうえで総督府を陥とすのみであった。
翻って、急報である。
ランドポータル方面に射出しておいた量子観測機の報告は、トールの懸念が想定より早く顕在化した事を示す。
カドガン領邦が動いたのであろう。
「来ましたか――」
内心はどうあれ、表面上のトールは落ち着いている。
――叛乱軍が、危なくなれば必ず直ぐに動くのか……。
もう少し後で、と期待する気持ちがあったのは事実である。
ベルニク領邦軍の艦隊のみで、カドガン領邦軍に抗する事は不可能、とトールは考えていた。
ゆえに、備えは有る。
些かの薄氷を踏む事にはなるのだが――。
「ロスチスラフ侯――」
「安ぜよ――
後の記録が示す通り、ロスチスラフ・オソロセアという男は――
「分かっています」
当然だとばかりにトールは頷き、言葉を続けた。
言質を欲していた訳では無かったのである。
「ええと、ただ、ボクの方は――」
ロスチスラフの記憶によれば、この時のトールは、心底から申し訳なさそうな表情を浮かべていたらしい。
「――食事会の約束は守れないかもしれませんね」
死を覚悟してのものであったのか。
あるいは、本心を語ったに過ぎないのか――。
◇
工作部隊でもある第四小隊の尽力により、ゲート開放シーケンスが開始されていた。多層式エアフィルターの活性化に時を要するとはいえ、数刻も過ぎれば実際に開放が始まる。
管制センターの敵は既に殲滅しており、管制塔内に残る叛乱軍の掃討も終えていた。逃亡する敵兵が多く、ホワイトローズ揚陸部隊は、多少の物足りなさを感じていたかもしれない。
民間人は既に逃げているが、管制塔一階にある出入口の閉鎖はしていない。
民生用の閉鎖機器であり、ナノ合金製の武装に対し意味を為さないからだ。
ともあれ、トール達が宇宙港に着艦するまで、管制センターに叛乱軍を立ち入らせぬ事が任務となる。
ジャンヌ・バルバストルは、管制センターに在った。
超硬ガラスを破砕したため、吹き曝しとなったフロアでは風が舞っている。
だが、頭部装甲により、髪をなびかせる事は無かった。
各隊の報告を受けながら、ジャンヌは外の景色にふと違和感を感じる。
北北東に、多数の黒点が見え――、見る間に大きくなっていく。
「輸送機――十機」
積み荷が兵士なら、百名ほどのペイロードは有りそうに見えた。
「およそ、千か」
ジャンヌの与り知らぬ事であるが、ウルリヒの指示は四百名の派出であった。
危惧したイヴァンナは、勝手に千名の兵を出したのである。
「一階入口を固めますか?」
第五小隊隊長が、ジャンヌに尋ねた。
損耗なく手元に百名の部隊は残っているが、十倍の兵力差は大きすぎる。
敵地降下部隊の宿命とも言えるが、撤退は許されず、撤退する場所も無かった。
――どうする。
さすがのジャンヌ・バルバストルも迷った。
兵力差が大きすぎて、こちらの兵を分散させる事は出来ない。
百の兵が固まり動く必要がある。
第五小隊隊長の想定通り、一階で守るか?
否――比較的低層な二階から侵入されれば挟撃の憂き目に遇う。
尚且つ高地を取られるのだ。
ならば、最も高地であるこのフロアに籠るか?
否――敵方が昇降機を手配すれば、文字通り包囲される。
四方は破砕した窓のため、狭隘な地勢とする事も不可能だ。
外を見れば、着陸した輸送機から、続々と兵士が降りてくる。
武器は長槍のようだが、極一部の兵士のみ珍しい形状の得物を持つ。
――あれは……。
暫し黙考するジャンヌの元に、第四小隊隊長が傍に寄る。
「少佐、ゲート開放が始まりました」
その報で、ジャンヌ・バルバストルは決断した。
「第一から第三は、丸盾に換装せよ」
ツヴァイヘンダーを背に差す音が響く。
「第四は、フロア内の全センサを無効化した後――」
もはや、管制センターなど不要である。
「――燃やせ。万年続く、太古の灯台とせよ」
彼女なりのジョークだろう。
◇
九百名の叛乱軍兵士が五列横隊で並び、管制塔を見上げていた。
「おいおい、燃えてるぞ!!」
輸送機を降り、管制塔前まで来た彼らを出迎えたのは、最上階から吹き上げる噴煙と炎である。
「ベルニクがやったのか?」
「――噂だけどよ――蛮族より野蛮らしいぜ」
「管制センターが燃えたなら、俺たち帰ってもいいよなぁ」
そんな囁きが、あちらこちらで交わされている。
元より低い士気であったが、敵の狂気を見せつけられ足がすくんでいた。
「貴様らあああああッ!!!」
彼らの後方に、熊のような大男がひとり立っている。
右手に長柄としたモルゲンステルンを握っていた。
