4話 情け無用につき。

 トールがとマリが、権謀けんぼう渦巻くイリアム宮にいた頃――。

 

 ロベニカ達とて、帝都観光を楽しんでいた訳では無かった。

 それぞれに所用があったのである。


「アタシが?今さら?太陽系に?」


 矢継ぎ早に質問を重ねた女は、イライラした様子で箸を置いた。

 

「あのアホ領主の為に?」


 ロベニカは、無言で帯剣を抜こうとしたジャンヌの腕を慌てて掴んだ。


 ダウンタウンエリアの外れに位置し、少しばかり治安の悪い中華料理店にいた。

 広い店内の中央にある空間照射モニタでは、コロッセウムにおける剣闘士の闘いがライブキャストされている。


 他人の殺し合いを見ながら食事をするなどと、およその客層が知れる店ではあるが、異邦人が刃傷沙汰にんじょうざたを起こせばメディアの餌になるのは明白だろう。


 それが、今話題となっている領主の随行員ともなれば猶更である。


「き、気持ちは分かるのよ。リンファ」

「私は分かりませんわ」


 ジャンヌは過去のトールを良く知らないし、彼女にとって絶対忠誠を誓う神の御子みこなのだ。

 いかなる否定的見解であれ、受け入れる余地など無かった。


「分からん奴がいるようだが?」


 こうして、絶妙に噛み合わない会話が、先ほどから繰り返されていた。


「ともかく一度会って貰えれば、きっと考えが変わると思うの」

「ふぅん?」


 リンファ・リュウは、疑わし気な目付きで旧友を見やる。


 数年前まで、内務省経済政策局で働いていた優秀な官僚だった。

 首席秘書官のロベニカとは、しばしば食事を共にする仲でもあったのだ。


 オビタルとしては非常に珍しいモンゴロイド系の血筋で、つややかな黒髪が特徴である。帝国が計画的に遺した希少遺伝子という事になろう。


 そんな彼女が、内務省を辞しベルニク領を出奔しゅっぽんした原因は、かつてのトール・ベルニクにあった。


 旧トールは、彼女に対して病的なまでの執着心を示していたのだ。

 週に一度報告に上がる内務相へ、報告時には彼女を随員に含めるよう厳命していたほどである。


 当然ながら、さらにアグレッシブな行動も取っていた。


「ホントに気持ち悪かったよ。やたらと髪の毛を触らせろだの何だのと――」


 執心していたのは、彼女の美貌でも、また豊かな胸元でもなく漆黒の髪だったらしい。

 ただし、その理由は不明なのであるが――。


「大丈夫。今のトール様なら、そんな事はぜっっったいに無いから!」


 ただし、胸元をチラチラと見るへきがある点については黙っておいた。

 ロベニカとしては、どうあってもリンファ・リュウに戻って来て欲しかったのだ。

 

 蛮族を追い払ったベルニク領邦であるが、経済的苦境にある事実に変わりはない。

 財政規律を立て直し、早急にまともな経済政策を打ち出して、領邦経済を上向かせる必要がある。


 帝国が混乱するのであれば、安全保障上も必須要件となるだろう。


「お願い、あなたの力が必要なの」


 ――ロベニカさん。内政――特に経済を任せられそうな人はいませんか?


 トールから、そんな相談を受けたのは、帝都に来る直前の事だった。


 ――どうも、今のままでは一向に良くならない気がしまして……。


 その様子から、かなり思い切った人事を考えているのだとロベニカは察した。


 帝都に着く直前まで、EPRネットワークを使い有望な人材のリサーチを行っていたのだが、ヘッドハントリストのトップに躍り出たのは、目の前にいるリンファ・リュウなのである。


 内務省経済政策局の局員だった当時、リンファは数々の経済施策を奏上していたのだ。

 既得権益者との軋轢あつれきを嫌った上層部に握りつぶされてはいたが――。


 彼女の施策は何れも納得のいく内容であり、念のためマクロ経済学を専攻した知人の査読も受けていた。


 結果として、是が非でも迎え入れたい相手となった次第である。

 問題は、過去の経緯から、彼女がトール・ベルニクを全く信用していない点にあった。


「そう言われてもね――。アタシはここでもう働いてるしさ」


 とはいえ、彼女が指定したランチ場所を鑑みると、経済的に恵まれている様子は無い。モンゴロイド系は、帝都において少しばかり差別されているのだ。


「信じられないかもしれないけど――本当にトール様は変わったのよ。だからこそ蛮族だって――」


 必死なロベニカの言葉は、突然沸き起こった店内の喧騒に搔き消されてしまった。

 そもそも、賑やかな店内ではあったのだが、狂った様に人々が歓声を上げ、卓上の皿を叩き始めたのだ。


 何事かと周囲を見回している間に、徐々に収まっていった。


「――ほら、あれ」


 リンファが顎で示した先にある空間照射モニタには、黒髪の剣闘士が血糊の付いたサーベルを持ったままインタビュアーの質問に答えている。


「ここら出身の剣闘士だよ。これで三十週連続の勝利みたい」


 先祖返りも甚だしいが、命のやり取りをするコロッセウムは、庶民にとって人気の高いコンテンツなのであった。


 帝国もこれを奨励しており、あるいは専制主義体制への不満を反らす狙いがあったのかもしれない。


「そうなの」


 あまり興味の無いロベニカだが、説得を畳みかける機を逃したような心持で漫然と映像を見ている。


 ――見事な勝利を飾ったトジバトル剣闘士ですが、明日の戦勝祝賀会に招待されているそうですね?


