18話 今際の際。(いまわのきわ)

 詩編大聖堂の周辺は、厳重な警戒態勢が敷かれていた。


 警察機関による警備が主軸ではあるが、女帝ウルドを守護する近衛師団、そしてブリジット率いる天秤衆まで馳せ参じている。

 各国諸侯が国許から連れて来た護衛官も多数いるため、平素、閑静な聖堂近辺は、一変して物々しい様相を呈していた。


 とはいえ、聖堂内に連れていけるのは、その身分に関わらず従卒二名までと決まっている。

 従卒の立場は問われないが、秘書役とメイドを連れて行く者が大半である。


 そのような次第で、トールは、首席秘書官ロベニカとメイドのマリを伴い、詩編大聖堂の正門をくぐった。


「トール殿ではないか」


 敷地内に入って、すぐに声を掛けてきた人物がいる。


「え、あ、これはこれは――エヴァン公」


 天秤衆ブリジット、そして大柄な男と話し込んでいた宰相エヴァン・グリフィス公爵である。

 トールに気付き、会話を中断してまで、挨拶を交わすという意思を示した。


「腕はすっかり良くなられたのだな」


 道化に刺し貫かれたトールの左腕を見やりながら言った。

 医官の見立て通り、アポロニオス結束体にて全癒している。


「ええ。この通りです」


 そう言いながら、トールは腕を振って見せた。


「慶事であるな――おお、そうだ、次いでと言っては彼らに失礼なのだが――」


 エヴァンと会話をしていた大柄な男が、トールに対して目礼をした。

 銀の髪――ピュアオビタルである。


 他方のブリジットは、微笑みを浮かべたままトールを見詰めている。


「フィリップ・ノルドマンと申します。以後、良しなに。噂の英雄に会えたと、娘に伝えましょうぞ」

「トール殿、彼――フィリップ伯は、禁衛府きんえいふ長官の職務が多忙でな。教皇領のご息女ともなかなか会えぬ」


 エヴァンの言う禁衛府きんえいふ長官とは、帝国近衛師団を所轄する廷臣であった。

 禁衛府きんえいふ長官であるフィリップ伯は、領地を持たぬいわゆる宮廷貴族となる。


 爵位としてはトールより上位となるが、職位としては領主の立場が上位なのだ。

 このような場合、帝国作法では職位が優先される習わしであった。


「それは、お嬢様も寂しいですね」

「いやなに、娘は女神ラムダの御許におりますからな。何よりあそこは――」


 禁衛府きんえいふ長官フィリップが言い終えぬ間に、ブリジットが口を開いた。


「プロヴァンス女子修道院から参りましたブリジット・メルセンヌでございます、閣下。お目に掛かれて光栄に存じます」


 プロヴァンスの名を出せば、天秤衆であると公言したも同然である。


 この人が――と、衣服から予想はしていたが、トールは感慨深いものを感じ彼女を見た。


 ――天秤衆って残酷だけど、服はその――えっちだよね――。


 素直に言って、トールは少しばかり胸の動悸が早まっている。

 自身を地獄に堕とそうとしている相手であるが、ゆえにこそ淫靡さを感じたのかもしれない。


「二人には、改めて厳重な警護を依頼していたのだ。ここは我々のみならず――陛下もおわす場所となるのでな」

「そうですねぇ――。ボクからもよろしくお願いします」


 心の内は分からぬが、礼儀としてトールは二人に頭を下げた。


「それはそうと、確か宴でもお見受けしたのだが――」


 エヴァンは、トールの後ろに控えているメイドのマリへと目線を移す。


「――見事なバイオレットであるな」


 ◇


 閉居中、聖堂内では、ニューロデバイスが使えなくなる。


 EPR通信とニューロデバイスに対するECMが作動している為だ。

 教皇選挙への外的要因を排する為とされているが、コンクラーヴェの秘儀性を保つ目的もあるのだろう。


 ――屋敷の地下にも同じ仕掛けがあるのかな。


 割り当てられた居室に入り、トールは壁や床の様子を調べている。


 詩編大聖堂には多数の居室があるが、いずれも修道士用であるため質素な造りとなっていた。

 この部屋で、身分の上下に関わらず二日間を過ごすことになるのである。


 ――けど、思った通り聖堂の中は、警備が手薄だなぁ……。


 外部からの侵入者には備えられているが、よもや諸侯同士で斬り合うなどとは想定していないのだろう。

 ただし、部屋の施錠は出来るようである。