いわゆる、棘の付いたメイスである。
大男は、その凶暴な
容姿、腕力、そして残虐性のみで、今回の指揮官に抜擢されたのである。
「管制塔に押し入れば勝てる。相手は百人だッ!!」
人数差で比すれば勝利は疑いようがない。
「引くな、進め。いいか、引くなよ。引けば――」
大男の後ろには、同じく長柄のモルゲンステルンを握る百名ほどの兵士が居た。
士気が皆無の兵を戦わせる方法は、古来よりひとつしか無い。
「――頭蓋を砕く」
「ほれ、阿呆のベルニクはシャッターも下ろさず、ロビーで突っ立っておるわ」
管制塔のエントランスは、ガラス張りのため中が見通せる。
数十人の兵士が、微動だにせず立っていた。
「行けッ!突撃ぃぃぃぃ」
と、叫ぶが動かぬ弱兵に、大男は業を煮やした。
モルゲンステルンを振り上げ、適当に選んだ後列の兵士の頭頂部を打つ。
頭部装甲があるとはいえ、恐怖と驚きで悲鳴を上げた。
構わず大男は何度も打ち付け、脳漿と共に兵をひとり減らす。
この凶行は功を奏したらしい。
残った兵士達は長槍を構え、奇声を上げながらエントランスに殺到した。
逃げているのか、攻めているのか、もはや本人達にも分からない。
半数ほどが、ロビーに侵入したところで、大男の視界に上空から奇妙な光が入る。
大男は慌てて背を見せると、意外な俊敏さで督戦隊の後方に駆けた。
危地に対する悪運の強さが有るのかもしれない。
直後、白い悪魔――ジャンヌ・バルバストルが、刃先と共に落ちて来たのだ。
立っていれば、既に事切れていただろう。
次いで、追うように落ちて来た兵が、彼女を囲むようにして立った。
「べ、ベルニクだッ!上から――おい、全軍戻れ、戻せ、殺せ、殺せえええいッ!!」
大男の叫びに反応し、残っていた兵の長槍が殺到する。
ロビーに在るのが、仲間の死体であると知った兵達も戻って来た。
「甲羅ッ」
ジャンヌの大喝で、第一から第三小隊は丸盾で周囲を覆う。
見た目には、亀の甲羅の如くとなった。
弾かれた数多の穂先が、耳障りな金属音を鳴らす。
百の兵は、敵兵の集落に在るが、一団の城を作ったのだ。
「下衆熊を斬る」
下衆熊とは、先ほどの大男であろう。
得物の割合を見た時から、下衆――督戦隊かと目していたのである。
奴隷に等しい敵ならば、下衆の頸を取れば良い。
「垣を抜けよッ!!」
横殴りの雨のように打たれる長槍を弾き、ジャンヌ達の城は進んだ。
「殺せ、殺せ、殺せ」
視界は悪いが、下衆熊は、大音声で下らぬ指示を出している。
本人としては必死なのであろうが、ジャンヌ達にとれば道標となった。
長槍の群れを抜け、いつしか重みのある打撃音が響き始める。
危険を悟った督戦隊が、ようやく味方ではなく敵に――ベルニクの甲羅にモルゲンステルンを振るい始めたのだ。
つまり、近い――。
「散ッ!!」
亀の甲羅が一斉に解かれ、内に隠れていた第四、第五小隊が、全方位にツヴァイヘンダーを突き出した。
第一から第三は、丸盾で周囲の敵を殴打した後、己の剣を背から抜く。
「血祭れッ!捧げよ、ベルニクに」
ジャンヌの叫びに呼応し、
ベルニク軍は、十倍に近い敵に包囲されている。
その外周に督戦隊が立ち、誰彼構わず長柄の凶器を振り下ろしていた。
怒号、悲鳴、剣風、打突、血煙、臓腑、脳漿――あらゆる不幸な音色が響く中、ジャンヌには一本の細い道が見えている。
その道を――愛剣と狂気を頼りに、ひた進む。
「き、来たぞ、おい、前へ立たんかッ!!」
下衆熊は、包囲を抜けつつある白い悪魔に気付き、辺りの督戦隊を自身に寄せた。
督戦隊は、モルゲンステルンの長柄を活かし、交差させて壁を作る。
「打ち殺せッ!こら、屑共、奴隷共、こっちだッッ!!!」
長槍を持った兵達が、ジャンヌの後背に殺到した。
意に介さず、それら全てを引き連れ、包囲を抜けた彼女が跳ねる。
「はが!?」
跳躍したジャンヌのツヴァイヘンダーが、モルゲンステルンの壁を突き抜け、彼女を下衆熊の足元へと
壁に削がれ、そのまま貫くに至らなかったのであるが、それで下衆熊の悪運も尽きる。
ジャンヌが、頭部装甲の無い顔面に一閃すると、鼻先から上が宙に舞った。
だが――、
彼女が抜け、未だ後背に在る敵は、あまりに多い。
下衆熊の死は奴隷にとって撤退の機であるが、場には勢いというものがある。
数多の槌頭と穂先が、ジャンヌ・バルバストルの背に襲い掛かった。
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