10話 三人の目。

 教皇逝去から二週間後に、帝都の詩編大聖堂にてコンクラーヴェが執り行われる。


 その間、帝国臣民は喪に服する期間となるが、社会システムが停止するほどの事は無い。

 むしろ、各国要人が帝都に集まるため、業種によっては降って湧いた繁忙期となる。


 とはいえ、領邦間同士の争い事は許されず、例え交戦状態にあったとしても休戦する必要があった。


 教皇選挙において投票権を持つ各諸侯と、各星系を巡回する大司教達は、いかなる事情があろうとも帝都に集うのだ。

 彼らは、投票日の二日前から新教皇が選出されるまで、詩編大聖堂に閉じ込められる。


 なお、そこには女帝も含まれた。


「そこで、何か良からぬ事が起きるのですか?」


 ジャンヌは、トールの左腕を痛々しそうに見ながら問うた。


 あの後、イリアム宮敷地内にある医療施設で、止血と細菌感染などへの措置は済ませていた。

 創部そうぶについては、アポロニオス結束体で覆っておけば、一週間程度で全癒ぜんゆに至るとの診断が為されている。


「はい」


 トールが知る筋書では、大まかには以下の流れとなるのだ。


 1.グノーシス異端船団国との国交正常化への動きを教皇が知る。

 2.教皇逝去。

 3.コンクラーヴェに伴う詩編大聖堂閉居中に、道化が女帝を殺害する。

 4.直後に、ベネディクトゥス星系で叛乱が起きる。

 

 こうして、エヴァン公による暫定統治も虚しく、帝国は群雄割拠の時代を迎えるのである。

 無論、幾多の争いを乗り越えた後に、エヴァン公は救国の英雄へと飛躍していくのだが――。


 ともあれ、国交正常化への動きは無いが、教皇は逝去した。

 ならば、以降の事象も発生する可能性が高いと判断したのである。


「理由は説明が難しいのですが、陛下の身に危険が及ぶかもしれません」

「閣下ではなく、ウルド陛下に?」


 ジャンヌ同様、他の面子も不思議そうな表情を浮かべた。

 宴で襲われたのは、トール自身であったからだ。


「少しばかりセキュリティが緩むと思うんです」


 詩編大聖堂に要人が一同に会するわけである。

 厳重な警戒態勢とはなろうが分散されるため、イリアム宮内よりは女帝の安全度が劣化するだろう。


 ――実際、道化さんは、そこで陛下を殺害するわけだしね。

 

 そのため、これまでも何度か、聖堂閉居の慣例を廃止する動きはあった。

 都度、ラムダ聖教会の頑強な抵抗にあって、とん挫するのであるが――。


「ヘーカの心配なんぞより、テメェの身を考えた方がいいんじゃねぇのか?」


 卓上に足を載せ、後頭部で後ろ手を組んでいるテルミナが言う。


 場所は、ベルニク領事館の会議室であった。

 粗相が過ぎれば、後から領事に嫌味の一つでも言われそうではあるが、他に適当な施設も無いので集まっている。


 メイドのマリは体調が優れぬらしく、ホテルで休んでいた。


「道化のオッサンも逃げおおせたわけだしな」


 ――まさか、逃げ切るとは思わなかったなぁ。

 ――ただ、そうなると、イリアム宮の内部に協力者がいるとしか考えられない……。


 道化が捕まっていないという点も、トールの心中では、女帝殺害の確度を高めていた。


「正直に言えば、陛下を心配しているわけでは無いんです」

「と、トール様?」


 不穏な発言が飛び出しそうな予感に、ロベニカは狼狽え気味の声を出す。


「やはり、因果応報と言いますか――陛下って悪い人じゃないですか」

「わーわーわー!私は何も聞こえてませんよぉ」


 両耳を塞ぎ、ロベニカが頭を振った。


「あ、すみません。言い過ぎましたね」

「い、いや――もっと――もっと言えよ」


 テルミナが荒い息遣いで身を乗り出す。

 

