7話 帝国地図とニューロデバイス。
波乱含みの記者会見は終わり、トールは執務室に戻っていた。
――それにしても、部屋が広すぎて落ち着かないよ。
執務室に一人残されたトールは、所在無さげに辺りを見回した。
大きな執務机、書架、来客用のソファとローテーブルなどがある。また、壁面には歴代領主と思われる男達の映像が照射されていた。
正確に言えば、執務室にいるのは彼一人では無かった。
マリという名のメイドが、前だけを見て立っている。
いつでも領主の要望に対応すべく待機しているのだろうが、宇宙に拡がるほどのテクノロジーと人力依存へのギャップにトールは違和感を感じていた。
いや、その違和感よりも気になっている事がある。
――巨乳――メイド。
勿論、彼は奥手な常識人と自覚しているので、そこまでジロジロと見ている訳ではない。
――スーツ姿のロベニカさんも、メイドのマリさんも――ゴクリ。
――リアルな夢だし、どうせなら軍服巨乳な女の子も出てきて欲しいなぁ。
思考の70%は豊かな胸について占められていたが、残りの30%では別の事も考えている。
――帝国地図が見たい。
――まずはポータルの状況が見たいし……。
――インターネットみたいに調べる方法は無いのかな。
などと考え、トールは執務室の机を漁ってみることにした。
そんな様子を見詰めるメイドのマリは、あまり感情を表に出さない。
とはいえ、感情の起伏はあるし、他人の感情にも非常に敏感だった。
また、異性の性的情動に対しては、殊更に鋭敏な嗅覚を持っている。
本人はこれを「エロスレーダー」と秘かに命名していた。
これらの事情が高じ、人付き合いが億劫で、敬語も苦手という状況だ。
実際にはそれだけでなく、過去に起きた事件も関係しているのだが――。
そんなマリは、執務室の隅に立ち、ジッと自らの主人の様子を見つめている。
ベルニク家のメイドとして働くことになった時、両親は非常に喜んだ。
慢性的不況に苦しむベルニク領邦では、比較的まともな就職先だったからだろう。
だが、マリ自身は気の進まぬ思いがあった。
領主であるトール・ベルニクの悪名は、広く知れ渡っていたからだ。
先代領主が妻と保養地で事故死した結果、若くして領地と爵位を引き継いだトール・ベルニク。
下馬評通りのアホ領主で、領民の事など頭になく、ひたすらに己の快楽を追求していた。
勿論マリも目を付けられており、常に不快で舐めるような視線に苦しんでいたのだ。
執務室付きは当番制で、全てのメイドにとって、ハラスメントに耐える苦行の一日となる。
ところが――、
「マリさん」
机の構造は、彼が良く知る時代と変わり映えはしない。
「ノートPC、スマートフォン、タブレット――違うかぁ」
マリの表情を見ながら、トールは次々と新たなフレーズを出していく。
だが、どのフレーズにも彼女は聞き覚えが無かった。
――空間照射で、ロベニカさんは動画とか出してたよなぁ。
トールは、彼女が見せた避難する人々の映像を思い出す。
――あれが出来れば、たぶん帝国地図も見られるし、他にも……。
――巨乳戦記だと仕組みまでは書いてなかったんだよな。
娯楽小説において、ほとんどの読者はガジェットの細かな仕様になど興味はない。
作者自身すら興味が無いのだ。
何だか使えます。以上!
彼の知る物語にも、詳細は書かれていなかったのだろう。
「何か分からない事――そうだな旅行先を調べる時ってどうするんですか?」
良からぬ事を企んでいるのだろうか、マリは目を細めトールを見た。
やはり、邪心は感じられない。
もちろん、時々――いや頻繁に自分の胸へトールの視線が及ぶのは分かっている。
エロスレーダーも反応するのだが、さほど不快感は無かった。
昨日までのトールには、あれほど嫌悪感があったというのに――。
何が異なるのだろうか?
この差について、夜寝る時にもう一度考えようと、マリは決めた。
「どういう意味?」
軌道人類――オビタルにとって当たり前の話だった。
大人が大人に、歩き方を訪ねているようなモノだ。
「いやあ、ちょっと忘れちゃって」
歩くことを忘れるなどあり得るだろうか。
不信感は拭えないが、邪心は感じられないので答える気にはなった。
「ここ」
耳を隠す程度の長さの横髪をかき上げた。
右耳の裏からうなじにかけ、白く硬質そうな膨らみがある。
ニューロデバイスだ。
帝国のオビタルは、誕生してすぐ身体の一部として埋め込まれる。
成長と共に、デバイス自身も形状を変化させていくため違和感は無かった。
マリは耳の後ろを触り、右手をサッと振る。
「おお!」
旅先オススメリストが、空間照射される。
インフィニティ・モルディブもリストの中にあった。
「思うだけ。後は表示場所を指で」
「あった!ボクにもあるぞお!」
耳の後ろを触り、トールが嬉しそうに叫んび右手を振る。
ヴォンという音と共に、軍服姿の巨乳美女が現れた。
「――――」
「い、いや、もう少し練習が必要なのかなぁ?」
慌てた様子で、ワタワタと腕を動かす。
「――クッ――き、消えない」
「思うだけ」
「消えたッ!!」
新生トール・ベルニクは、どうにも奇妙な変化を遂げている。
威圧感はゼロで腰も低く誰にでも礼儀正しい。
それでいて、恐ろしい蛮族と戦うなどと宣言したとも聞いた。
使用人達の間でも、先ほどの記者会見について、口さがない意見が交わされているのだ。
――とうとう頭がイカれたのかも。
――だけど、戦うってのは立派じゃないか?
――無理無理。どうせ逃げ出すさ。
――話し方も変よ。もっと昨日までは偉そうで……。
マリは、こうした意見のどれも正しく、かつ間違っているように思えた。
けれど――、
彼女にとって確かな事が一つだけある。
エロスレーダーに反応はあるが、不快では無いという点だ。
「トール様」
メイドとして採用され、初めて主人の名前を口にした事に気付く。
「何ですか?」
すでにトールは、別の映像を空間照射し食い入るように見つめている。
地図に思えたが、マリには良く分からなかった。
「――他に忘れた事は?」
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