3話 波乱の芽。

 トールの非礼を、無意識にやってのけたと考える宮廷人などいない。


 彼らは、眼差し、声音、言葉尻、席次――あらゆる事に意味を求め、自身の立場を強化し、競合相手を出し抜くために利用してきた生き物なのである。

 辺境領主の非礼を、女帝ウルドへの意趣返しであると考えた。


 蛮族に侵攻されたベルニク領邦に対し、帝国は何ら支援をしなかった事実がある。

 

 帝国直属の艦隊は無理にしても、周辺領邦を動かす努力すら怠ったのだ。

 実際には、肝心の周辺領邦が、異端の蛮族と手を結んでいた訳であるが――。


 ともあれ、外形的には辺境領主が、女帝に対して恨みがましい思いを抱いたとしても何ら不思議は無かった。

 当然ながら、女帝ウルドもそのように考えたのである。


 ――こ、この――ド腐れ田舎領主がッ!

 ――余を虚仮こけにしてくれた事、プルガトリウムにて悔いるが良い。


 プルガトリウムとは、大罪を犯したピュアオビタルが堕とされる量子煉獄である。

 銀の冠を戴いた状態で、事象の地平面にてアフターワールドへも召されず、生物的死という概念を失う。


 帝国における最も重い刑罰であり、過去にも何名かはプルガトリウム送りとなっていた。

 施設の場所は秘されているが、ヴォイド・シベリアであろうと言われている。


「そなたの奇矯、長旅の疲れもあろうな」


 必死に清楚さを保とうとしているが、漏れずる癇気かんきを完全に抑え込むなどウルドには不可能であった。


 ゆえに、いっそ凄惨な表情にも見える。


 謁見の間に集う人々は、女帝の怒りが自身に及ぶのを恐れ、一様にかおを伏せていた。


 ――が、この座興を見逃すまいとする物好きもいる。


 宰相エヴァン・グリフィス公爵は、意図を探ろうとするかのようにトールを凝視していた。

 取りなすタイミングを図っているのかもしれないが――。


 そして、他方の物好きは、道化である。


 彼は、トールの初手を耳にした瞬間から、床を這うようにして衆人の前に進み出ていた。

 平素であれば、廷臣や衛兵に咎められるか足蹴にされるところであるが、今は誰も下賤の道化になど注意を払っていられない。


「そうですね。疲れてはいますけど、良い船でしたから元気ですよ」


 などと、少しばかり呑気すぎるいらえを返した。


 トールとて、女帝の怒りには気付いているし、周囲の空気が張り詰めている事も理解はしている。

 かといって、状況を改善する方策など持ち合わせてはいない。


 ――ボクってロベニカさんみたいな人がいないとホントに駄目なんだな。


 トールは、他人事のような感慨を抱いていた。


 女帝に対して、さしたる関心が無かったせいもあるだろう。

 胸の豊かさが足りないため――という訳ではない。


 ――可哀相だけど、もうすぐ殺されちゃうんだよね。


 それこそが、群雄割拠する戦国時代の幕開けとなり、彼が愛した「巨乳戦記」における本格的な戦記物語が始まる起点となるのである。


 ――とはいっても、同情する気もなかなか起きないんだよなぁ。


 内裏だいりにおける秘事を、彼は物語を通して知っていた。

 三人の宰相が非業の死を遂げた責任とて、衆目の疑惑通り女帝ウルドが絡んでいたのだ。


 常識人であると自任する彼が好むタイプの人物ではない。

 幾分か素直過ぎる心情としては、完全にエヴァン公寄りなのであった。


「ほう――元気――とな」


 女帝ウルドも、そろそろ腹を決める必要があると考えている。


 絡め手を使い、徐々に堕としめてゆこうと企図していたが、不敬の言い訳にと差し出した助け船まで撥ねのけるような男を捨て置く訳にもいかないのだろう。


 とはいえ諸侯を、しかも武勲を立てたピュアオビタルを、即座にヴォイド・シベリア送りに出来る程の権勢を、昨今の女帝は持ち合わせてはいなかった。


「達者そうで何よりなこと。けいら諸侯の壮健さこそ、帝国安定の源であろう。近頃は不忠忘恩な輩も多く、心が弱っておった。そこでのう――」


 ウルドが目を細める。


「――明日の宴にて、少しばかりのれ――余興に参加してくれるなら、余の弱心よわごころも晴れるやもしれぬ」


 この場にロベニカがいれば、あるいは余興の内容をただし、逃げの一手を打てたかもしれない。


「余興ですか」

 

