12話 ブラックローズ。

「素晴らしい旅でした」

 

 月面基地に降り立ったトールは満面の笑みを浮かべていた。

 

 バスカヴィ宇宙港から、軍用機で三十分ほどかかる。

 惑星重力圏内では、亜光速ドライブ、及び高速ドライブが禁止されており通常ドライブで航行するからだ。

 

 ともあれ、彼にとっては、初めての宇宙旅行という事になる。

 

「――それは、良かったですね」

 

 連れだったロベニカからすれば、何を幸せそうにしているのか理解に苦しむ。

 途中、慣性制御を切ってくれと騒ぎした時には、「信じる」と言った事を後悔したほどだ。

 

「ただ残念なのは、無重力を体験できなかった事だなぁ」

 

 まだ言うか、というのがロベニカの抱いた感想である。

 

 かつてのトールは、カジノと女目当ての旅で、毎週末バスカヴィ宇宙港を利用していた。

 今さら宇宙の船旅で騒いでいる理由が分からないのだ。

 

 ――そういえば、近頃まったく遊んでないわね。

 ――屋敷で誰かを質問責めにするか、仕事ばかりしているような……。

 ――やっぱり信じて正解だったのかしら。

 

 とはいえ、ここに来た用向きは、彼女にしてみれば馬鹿馬鹿しい内容だった。

 

 ベルニク領邦には3つの軍管区がある。

 

 中央管区。

 火星方面管区。

 木星方面管区。

 

 中央管区以外は、近傍にポータルが存在する場所だ。

 つまり宙域を管轄するというより、各ポータルを防衛しているわけである。

 

 中央管区は地球軌道――つまりは首都防衛を担う管区だ。

 月面基地を拠点として、火星方面管区に次ぐ陣容となっている。

 

 そして、その中央管区には、トールが望むモノが存在した。

 

「無理だと思います。何より艦長が了承しません」

 

 中央管区艦隊旗下に強襲突入艦がある。

 ただし、それが中央管区においては、唯一の強襲突入艦だった。

 

「えーっ、そんなぁ」

 

 ロベニカと艦長は、異なる大学とはいえ、同じ帝都で学んだ仲なのだ。

 落日の辺境出身者として、何度か肩身の狭い思いを共有した事もあった。

 

 祖国の復権を志した仲間でもある。

 

 そんな艦長の性格を鑑みれば、仮にトールが権力を振りかざしたとて同乗を許可しないだろう。

 そのまま船を強奪し、宇宙海賊にでもなってしまうかもしれない――。

 

 ――悪評を吹き込んだ私のせいでもあるけど……。

 

 アルコールを二人で飲みながら、幾度も上司の悪口と愚痴を漏らしてしまった。

 艦長の中で醸成されているトールのイメージは、メディアや噂が伝える以上に劣悪なのである。

 

 とはいえ、今回ばかりは、それが良い方向に働くだろう、とロベニカは考えた。

 領邦のトップが最も危険とされる艦艇に乗船し、あまつさえ敵艦に乗り込むなどあってはならない事なのだ。

 

「艦長のジャンヌ・バルバストルは知人なのですが――」

「バルバストルだって!?」

「え?ええ、そうですけど?」

「まさか、艦名はブラックローズだったりしますか?」

「あまり記憶にありませんが――でも、似たような名前を聞いた気も――」

 

 これを聞いて、トールはますます興奮し始めている。

 

「行きましょう。早く行きましょう。これは凄い世界線になりそうだぞ」

 

 こうして――、

 

 月面基地内の無機質な通路を、司令官室へと案内されている。

 二人の案内役となった基地詰めの兵士は、会見で見た領主の肉声を興味深く聞いていた。

 

 ――こいつ、本気でアレに乗るつもりなのか?

 

 正気の沙汰とは思えなかったが、それを口に出すほど愚かでは無い。

 

「司令官殿ッ!閣下をお連れしました」

「お通ししろ」

「ハッ!」

 

 トールとロベニカが部屋に入ると、基地司令官が敬礼で出迎えた。

 

「ご足労頂き、光栄です閣下」

 

 本心としては、この多忙な時に面倒だなと考えている。

 

「月面基地司令官ケヴィン・カウフマンです」

「これはご丁寧に――初めまして。ええと、地球軌道から来たトールという者です。ケヴィン准将」

 

 と、いささか間抜けな返答をした。

 

 彼を知らぬ者は、太陽系にはいない。

 いや、例えいたとしても、会見や報道で誰もが知るところとなっている。

 

 希代のアホか、或いは救国の勇者なのか。

 誰もが興味を抱いていた。

 

「首席秘書官のロベニカ・カールセンです。ご多忙中、無理を言って申し訳ありません」

「――え、ああ――いえ、構いませんとも」

 

 ケヴィン准将は、トールの挨拶に虚を突かれていた。

 どういった相手なのか図りかねているのだろう。

 

 その思いは、ロベニカとて未だ同じだった。

 

「そして、こちらが――」

 

 気を取り直したケヴィン准将は、隣に立つ女性に手を向ける。

 

「光栄です、閣下」

 

 優雅――と表現して良いだろう。

 同じ敬礼でも、無骨さを感じさせない所作だ。

 

「ジャンヌ・バルバストルと申します」

「あ、あなたが――」

 

 トールは感激していた。

 

「中央管区艦隊強襲突入艦艦長を拝命しております」

 

 ジャンヌ・バルバストル少佐。

 

 帝都にある士官大学を主席で卒業し、文武に優れた軍人として知られる。

 少しばかり問題は抱えているのだが――。

 

「艦名は――」

 

 トールから問われたと思い、ジャンヌが口を開く。

 

「ホワイトローズですわ」

「ブラックローズですね!」

 

 二人の声が重なった。

 

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