36話 裏切りの代償。
専用エレベータから降りると、フロア全てを占有するスイートルームだった。
壁面全てが透過処理されているため、中心都市アレスの全景が一望できる。
立食形式らしく、グラスを片手に談笑する姿があった。
見知った顏が無い事を、テルミナは素早く辺りを見回し確認する。
前夜祭と言うわりには人の数が少ないため、面通しはすぐに終わった。
――とりあえず軍高官はいねぇな。
――隣のゴミクズぐらいか。
「少なぁい」
テルミナは素直な感想を述べてみる。
「言ったろう、ミーナ」
さすがに人前では呼び捨てにするようだ。
「前夜祭だからな。来るのは選ばれし者だけだよ、フフ」
テルミナの背中を撫でながら嬉しそうに語る。
そんなオリヴァーに気付いた一人の男が近寄ってきた。
「ご機嫌だな」
細身だが、やけに小柄な男で早口だ。
「ドミトリ殿、お招き頂き感謝しておりますぞ」
「ふん」
ドミトリと呼ばれた男は、オリヴァーの媚を帯びた挨拶に鼻を鳴らして答える。
「――だが、何だって作業着なのかね?」
「や、野暮な姿で申し訳ありませんな。ハハハハ」
軍服姿を揶揄された屈辱を
「目下、戦時中でして」
「面白い事を言う」
言葉とは裏腹に、さして面白くもなそうな表情だった。
オリヴァーは、中央管区艦隊が月面基地を発ったという報告を受けている。
計画通り彼らが全滅した後に、木星まで主力軍を出撃させ、不作為の会敵適わずを演じる必要があった。
裏切るにしろ、この場にいるのは慢心と言えるだろう。
「隣のレディは?」
ドミトリが冷たい眼差しでテルミナを見た。
「ミーナと申しましてな、これ、ご挨拶を」
「はぁい。ミーナでぇす」
少しばかり短めのドレスの端をつまんで、軽い
ドミトリの瞳に浮かぶ侮蔑の色合いがより濃くなっていく。
それを、とりなそうとするかのように、オリヴァーは明るい声を上げた。
「これは――姪ですからな。不肖の姪に、名士の方々が集う世界を見せてやろうというわけです」
「ほう」
テルミナは、なぜオリヴァーが自分を誘ったのか疑問に思っている。
浮くであろう事は、目に見えていたのではないか?
「楽しまれるが良い」
ドミトリは興味を失った様子で、他の招待客の元へ去った。
十分に距離が離れたのを確認した後、オリヴァーが舌打ちをする。
「あの人、こわぁい」
テルミナは甘えた声音で、オリヴァーの腕を掴んだ。
「大丈夫だ――オソロセアの厄介者が――見ておれ――今に――」
危険な独り言に耳を澄ませていたテルミナであったが、急に会場がざわつき始めた事に気付く。
そこかしこから、
――来やがったのか。
テルミナは給仕からマティーニグラスを受け取りオリーブだけをつまんだ。
視線の先には、二人の小姓を従え聖衣に身を包んだ男がいた。
小男のドミトリが、大司教の背に手を添え会場の中心に誘っている。
「諸君」
鈴のようなものを鳴らしながらドミトリが告げる。
彼と大司教を中心として、人々が周りを囲むような図式になった。
「聖話である」
大司教が柔和な笑みを浮かべる。
◇
テルミナにすれば、さほど興味の湧かない話しが長々と続いていた。
「――こうして今、蛮族に立ち向かうため、領主殿が出征されたと聞き及んでおります」
トール率いる中央管区艦隊は、惑星重力圏内を通常ドライブ中であった。
「真に崇高なる行為ですが――些か蛮勇かもしれませんな」
会場では大きな笑い声が起きる。
「ゆえに、望まぬ結果となりかねません。しかし――」
実際には、それこそが望んでいる結果なのだろう。
「――ここに
小さな拍手が湧き始め――、
「皆が盟約を違えず絆をより深めるならば、
――やがて万雷の拍手へと育った。
人々は我先にと大司教へと近付き握手を求めた。
少しでも長く会話をしようと、必死に頭を巡らせている。
それは信仰心によるというよりも、主には功利的な目的からだった。
帝国にあって大司教との友誼は、そのまま保身や立身に繋がるのである。
当然ながらオリヴァーも同じ事を考えていた。
彼は告解室の司祭を介して繋がっていただけなのだ。
――なるほどな。
テルミナは、自身が連れて来られた意図を察する。
――生臭坊主もってことかよ。
噂は以前からあった。
真偽はともあれ、権力者には付きまとう話しなのだろう。
オリヴァーは、
果たして――、
「これはこれは」
人々を上手くあしらいながら、大司教がこちらに向かって来る。
オリヴァーに軽く目礼し、次いでテルミナに視線を移した。
昨夜とは打って変わり、少女用のドレスを装っている。
丈は少しばかり短めではあるが――。
「――素敵なお嬢様ですな」
「これは、姪でございます、
オリヴァーは、またも姪という部分を強調した。
「ほうほう、お転婆ですか。フホホホ」
妖しい笑声と視線が絡み合い、互いに同好の志と認め合った――か否かは不明であるが、この場で長話をしようという合意は形成されたようである。
周囲からは羨むような視線もあった。
――ここが決め時ってヤツだな。
テルミナは秘かに気負い、口の中でオリーブの種を転がした。
◇
同好の志である二人は、テルミナという果実を挟み楽しい談義を続けていた。
「――オリヴァー殿は誠に信仰と忠義に溢れた方ですな」
などと言いながらも、大司教は先ほどから度々テルミナへと視線を送っている。
「
仲間内のパーティということで、口も緩むのだろう。
中央管区艦隊に何かあれば、オリヴァーが火星方面管区艦隊を率いるという話題になっている。
