8話 裏切り者。

 ニューロデバイスの使い方を覚えたトールは、夢中になって帝国地図を眺めている。

 

 銀河に拡がるオビタル帝国の領土は直径にして1300光年。

 仮に光速で航行した場合、地球から帝都まで300年ほど必要なのだ。

 

 それにも関わらず互いの星系を行き交い、同一の言語を話し、帝国歴と標準時に合わせ暮らしている。

 

 この光速の壁を打破させたのは、EPR通信同様に、先史文明の残した偉大な遺産だった。

 ポータルと呼ばれるそれは、各星系にある幾つかの惑星静止軌道上に設置されている。

 

 ポータルからポータルへと量子転送されるのだ。

 光速の壁も、ウラシマ効果も存在しない。

 

 ただ、どこへでも行ける訳では無く、ポータル間の接続先は固定されている。

 地球から帝都まで行くには、火星ポータルからタウ・セティ星系へ、さらに別の星系へ――と複数のポータルを辿る必要があった。

 

 つまり太陽系が辺境である理由は、距離的な意味ではなくポータルの接続状況なのだ。

 帝国地図を見れば、これら蜘蛛の巣のように張り巡らされたポータルが全て確認できる。

 

 ――星間空間のポータルは分からないけど……。

 

 星間空間とは、星系と星系の間に拡がる空間を指す。

 恒星の影響が及ばぬ宙域で、帝国が支配していない領域だった。

 

 虚無とも言える空間の居住者――。

 それが、グノーシス異端船団国なのである。

 

 ◇

 

 帝国地図を確認した後、トールは自分自身について調べていた。

 

 つまり、トール・ベルニク子爵についてである。

 彼しか知らぬ物語において、あまり深く語られていないのだ。

 

 ようはモブ領主――。

 度々トールが好んで使った呼称である。

 

 彼が爵位と領地を引き継いだのは二十歳の時だった。

 オビタルは長命のため、トールの感覚で言えば中学生くらいの年齢ということになる。

 

 ――それはキツイよな。

 

 思春期真っ盛りで絶大な権力を持てば、人はどうしても歪んでしまう。

 空間照射モニタでトールの資料を眺めつつ、秘かに同情していた。

 

 銀色の髪と、瞳を持っている。

 ピュアオビタルの刻印と呼ばれ、一般のオビタルとは明らかに異なる外見的特徴を持つ。

 

 また、オビタルの宗教的約束の地である「アフターワールド」に召されるのも、刻印を持つ者だけだ。

 アフターワールドに召される事は、ピュアオビタルにとって存在意義に等しい。


 これは、教育、宗教、歴史によって培われた、深く根付いた観念なのである。


 ピュアオビタルは、この刻印に「誓い」を立てる事も出来る。

 決して違えぬと保証する行為であり、違えれば実際に刻印を失ってしまう。


 まさに命を賭けた約束となるのだ。

 実は誓いだけでなく、借金のカタにも利用できるのだが――。

 

 ともあれ、その刻印を持つ者は生まれながらにして貴族であり、ピュアオビタル同士で婚姻関係を結ぶ事が多い。

 これこそが、オビタル帝国の貴族制度を安定させている一因なのだろう。

 

 だが、ピュアオビタルが、オビタルに比べ特別に優秀な遺伝的特性を持つわけではない。

 

 それを、トール・ベルニクが身を以って証明している。

 

 領地を受け継いでからの10年間――。

 

 太陽系に轟くアホ領主として過ごしていた。

 領地の経済状況は最悪であり、家臣や官僚機構の統制も崩壊寸前である。

 

 その挙句に、グノーシス異端船団の侵攻を受けようとしているのだ。

 

「トール様、そろそろ緊急対策会議を再開したいのですが」

 

 執務室に通されたロベニカが告げた。

 

 記者会見から数時間が経っている。

 

 長休憩を終えて、他の家臣達は会議室に集まっていた。

 ロベニカが抱える数多の所用にも、ある程度は片が付いたのであろう。

 

「うーん」

 

 トールは気乗りしない返事を返す。

 

「避難計画については、どこかがまとめてくれてるんですよね?」

「内務省で対策チームが立ち上がったところです」

 

 細かな部分などトールには分からないので、官僚に任せた方が良いだろう。

 そもそも、夢として面白くないし――と彼は思っていた。

 

「会議はね、ちょっと中止にしようかと思います」

「え!?」

 

 戦う、と会議で宣言したトールを、ロベニカは見直していた。

 会見で正直さを前面に出した点も良い。


 だが、これまでの行状が悪すぎたため、彼を完全に信ずるには至らない。

 

 そこへ追い打ちをかけるかのような発言だった。

 

「――どういう意味でしょうか?」

 

 彼女は地球軌道上に産まれ育ったオビタルだ。

 人類発祥の星系でありながら、辺境領邦として落日の一途を辿っている。

 

 この状況を変えたかった。

 衰退に歯止めを掛けたかったのだ。

 

 ロベニカは努力し、学び、キャリアを積んで、若くして首席秘書官という要職を得た。

 領主のサポート、家臣や政府部門との調整、メディア対応――と、業務は多岐に渡る。

 

 忙しい日々を送り、全てを仕事に捧げて来た。

 

 だが――、

 

 美しい顔と胸のサイズで重用されたのだ、などと陰口を叩く連中がいる。

 それを証明するかのように、実際に仕える領主は、エロボケのガキだった。

 

「どういう意味って――ええと――会議を中止したいんです」

 

 どれほどの諫言かんげんも、どれほどの忠誠も、彼には届かない。

 ロベニカは、急速に全身の力が抜けていくのを感じた。

 

「そう。そうですか」

 

 この時の彼女は、決してグノーシス異端船団から逃亡したかったのでは無い。

 トール・ベルニクに仕える事に、限界を感じたのだ。

 

 この危機的状況にあってなお為政者としての責務を自覚できぬ男に――。

 愚かで気まぐれな領主に、少しでも期待したのが間違いだったのだ。

 

「ようく分かりました――本日ただいまを以って辞職――」

「裏切り者がいます」

「――させて――え、あ、はい?」

 

 真剣な表情のトールがいる。

 

 彼としては、裏切り者のせいで艦隊戦が邪魔されるのは許せなかった。

 絶対に今回の夢で、長年の夢を叶えるのだ。

 

 夢で夢を叶える――ウロボロスの蛇のような状態とも言える。

 

「絶対的な証拠は示せないんですけどね。準備もせず裏切り者と会議なんて出来ないでしょう?」

 

 そう言いながら、指を振ると何名かの名前が現れる。

 

「トールが――いや、ボクが領地を受け継いでから、急激に資産の増えた皆さんです」

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