11話 タイタンポータル。

「マジかよ――」

 

 土星の衛星であるタイタンへ派遣したチームからの報告を受け、ユリウス・ケンプフェルトは震えた。

 

 航宙管理局きっての窓際部門とされる遠航路保全課の課長である。

 

 遠航路保全課の主たる職務は、ポータルの死活監視であった。

 数十年前、ポータルの消滅懸念が、帝国科学院より表明された際に設立されたのだ。

 

 太陽系には二つのポータルが存在する。タウ・セティ星系と繋がる火星ポータル、及びベネディクトゥス星系と繋がる木星ポータルである。

 

 現状では、両ポータルのエンタングルメント反応を監視しているだけだ。

 航宙管理局において、完全なるルーチンワークに過ぎない閑職とされている。

 

 そんな課を率いるユリウスの自宅に、意外な客人が訪れたのは深夜であった。

 

 ――タイタン近傍に未知ポータルがあるんです。

 ――い、いえ、土星の静止軌道は、一応過去にも調査をしておりますので……。

 

 太陽系内の惑星については、ポータルの存在確認が為されているのだ。

 

 ――調べたのは土星の、ええと惑星の静止軌道でしょう?

 ――勿論です。

 ――タイタンポータルは、タイタンの静止軌道上にあるはずです。

 

 帝国に存在する全てのポータルは、惑星の静止軌道上に存在した。

 衛星に随伴するポータルなど、ユリウスは聞いた事が無かったのだ。

 

 ――だから、未知のポータルなんです!

 ――でも、星間空間に繋がるポータルなので入らない方が良いですよ。危ないですから。

 ――あとコレは極秘扱いでお願いしますね。

 

 そう言って、報道で何度か見た顏の男は一介の役人に頭を下げた。

 隣にいた豊かな胸を持つ金髪女性が、彼の発言を補足するため口を開く。

 

 ――存在確認次第、速やかに報告願います。

 ――なお、調査内容、調査場所、調査結果について、課外秘扱いとして下さい。

 

 その点については、心配などする必要が無かった。

 

 航宙管理局の窓際に当たる部門であり、予算超過でもしない限り注目される事もない。

 遠航路保全課が何をやっているかなど、誰も興味を持っていないのだ。

 

 何れにせよ、相手の立場を考えるならば、ユリウスに断る選択肢は無かっただろう。

 

 だが――、

 

「まさか、ホントにあるとはな」

 

 報告書を見ながらユリウスは首をひねった。

 

「とんでもない領主様もいたもんだ」

 

 ◇

 

「トール様」

 

 ウトウトとしていたトールの耳元に心地の良い息吹が届く。

 

「――う、ううん――もっと――お願いします――」

「――クッ」

 

 耳朶じだを引っ張りたい衝動を抑え、ロベニカはトールの膝を強めに叩く。

 

「起きて下さい。聖話中なんですよ」

「あっ――わわ」

 

 パチリとトールが瞳を開く。

 ようやく夢うつつの世界から戻って来たらしい。

 

 周囲を見回し、次いで隣に座るロベニカを見た。

 

「おはようございます」

「もう、ホントに……」

 

 言いたい事は山ほどあるが、この場で声を荒げるなど許されない。

 女神ラムダの大聖堂にて月例礼拝が行われており聖話中なのである。

 

「領主としての示しがつきませんよ」

 

 この大聖堂は屋敷の敷地内にあり、領主と使用人が同席する特別な場でもあった。

 

 帝国臣民にとって女神ラムダへの信仰は絶対不可侵な概念である。

 

 女神ラムダが「存在」の定義者であり、「アフターワールド」の創造主と信じる。

 ピュアオビタルは「アフターワールド」に召され、オビタルは来世においてピュアオビタルとなる事を祈るのだ。

 

 グノーシス異端船団国とて、女神ラムダの存在は否定していない。

 

「す、すみません――ついウトウトと」

 

 トールは素直に頭を下げ、聖話を続ける男に目をやった。

 今日は聖堂付きの司祭ではなく大司教が訪れている。

 

 教会のヒエラルキーでは上位に位置しており、複数の領邦を巡回していた。

 

 ――とは言っても、何だかムニャムニャした話しで眠くなるんだよね。

 ――だいたいボクの夢なんだから、こんなつまらないシーンは飛ばして欲しいなぁ。

 

 などと、セバスが聞けば気を失いそうな事を考えている。

 

 こうして――、

 

 不敬なトールの願いが通じたのか、ようやく大司教の聖話は終盤に差し掛かかる。

 

「――かように女神ラムダの慈愛は我々オビタルへと降り注いでいるのです」

 

 ここで大司教は瞳を閉ざし天を仰いだ。

 

「ところが、この恵みを忘れ、異端に走る愚か者がいます」

 

 教会にとって異端の定義は、三つに大別できよう。

 

 1.女神ラムダの存在を否定、または他の神を奉ずること。

 2.約束の地「アフターワールド」について、教会とは異なる解釈を持つこと。

 3.教会が女神ラムダの信任を受けた神性機関である事を否認すること。

 