 ――祝賀会の余興って何かな。歌とかだと苦手だから嫌なんだけど……。


 むしろ、トールは、余興が歌以外である事を警戒すべきであっただろう。


「ええ、分かりました」


 非礼があったのは事実であり、詫びのつもりで了承したのだ。

 あるいは、非道な人柄とはいえ、残り少ない命脈である少女の願いを辞退するのは忍びなかったのかもしれない。


「おお」


 ウルドが満面の笑みを浮かべる。


「さすがは、蛮族を払った英雄――。さ、皆も称えるが良い」


 自ら席を立ち、率先して手を打った。

 追従するかのように、はらはらと見守っていた人々も手を打ち始める。


 乾いた喧騒の中、エヴァンは瞳を閉じ、道化はいそいそと戻って行った。


 ◇


「失敗したなぁ」


 控えの間に、トールは頭を掻きながら戻って来た。


「陛下を、かなり怒らせてしまって――」


 何処いずこの使用人であれ、その口に戸は立てられず、噂の回る速度も驚くほど早い。

 小耳に入る使用人達の囁き声から、事の顛末について、おおよそマリは見当がついていた。


「うん――」


 伝えるべき適切な言葉をマリは持っていない。

 だが、軽々しく調子の良い事を口にしない自制心はあった。


 そのせいだろうか――、


「これ――」


 特段の意見は述べず、バックから密封式のタンブラーを取り出した。


「――飲んで」

「え、うん」


 喉は乾いていなかったのだが、タンブラーの蓋を開けると、トールにとっては懐かしい音が響く。


「わぁ、これって――」

「美味しい?」


 ひと口飲んでから、トールは大きく頷いた。


 ――ボクの大好きな炭酸飲料だ。なぜか地球軌道には無かったんだよね。


 地球軌道に限らず、オビタルは炭酸飲料を好まない。

 慣性制御が不完全であった時代の名残りであろう。


「これを、どこで?」

「――地下――頁が折られてたから――」


 グノーシス関連だけでなく、太古の食生活を解説した書物まであるのだ。

 炭酸飲料に関する記述もあり、トールは懐かしく感じて頁を折ってしまっていた。


 テルミナの案内を頼んだ手前、マリにも自由に読んで良いと伝えてある。

 二人で連れ立ち、読書などしていたのかもしれないと思うと、トールは少しばかり微笑ましい気持ちになった。


 人間鍵となってしまったセバスには、手間を掛けさせているが――。


「ありがとう。良くこんなの作れたね」


 ――わざわざ作って持って来てくれたのか……。

 ――時々、えっちな目で見ていたのが申し訳なくなるよ。


「簡単だった」


 食用のクエン酸と重曹があれば出来る。


「うん。でも、ありがとう。マリ」

「――ん」


 期せずしてマリの頬が僅かに動こうとした時のことだ。


「トール殿」


 籠った声が、彼の名を呼んだ。

 誰かと思い振り返るが、誰もいない。


「こちらでございますよ。おみ足をご覧くださりませ」

「え、ああ、すみません」


 足下から道化がトールを見上げている。

 何の気配も感じさせずに、ここまで接近されていたのだ。


「ええと、どなたでしょうか?」

「ふひひひ。道化に名などございませんよ」

「そ、そうですか?」

「左様でございます」


 そう言って、道化は滑稽な仕草で、膝折礼カテーシーをして見せた。

 

 本人が言う通り、宮廷道化師には名も無ければ権利も無い。

 それらと引き換えに、貴人に対する無礼が許されているが、あくまで滑稽を満たす場合に限られていた。


 無礼が過ぎて、主人になぶりり殺されるなど茶飯事でもある。


「先ほどの尻茶番――ふひぃ、いえいえ、高貴なる謁見を拝見し感服した次第で、ひと言ご挨拶をばと」

「それは、ご丁寧に。ありがとうございます」


 素直に頭を下げるトールに、道化は一瞬奇妙な表情を浮かべるが、すぐに不気味な笑みの中に埋没させた。


「あひゃひゃ。お閣下殿は、道化より面白うございますな。それはさておき、明日の沙汰さたですが――」

沙汰さたって――余興の話しですか?」

「へえへえ」


 道化が大仰に頷いた。


「助っ人は、どうか私めをご指名下さりませ」

「す、助っ人?」

「はい。頼りにならなそうで頼りになりますのが、この道化でございますゆえに――ゴホゴホ」


 体躯に似合わぬ大きな手で自身の胸をドンと叩き、むせている。


「いや、何の――」

「それでは、重々にお忘れなきよう。道化は早く戻りませぬと、首がパーンでございますからなぁ。あひゃひゃ」


 何の事だ、とトールが言い終える前に、道化は素早く姿を消した。


「誰?」

「実はボクも知らないんだけど――いや――」


 トールは道化と面識など無いし、当然ながら名前も知らなかった。


 ――とはいえ、全く知らないって訳でも無いんだよね……。


 なぜなら、道化が女帝ウルドを殺害するからである。


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