「――ん?」


 ロベニカとジャンヌは、思わず顔を見合わせた。


 ――陛下のご希望で、ベルニクの英雄と剣技を競われる事が急遽決まったという噂があるのですが……。


「え――な、なに――何なの?」


 幻聴であってくれとロベニカは切に祈っている。


 ――そうだ。


 剣闘士トジバトルは重々しく頷いた。


 ――陛下からは、情け無用と言われている。ゆえに――ベルニクは明日、死ぬ。

 ――さ、さすがに、不味いのでは――。


 焦るインタビュアーなど気にする様子もなく、トジバトルは犬歯をむき出しにして獰猛な笑みを見せた。


 ――それも、そうだな。腕の一本か二本程度にしておくか。


「あ、あの――アホがあああああああッ!!」


 ロベニカの絶叫が店内に響く。


 確かにトール・ベルニクは変わったらしいな、とリンファは思った。


 ――アホにより磨きがかかったようだ。

 ――帝国も荒れそうだし、太陽系には決して戻らないでおこう。


 ◇


 さて、テルミナ・ニクシーである。


「オラ坊主、もっと優しくしろ」

「ク……」


 ロベニカ達がいる中華料理店からほど近い、ダウンタウン地区の聖堂にいた。

 聖堂付司祭は追い払って、告解室にて、くだんの大司教と二人きりである。


「こ、この屈辱――忘れぬぞ」

「うるせえな。ご褒美みたいなもんだろうが」


 椅子に座ったテルミナの足を、跪いた大司教は按摩あんまなどさせられていた。


 オリヴァーは大司教がこれまで行ってきた数々の悪行と不道徳を掴んでいたのだ。

 取り調べの課程で、その全ては憲兵司令部特務課の知るところとなり、早速テルミナは有効活用する事にした次第である。


「ふざけた事を――」


 不満そうに言いながらも、大司教は自身の心の内を正視してみた。


 ――ん――い、いや、確かにご褒美かもしれんな。フホ、フホホ。


 少しばかり、やる気の出て来た大司教である。


「で、テメェ如きではどうにもならん事までは分かった」

「教理局はどうにもならぬ。レオ枢機卿すうきけいの威光が強すぎるでな」


 レオ枢機卿すうきけい――。


 正義感が強く、信仰心も篤い。あらゆる不義不正を憎み、聖人とまで言われている。

 また、教理局と天秤衆に対して特に強い影響力を持っていた。


「テメェの親玉はどうなんだよ?」

「こ、これ、小娘。さすがに不敬が過ぎよう。アレクサンデル枢機卿すうきけいとお呼びしろ」


 大司教が属する派閥の領袖りょうしゅうであるアレクサンデル枢機卿すうきけいは、レオ枢機卿すうきけいとは異なり、かなり世俗的な人物である。

 いや、むしろ悪党であったかもしれない。


「それは分からぬ。微妙な時期でもあるしな」

「――ん――微妙?」

「い、いや、何でも無い」


 ――蛮族との国交正常化以外にも、まだ何か隠してやがるな……。


 とはいえ、現段階で締め上げるのは尚早だろうとテルミナは考えた。

 まずは、トールの希望を叶える必要がある。


「ま、いいや。テメェは、うちの大将とそっちのボス猿が、二人だけで会えるようしっかり手配しておけよ。念を押しに来てやったんだからな」

「分かっておるわ――小娘が――まったく」

「あと、明日のパーティでは、ヨタヨタ近寄ってくるんじゃねーぞ」


 ベルニク領邦を巡回地区に含む大司教も、明日の戦勝祝賀会に招待されていた。

 

 だが、宮廷における催事では、どこに監視の目があるか分からない。

 テルミナは、大司教との関係性について、周囲に勘繰られる事を警戒しているのだ。


「ふん。当たり前じゃ」

「――よし、んじゃ、ご褒美タイムは終わりだ」

「――」


 どういった表情を作れば良いのか分からぬていで、幾分か名残惜しそうに大司教が手を離した。


「きっちり仕事してくれれば、もっと、すごぉいご褒美をあげちゃうね☆」


 大司教が喉を鳴らす。


 ――利用価値が無くなりゃ、超特大の褒美をくれてやるよ。


 この当時のテルミナ・ニクシーには、情けなどという概念が無かった。


 名も無き大司教――彼の末路に興味を抱いたなら、べドラムゴラ医療センターの特別病棟を訪問してみて欲しい。

 責任者の機嫌が良ければ、素数を暗唱し続ける老人と出会えるだろう。

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