 グノーシス異端船団国などは、上記の2と3に該当する。

 女神ラムダを奉ずるが、教会を否認し、さらには「アフターワールド」の解釈を異にしていた。

 

「異端は大罪ですぞ」

 

 大司教は目を見開き、大聖堂に集う人々を睥睨へいげいした。

 

「疑念あらば、聖骸布せいがいふ艦隊は星系を覆い尽くし、忠実なる天秤衆が戸口に訪れましょう!」

 

 天秤衆とは、ようは異端審問官である。

 非常に強い強制力を持った拘束権と、苛烈な取り調べを行う事で知られていた。

 

「ですが――」

 

 大司教は柔和な仮面を取り戻す。

 

「――ベルニクに祝福あれ。異端の蛮族どもに鉄槌を下すべく、領主自らが出征されるのです!」

 

 自身に話題が及んだトールは、居心地悪そうに尻を動かした。

 教師に指差される事を恐れる生徒のようにも見える。

 

「さあ、閣下お立ち下さい」

 

 ロベニカにだけは、トールが小さく「うわぁ」と呟くのが聞こえた。

 

「さあ」

 

 なかなか立ち上がろうとしないトールに焦れたのか、大司教の声に苛立ちが混じる。

 

「ともかく立って下さい」

「なんでですか?」

猊下げいかが、そう仰っているからです」

「ボク、領主ですよ」

 

 トールとロベニカの間で、ひそひそとしたやり取りが繰り返された。

 珍しく「領主」の権力を行使しようとしたが、それほどに気が進まなかったのだろう。

 

 ――どうも、この大司教って人は好きになれないな。

 ――ボクを使って、何かしようとしてそうだし……。

 

「トール様」

 

 ロベニカとしては、太腿を思いきりツネりたい気分だった。

 

猊下げいかの不興を買えば、蛮族どころの騒ぎではありません」

「――え――そうなんですか?」

 

 それは困るとトールも考えたようだ。

 

 ――教会は怖いもんな。

 

 ともあれ、艦隊戦までは穏便に行こうと思い直し、慌てて立ち上がった。

 

「は、はい。トールです!」

「閣下」

 

 少しばかり大司教の期待する領主像では無かったが、自身のシナリオ通りに運んだ事に満足はしただろう。

 

「蛮族を恐れぬ信仰を称えます。女神ラムダの祝福が、必ずや閣下に常世とこよの御力を与えましょう」

 

 ――穏便に、穏便に。

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げるトールを見て、大司教は柔和な顏で何度も頷いた。

 

「さすれば閣下!どうかお誓い下さい」

「――ん、はい?」

「女神ラムダの見下ろすこの場にて、我ら子羊共にお誓い下さい」

 

 勝利です、とロベニカが囁く。

 

「――え――」

 

 トールとしては想定外の事態だったらしい。

 衆目の集まる場所で、聖職者から勝利宣言を促されるとは思わなかったのだろう。

 

 ――勝利宣言なんて、まだ無理だよ。

 ――勿論、せっかくの艦隊戦だから勝てるようには頑張るけど……。

 

 そこへ、トールのニューロデバイスがEPR通信を検知した。

 発信者を認識すると、思わず笑みがこぼれる。

 

 ――そ、その、し、子爵閣下――ご報告がありまして。

 

 ロベニカには止められたが、トールは自身へのダイレクト通信を許可しておいたのだ。

 

 ――仰った通りです。ありました。

 

「ホントですかッ!」

 

 興奮のせいか状況を忘れ、大きな声で叫んでしまった。

 大聖堂に集った人々も、何事だろうかという表情を浮かべている。

 

 神聖な月例礼拝で、EPR通信をオンラインにしている者がいるなど想像していないのだ。

 

 ――あ、ありました。タイタンポータルが!

 

 幾つかの障害と問題点は残っているが、最も重要な情報は手に入れた。

 敵が侵攻してくるはずのポータルが、確かに存在するという確認である。 


 女帝の生誕祭に合わせるかのようにして、敵はそこから侵攻してくるのだ。


「勝てる」

 

 それは小さな呟きだった。

 思わず出てしまった単なる独り言なのだから当然だろう。

 

 だが、大司教も周囲の人々も聞き逃さなかった。

 自身が抱える不安を、そして焦燥を打ち消してくれる領主の言葉を――。

 

「祝福あれッ!!」

 

 大司教が両腕をかざして声を上げると大聖堂に集った人々も続いて唱和する。

 大聖堂に集まった数百名の声が辺りを圧した。

 

 EPR通信を切断したトールは、ようやく周囲に目を向ける。

 

 ロベニカとて、この熱狂に揺さぶられている一人だった。

 

 だが――、

 

 彼女はトールの瞳に宿る違和感に気付くのだ。


 新生トール・ベルニクは、この種の興奮が恐らく嫌いなのであろうと。

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