19話 覇道密議。

 聖堂閉居、初日の晩餐である。

 

 全ての諸侯と大司教が会する場であり、大食堂の巨大な円卓を、総勢五十九名で囲み夕餉ゆうげを摂るのだ。


 なお、十三名の枢機卿すうきけいも晩餐には同席していた。

 彼らの席は、円卓を睥睨へいげいするかのように一段高い位置に用意されている。


 円卓の席次がどのように決まるのか定かではないのだが、幸か不幸かトールの隣にはロスチスラフ侯が座していた。

 仇敵であるはずなのだが、今となっては是が非でも仲間とすべき相手である。


 ――親授式にも来てくれたしね。ドミトリさんは色々と教えてくれるし――何だか良い人達なのかなぁ。


 本人が聞けば、やはり狂ったかと頭を抱えそうな事をトールは考えていた。


「トール殿、これを――いかが思う?」


 野菜ばかりの料理に悪態をついた後、ロスチスラフが隣席のトールに声を掛けた。


「美味しいです」


 新鮮な野菜は美味しい。


「いや、席次の話だ」


 婿殿は、韜晦とうかいするのが得手であるな、などと勘違いを孕みつつロスチスラフは仔細を続けた。


「我らの向かいには、エヴァン公と選帝侯どもがおる。左から――」


 名はいずれ記すが、ここでは五人の選帝侯のうち二人という記述にとどめる。


「ははあ――仲良しで固まってるんですね」


 トールの記憶によれば、エヴァン公が救国の英雄たりえたのも、二人の選帝侯と手を結べたことが大きい。宮廷権力とグリフィス領邦だけでは、乱世の中を飛躍などできなかったであろう


「――他方、陛下といえば」


 トール達から見れば、右斜めの位置にいた。

 実直そうな男と隣り合わせとなり、面白くもなさそうに適当な相槌を打っている。


「父君の隣席と言えば聞こえは良いが――どうにも僻地な観があろう」


 先日、ドミトリから聞いた話に、真実味が出て来そうな親子に見えた。

 銀の髪である以外は、まったく似ていないのである。


 が、トールとしては、女帝の出自など現時点ではどうでも良かった。

 彼女が女帝でありさえすれば良いのである。


「なるほど」


 席次で物事が決まるわけでもあるまいが、何かしらの意味は持つ。


「となると、我々は仲が良いと思われているのですか?」


 直截な言い回しに、思わずむせたロスチスラフは、グラスに注がれた水を飲んだ。


「そ、そうかもしれぬな――いや、そうであろう。うむ」

「ボクもそんな気がしてたんです。あ、そうだ。この後、お時間ありますか?」


 ◇


 閉居というコンクラーヴェに伴う仕来しきたりは、特別な時間を諸侯達にもたらしている。


 平素、交流の無い相手との親交を図り、胸襟を開いて語り合うという有意義な――だけではない。


 強者に擦り寄り、恥も外聞も捨て思う存分に尾が触れる。

 あるいは、権謀を巡らし、他者を出し抜く好機ともなろう。


 聖堂内の様子を、女神の視点で見下ろせば、さぞかし滑稽な様相を愉しめたはずである。


 エヴァン公の元へは、訪問客が後を絶たない。

 翻って女帝ウルドの居室は、ひっそりと静まり返っていた。

 選帝侯達は、お互いの居室を往来し、何事かを申し合わせているようである。


 トールとロスチスラフとて、そんな喜劇の役者達に含まれていた。


「ボクは、謀略を巡らせています」


 開口一番、思いきり胸襟を開ききった男がいた。

 親交を深めるためでは無かったが――。


 場所は、ロスチスラフの居室であるが、この部屋とて質素で狭い。


 小さな丸テーブルを挟み、向かい合って椅子に座るさまは、父と息子の対面にも見えた。


「――む?」


 権謀と謀略で身を立ててきた男は、目の前に座る若者の瞳を覗いた。


 ――何なのだろうな、こやつは。


 ロベニカが常日頃から感じているように、とかく邪気が無い。

 そんな男が放つ謀略という言葉は、ロスチスラフには些か軽く感じられた。


 謀略とは、おのが我欲の為に、他者を騙し出し抜き――叩き潰す事である。

 軽々に修羅の道に踏み込めば、安らかに眠れる夜など無くなるのだ。


 老婆心からか、それとも気まぐれか、ロスチスラフは若造にひとつ説教をしてやろうと決めた。


「あのな、謀略とは――」

「今日か明日の夜には、陛下が殺されます」


 言いかけた言葉を、ロスチスラフは飲み込んだ。


「今日か明日――?」


 トールの読みでは、明日の夜であった。

 

 今夜時点で殺してしまえば、コンクラーヴェ延期という意見が大勢を占める可能性がある。だが、投票前夜か当日早朝となると、教皇だけでも先に決めておこうという心理が働く。