 ――陛下の従卒に道化さんがいれば――殺す機会はあったよね。


 だが、現状ではイリアム宮の獄に繋がれているのだ。


「入ってよろしいですか?」


 部屋の扉を叩く音がした。


「ええ、はい。どうぞ」


 いらえを返すと、ロベニカとマリが、扉を開けて入って来る。

 従卒は二名で一部屋らしく、二人にはトールの隣に位置する居室が割り当てられていた。


 ――お風呂ってあるのかな。ロベニカさんとマリは、お風呂に入りたいよね。お風呂に入らないと……。


「トール様、呑気な顔をしている場合ではありません」


 彼の余計な想念は、ロベニカの真剣な声音で中断される。


 ――そんなに呑気な顔――してたのかな。


「時間も無く不明点も多々あるのですが、確かに存在するようです」


 睡眠を取る間も無かったらしく、心なしか目元に疲れが見えた。


「人間ってねぇ――宇宙時代になってもワクワクしますね」

「私はドキドキしますが――とりあえず記憶はしてきましたので――」


 言いながらロベニカはうなじに手を伸ばしたところで、依存しているデバイスが使えない事を思い出す。


「アハハ、これにお願いしますね」


 用意しておいた紙とペンを、トールは手渡した。


「結局、最後はコレなんですよ」


 ◇


 メイドのマリは部屋の隅で控え、トールの様子を窺っている。


 テルミナが全てを明かしたであろうと分かっていた。

 道化が落とした写像を拾い、未だに自分が持っている事も知っているのだろう。


 だが、彼はマリを問い質さない――。


 写像を見た時、彼女は旧い記憶、深い内奥に眠らせていたはずの記憶を思い起こされたのだ。


 ベルニク領邦に来た当時の記憶はあまり無い。

 新しい親が出来て、新しい生活が始まったのだと理解するのに、長い歳月を必要とした。


 いつかは本当の父と――そして母が迎えに来るはずだと思っていたのだろう。

 母は、バイオレットの髪を風になびかせながら、きっと自分を抱きしめ、独りにした事を詫びた後にこう言うはずなのだ。


 ――愛しているわ――私のマリーア。


 そして、聞き馴れぬ音節だが、美しい声で歌ってくれるだろう。

 マリと家族が愛した歌を聞かせてくれるだろう。


 安らかなる眠りに落ちるまで――。


 この全てが、有り得ぬ妄想だと気が付いたのは、悪夢にうなされ目覚めた、ある夜であった。

 

 繰り返し夢に出る光景――。


 天秤を背に描いた大人達が、マリの世界を壊す。

 慈愛に満ちた顔で、美しい言葉で、女神を称えながら壊していく。


 悲鳴と怒号が響くなか、最後に聞いた父と母の言葉は、愛でも呪いでも無く忠告であった。


 ――誰も信じるな。


 こうして生き残ったのは、マリと写像で見た姉妹だけとなる。

 

 悪夢に耐え切れなくなった彼女は、新しい母に問うた。

 

 彼女はマリの髪を優しく撫でるが、豊かとはいえぬ暮らしのせいか、その手は柔らか味を失っている。

 目を赤くしながら、マリに長い物語を聞かせた。


 繰り返し見る悪夢は夢ではなく、記憶の反芻であったのだ。


 ゆえに――、


 強くあり、誰にも心を許してはならない。

 

 人は裏切る。

 人は残酷だ。

 人は――きっと鬼になる。


 その全てを、自身の幼き瞳で見た。


 ――なぜなら、私はマリーア・ベルツなのだから。


 誰にも心を許してこなかった。


 己の周囲に厳然とした高い壁を張り巡らせ、相手の真意を読み取ろうと全神経を傾けて来たのだ。


 だが――、


「いやあ、でも、お風呂が無いのは困りますよね?」

「二日ぐらい大丈夫ですよ。ケア用品も持ってきましたから。それより――」

「そ、そうなんですか――ええと――どんなのかなぁとか」

「――」


 ロベニカは冷たい眼差しを送っただけで何も答えなかった。

 真剣な話しをする前に、気分転換が必要なのだろうとマリは判断する。


「お茶を持ってくる」


 返事は待たずに部屋を出て、昏い照明の通路を厨房に向かって歩いた。

 期せずして、思わず独り言が漏れる。


「困った――」


 誰かを信じたいと思った時――どうすれば良いのかを、マリは教えられていないのだ。

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