「ええと、ボクが心配しているのは、結局のところ太陽系だけなんです」

「ご領地――ですか?」

「万が一にも陛下が崩御されたならば、帝国はかなり揺れるでしょう」


 彼女達には明かしていないが、「巨乳戦記」通りに進むのであれば、ベネディクトゥス星系の叛乱まで起きるのだ。


「現状で、領邦同士の争いが激化した場合、ボクたちはあまりに非力です」


 帝国というかせが完全に緩んだ時、オソロセア領邦あたりに本気で攻められれば、現有戦力ではかなうべくもない。

 気は進まないが、先方が買い被っている間に、ロスチスラフの娘をめとる事まで内心では検討していた。


 ――防衛体勢については、パトリック大将を信じよう。

 ――月での準備は、ケヴィン准将が進めてくれているはず……。

 ――となれば、帝都の方はボクが頑張らないとね。


 夢かうつつかを悩まぬと決めた時――。


 思えば、そこから彼は、ベルニク領邦領主として、家臣と領民の行く末を真面目に考え始めていたのだ。


「ですから、最悪の事態に向けて出来る限りの準備が必要です。何があろうとも、ボク達は領邦へ戻り動乱に備えないといけませんから」


 ――最初の難敵は、教理局なんだけど……。


 トールは、いつになく真剣な表情を見せた。


「も、勿論です」「何なりと、閣下」「――んだよ」


 三様のいらえを返す。


「ええ――まずは、中華料理を食べに行きましょうか」


 ◇


 辺境とはいえ、領邦領主が訪れるような店では無かった。

 だが、すこぶる満足そうにトールは食している。


「こういう味も懐かしい――いや、ええと、ともかく美味しいですね」


 周囲の客は、トールが持つ銀色の髪を物珍し気に窺っていた。


「――セキュリティに難はありますけど」


 ロベニカは、箸の使い方を、苛立つテルミナに教えながら呟く。


 数人の護衛官を潜ませているとはいえ、彼女達だけで訪れるのとは訳が異なるのだ。

 だが、トールにどうしてもと請われ、結局は来てしまった。


「まあ、ゲストの為ですよ」

「え、ゲストって一体――」

「どうも」


 問おうとしたロベニカの背後に大男が立った。


「良かった。来てくれたんですね」

「――銀の誘いを断れる平民なんざ、おりませんよ」


 剣闘士トジバトルである。

 

 無礼な口ぶりの中にも、少しばかりの躊躇いが感じられるのは彼らしいところであろう。

 自身の地元で衆目に晒されているため、イメージ戦略との板挟み状態にあるのだ。


「もっとも、平民を誘う酔狂な御仁も珍しいでしょうが。おまけにコレだ」


 自身の黒髪を指差しつつ、丸テーブルを囲む椅子に腰かけた。

 隣に座るテルミナと比べると、巨人族とホビットという様相を呈する。


「いえいえ、良く来て下さいました。昨夜の御礼も兼ねてお呼びしたんです」


 トジバトルが、道化の左に握られた短刀を弾かねば、今ごろアフターワールドの存在有無に白黒つけられていたかもしれない。


 ――いや、白黒つくのは、アフターワールドが在った場合だけか……。


「ほう?」


 敏い男は、それだけでは無かろうと見抜いている。

 余計な段取りは省き、本題に入るよう目線で促した。


「アハハ。実は、お願い事もあるんです」

「でしょうな」


 そうでなければ、モンゴロイド系の平民に会うため、銀の貴族がダウンタウン地区に足を運ぶはずもない。


「ただ、生憎あいにくと、剣闘士以外を殺める商売はしておりませんので――」


 似たような依頼は、これまでも何度かあった。


 女帝の児戯じぎに応じるのであれば、政敵を始末するのも同じであろう、といった具合である。

 トジバトルに言わせれば、両者は全く性質が異なる。


 公衆の面前で、なおかつ余興であるという建前と、女帝からの依頼という事実が、トジバトル自身の安全を担保するのだ。

 貴族連中に言われるがまま人を傷付けてしまえば、あっという間に足元をすくわれるだろう。


「いえいえ、そんな物騒な話しではありませんよ。ただ、トジバトルさんは好きじゃないかもしれません。ちなみに、ボクは、あまり好きではありませんね」


 奇妙な御仁は、奇妙な事を言うものなのだな、とトジバトルは思った。


「トジバトルさんは、命の恩人ですから――」

「遅くなりました」


 その声を聞きつけたロベニカは、露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

 新たなゲストの登場であるが、隣に見知らぬ男を連れている。 


「トジバトル氏への勲章親授式は、エクソダス・Mが、帝都にて盛大に執り行わせて頂きます。現地メディアの協力で、ダウンタウン地区でもライブキャストされる事が決まりました。つい先ほど――ね?」


 ソフィア・ムッチーノは、引き連れて来た男に流し目を送る。


「そうですな。いやはや、ソフィア嬢にはかないませんな、ワハハ」


 エクソダス・Mは、社主の志とは裏腹に、トールに入れ込むソフィア・ムッチーノによって、著しく政府系のメディアに変貌しつつあった。


 ◇


 広い店内と喧騒のため、トール達は気付いていなかったのだが、中華料理店における一幕を興味深く観察している人間が三人いた。


 一人はトジバトルと同じ黒髪で、この店で昼食を摂る事が日常となっている女である。トール達には背を向け耳をそばだてていた。


 一人はテルミナのみが知る顏であるが、諜報活動を本職として来た男であるため、尾行相手に気付かれる事は有り得ない。祖国と己の性癖を満たすため、現地にて情報収集中である。


 そして、最後の一人は深くフードを被り、その美しいかおを隠していた。


「元気そうで良かったわ――私の――テルミナ――」

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