「その後、ベネディクトゥス星系で叛乱も起き、帝国は混乱するでしょう」


 ロスチスラフは、ベネディクトゥス星系の動きについては把握していないが、帝都で叛乱の兆し有りとの報は受けている。


 格差の縮まらぬ階級社会であれば、タガの緩みは叛乱を生む。

 背後で糸を引いている者からしたら、枯れ葉を燃やすより容易い事であろう。


「このまま進めば、宰相エヴァン公が暫定統治をし、レオ猊下を新教皇とした教会は彼と共に歩むはずです」


 とはいえ、暫定統治では治まらず、群雄が割拠する時代が幕を開ける。

 黄昏の帝国は、瓦解する理由を待っていただけであり、この流れは変えられないのかもしれない。


「陛下の下りには耳を塞いでおくが――理由はどうあれ、帝国が乱れれば、そうなるであろうな」


 そうなった時に自領が優位に立てるよう、これまでロスチスラフは奔走してきたのだ。


 だが、友誼のあるアレクサンデル枢機卿すうきけいは、事前票読みでは教皇選に敗れそうである。

 国交正常化に伴うグノーシス異端船団国との通商利権も叶わぬ。

 

 太陽系すら、謀略などとうそぶく若者のせいで手に入っていない――。


「困りました」


 小馬鹿にされているのだろうか、という思いがロスチスラフの脳裏をよぎる。


「ボクはとても困りました」

「ほう?」

「このまま群雄割拠の時代となれば、ベルニク領邦を守り切るなど不可能でしょう」


 ベルニク領邦が持つ経済力と軍事力では、いずれかの有力領邦の軍門に降るほか生き残る道は無い。


 ようやく、ロスチスラフも合点のいった思いがした。

 政略結婚を、謀略と混同しているのだ。


 ――若者が言葉を知らぬのは、いつの時代も同じよ。


 ――そこは、おいおい教えてゆけば良かろう。

 ――長女のフェオドラ辺りの婿にして、さっさと孫を――、


「ですから、全てをひっくり返す事にしました」

「ん――いや、最初は、前からの方が良いであろう」

「何をですか?」

「ふむ、何の話なのだ?」


 閨房けいぼうの件ではないと気付き、ロスチスラフは素知らぬ顔で問い返す。


「帝国が瓦解するのはよしとしまして――」


 政治機構には寿命があり、歴史には避けようのない大きな流れというものがある。

 とはいえ、ロスチスラフすら肝を冷やす物言いであった。


「――その際、ベルニク領邦が少しでも優位に立てるようにします」

「やはり、我が娘が欲しいのか?」

「いえ」


 父からすれば、トールは随分とあっさり首を振った。


「まず、アレクサンデル猊下には勝って頂きます」

「どのように?」


 ロスチスラフの質問を手で制し、話しを進める。


「コンクラーヴェ終了後、帝都と、ベネディクトゥス星系では叛乱が起きるでしょう。他でも起きるかもしれません」


 トールの期待するシナリオで進んだ場合、叛乱の規模はベネディクトゥス星系に留まらないと考えているのだ。


「帝都の叛乱は捨て置き、我々は一路ベネディクトゥス星系を目指しましょう」


 いつの間にか、トールの話す主語が「我々」になっていたが、あえてロスチスラフは看過した。


「我々は叛乱軍を平らげた後、銀河に覇を唱えます」

「反乱軍如きを討伐して覇を唱えるなど噴飯ものであろう。そもそもだな、帝都から戻るだけで一週間は掛かる。その間に、他の連中が討伐しようさ」


 そうですよね、とトールは呟き頷いた。

 

 勝手に覇を唱えるのは自由だが、帝国の威光が完全に潰えぬうちでは、勅命により討伐対象となるだけであろう。

 女帝が殺され空位の場合は、宰相が代理で勅命を下せるのだ。


 だが、トールは前言を撤回しなかった。


「――まずは、女帝が殺され、そして、アレクサンデル猊下が教皇になる」


 ロスチスラフには、何の裏付けもない戯言たわごとに聞こえた。


「ここまでが本当に実現したら、当面はボクを信じて、ついてきてくれませんか?」


 婿養子として後背を守る手駒にしようとしていた相手が――この台詞である。 

 ついぞ可笑しくなり、ロスチスラフは笑い出してしまった。


「ついてこいとは、面映おもはゆいわ」


 だが、この時、己が感じた直感を思い起こす。


 ――あれは、敵に回すべき男ではない。


 ゆえにこそ、婿として取り込もうと考えたのだ。


「まずは、仔細を聞かせよ。いらえは、その後でも良かろうな」


 興の乗る夜になりそうだと、ロスチスラフは思った。

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