「恐らく――いや確実にオリヴァー殿の救援が必要になりましょうからな」
「真に真に。ハハハハ」
「ねぇねぇ」
甘えた声を出す。
地ならしは済んでいる。
これまでの会話で、テルミナは馬鹿な質問をしては二人を楽しませていた。
「どうしたのかな?ミーナ」
唇の端を舌で舐めながら大司教が答える。
「んーと、何で領主様が負けるの?」
「おやおや?」
「だって、オジサマの救援が必要って。そんなのミーナ寂しい」
「いやはや、オリヴァー殿が羨ましい。姪御さんを安心させてあげなされ、フホホホ」
――きんめぇ笑い声してやがるな。
「
そこから先は、大司教の耳元で囁いた。
この短時間でオリヴァーは、
「ミーナ、安心しなさい。私は負けないのだから」
「でも、領主様は?」
「それは――うむん――」
オリヴァーは語尾を濁すとカイゼル髭を指先で触っている。
これ以上は無理であろうと判断したテルミナは、大司教へとさらに歩み寄った。
鋼の意志力を動員し、少女の瞳を作り大司教を見上げる。
口唇を薄く開き、オリーブの種を乗せた舌を少し出すと、上唇を舐めるように巻き取った。
テルミナを見下ろす大司教の喉が脈を打つ。
「フ、フホホ。
つるりとした頭部から、たるんだ顎下までを大きな掌で撫でる。
「蛮族どもは違う場所に現れる――などと、オリヴァー殿から聞いた事がありましてな」
「え――あ、あの――
大司教が一瞥すると、オリヴァーは咳払いをして口を閉じた。
「そのせいで、領主殿は可哀相な事になるかもしれませんなぁ」
「ミーナ怖い」
テルミナは、口元に手を当てる。
「いやいや安心されよ。ほれ、あそこにいるオジサン」
大司教がドミトリを指差す。
「オソロセア領邦が助けてくれる。これが絆と言う事だよミーナ。フホホホ」
「へぇ、ゲーカ様は何でも知ってるんだ☆」
「フホホホ」
こんなもんだよな、とテルミナは考える。
――侵攻場所が木星ポータルでは無いことを知っている言質を引き出して下さい。
トールの言葉を反芻する。
――ボクが負けることが前提となる会話もポイント高いですね。
――後は、オソロセア領邦の名前も出てくると嬉しいなぁ。
――そこまで聞ければ……。
「さて――」
首を左右に振り、肩を揉んだ。
コキコキと子気味の良い音が辺りに響く。
「――ゴミクズ共の相手も肩が凝るんだぜぇ」
「な、え?み、ミーナちゃ――」
口をすぼめ吹き飛ばしたオリーブの種が、オリヴァーの
「――うッ」
オリヴァーは、思わず顔を抑え呻いた。
「えっと、コホン」
テルミナは両の手を腰にあて、脚を少しばかり拡げて胸を張る。
「ベルニク軍憲兵司令部特務課テルミナ・ニクシー少尉であるッ!」
何事かと、周囲にいる人々の注目が集まり始めた。
その中には、ドミトリの視線もある。
「子爵閣下より、伝言を授かった」
――人を追い詰める時は、丁寧な言葉の方が痛いんですよ。
とぼけた領主からのアドバイスだった。
「
痛みを与えるのは、苺の次に大好きだ。
「オリヴァー・ボルツ大将を、領主及び領邦への反逆罪の容疑で拘束する。なお、ベルニク軍軍法第32条に基づき、その身柄は憲兵司令部にて聴取を行う。十全たる聴取を行った後、軍法会議予審機関に引き渡すものとする」
ミーナは消えた。
「これに伴い、ベルニク軍軍務規定第45項に基づき、司令長官の任を解かれる。なお、晴れて被疑者から被告人となった場合でも、軍法会議における司法判断が下るまで将校待遇は保証する。
ようやく、オリヴァーは夢から醒めた。
「ば、馬鹿な事を言うな。何を根拠にそんな暴挙を――いや――」
少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
現時点では、法はオリヴァーに味方するはずなのだ。
「――世間話の音声記録なんぞ使えんぞ。あれで拘束など無理、不可能、ククク」
「
テルミナは、オリヴァーから大司教に視線を移す。
「子爵閣下より、特別な秘事を預かっております。お耳を」
「な、え――こ、これ――いたたッ」
大司教が動かぬため、テルミナは右手で相手の
声を落とし囁く。
――グノーシス異端船団国との国交正常化及び、通商条約締結に賛同致します。
「な、なに!?――なぜ、辺境領主が――それを――」
教皇とて知らぬ秘事中の秘事であった。
――また、
――ゆえに、証して頂きたい。
――良からぬ企みを、告解室で受けた無知な司祭がいた事を。
――企みの告解者が、オリヴァー・ボルツである事を。
――女神ラムダは、これを赦免せぬ事を。
トールには、教会関係者と争う余裕など無い。
オリヴァーさえ差し出してくれれば、お互い無かった事にしましょうということだ。
大司教は、心地の良い囁き声を、ベッドの上で聞くつもりだったのだろう。
予定が大きく変わったせいか、顔色はあまり良くない。
「この申し出を、お受け頂けぬ場合――」
自分にとって、状況が不利になりつつあると悟り、オリヴァーの落ち着きが失われていく。
「――教皇
「わ、分かった」
皆まで言うなとばかりに、大司教は両手を上げた。
「証する」
そう答えるほか無かった。
「――終わったぞ、ガウス」
EPR通信で告げると同時、待ちかねたかのように専用エレベータの扉が開く。
ガウス少将と、憲兵隊
オリヴァー・ボルツは代償を払う。
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