32話 集まれ!月面基地。

 月面基地司令官ケヴィン・カウフマン准将の憂鬱な一日が始まった。

 いや、今日に限った事ではなく、彼は毎日が憂鬱なのだ。

 

 いつからだろうか、とケヴィンは自問自答する。

 

 帝国の権威が衰えを見せ、各領邦が野心を隠さなくなってからだろうか。

 先代領主が召され、後を継いだ愚かな領主に落胆した時からだろうか。

 

 ――違う。

 

 もっとプライベートな事が原因かもしれない。

 

 幼馴染でもある妻の気持ちが離れてからか?

 二人の娘が反抗期を迎えてからか?

 

 ――いいや、違う。

 

 憂鬱さを増す要因ではあるが、根本原因では無いのだ。

 

 ――分かっているはずだ。俺は分かっている。

 

 それを認めるのが怖い。

 面倒な事を避けて来たツケなのかもしれない。

 

 ケヴィンは流されやすい男だ。

 また、込み入った事を考えるのを面倒だと感じる。

 

 だからこそ、シンプルな答えに価値を見出し、それが真実なのだと錯覚してしまう。

 

 オリヴァー・ボルツは、領邦の問題を解決するシンプルなプランを示した。

 全てが疲弊したこの領邦が、動乱期を迎えるであろう帝国で生き残る術を――。

 

 無能で怠惰な跡継ぎ領主では不可能だ。

 

 そうオリヴァーは唱え、ケヴィンや他の多くの人間が賛同した。

 面倒臭がり屋の彼から見ても、トール・ベルニクは輪をかけて駄目な男に見えたのだ。

 

 だが――、

 

 本当にその見立ては正しかったのか?

 

「どうしました、ケヴィン准将?」

「い、いえ――何でもありません」

 

 勝手に物思い耽っている場合では無い事を思い起こし、軽く咳払いをした。

 

「お疲れですよね。着艦作業で、基地の皆さんにご迷惑をお掛けしているようで――」

 

 実際、基地スタッフは昨夜から今に至るまで不眠不休の状態にある。

 地球軌道から千隻、火星軌道からは四千隻の商船が押し寄せているのだ。

 

 月面基地の収容面積自体は十分にあった。

 太陽系が、帝国の一辺境に落ちぶれてなどいなかった時代の名残りである。

 

 とはいえ、基地スタッフ自体は、抱えている艦数に応じた人数になっていた。

 

「しかし、商船だとしても壮観ですな」

 

 基地司令室から見える光景に、トールがプライベートラウンジで抱いたのと同じ感慨を抱く。

 

「ルチアノ様様です。足を向けて寝られませんね」

 

 後半部分の言い回しは、ケヴィンには理解できなかった。

 

 周囲を困惑させる修辞を、時折使うのがトール・ベルニクである。

 そうやって相手の反応を楽しんでいるのだ、と評する者もいた。

 

「よもや、これだけの商船を集めるとは――」

 

 軍事機密としなかったため、この話しは既に報道でも流れており、オリヴァー・ボルツなどは大いに楽しんでいた。

 EPR通信で交わした昨夜の会話を思い出す。

 

 ――やはり底抜けのアホだったな。

 

 実際、その通りなのであった。

 いくら艦数が足りないとはいえ、商船を連れて行ったところで数合わせにもならない。

 

 せいぜいが弾避けか、デブリ障壁でも作って相手の航行を邪魔する程度であろう。

 

 ――それよりケヴィン。火星軌道に来い。

 ――いえ、これからその商船の着艦作業がありまして……。

 ――明後日は前祝いだ。猊下げいかもいらっしゃる。おっと生誕祭の前祝いだぞ、ククク。

 

 だが、オリヴァーの誘いを断り、ケヴィンは月面基地に留まった。

 底抜けのアホが引き連れてきた商船を、月面基地に受け入れるために――。

 

「トール様、そろそろ――」

 

 ロベニカが時間を確認しつつ、トールに声を掛ける。

 

「ああっと、ジャンヌ少佐を待たせては大変です」

 

 ――なんと言っても、宇宙海賊だからなぁ。

 

「では、ケヴィン准将、ボクは失礼します」

「は、はい……」

 

 そう言って出て行くトールと目を合わせる事が出来ない自分がいた。

 今、この瞬間になって、ようやく憂鬱さの原因を認められたのだ。

 

 ――恥。

 

 ケヴィン・カウフマンは恥じていた。

 

 来るべき帝国の動乱を生き延びるには、強力な後ろ盾に基づく安定した統治が必要である。

 その理屈は、とても美しい化粧箱に入っていた。


 私腹を肥やしながら、オソロセアに郷土を売り渡そうとしているに過ぎないのに――。

 

 だが、どうだ。

 天下のアホ領主と言われた男、トール・ベルニク。

 

 弾避けにしかならぬとはいえ、多数の商船を集めて来た。

 見当違いの場所とはいえ、自ら寡兵を連れて乗り込もうとしている。

 

 しかも強襲突入艦に乗り込むのだ。

 

 後の世において、愚かなりと評されはしよう。

 だが、一方で愛されもするだろう。

 

 少なくとも、恥にまみれたケヴィン・カウフマンよりは、愛されるべき男なのだ。

 

 ◇

 

 強襲突入艦ホワイトローズは、白銀の塗装が施されている。

 明日の出撃を控え整備は終わっているはずだが、後尾部分に作業車両が張り付いていた。

 

 衝角から船尾まで全長350メートル、乗員数300名、うち100名は強襲揚陸部隊である。

 艦尾が格納庫となっているため、フラスコのような形状にも見えた。

 

 艦載砲は最低限の装備となっており、あくまで敵艦に接舷し揚陸する事に特化しているのだ。

 

「強襲突入艦が旗艦になるなど、戦史に残る暴挙かもしれませんわね」

 

 隣に立つジャンヌが、含み笑いを漏らしながら呟く。

 

「確かに暴挙です」

 

 トールは中央管区司令長官であり、ベルニク軍の階級としても最高位である。

 艦隊司令長官となるのが自然な流れであり、艦隊司令長官が乗船する艦は即ち旗艦である。

 

「ボクみたいな素人が艦隊司令長官ですしね」

 

 他人事みたいに言うんじゃないッ、とロベニカとしてはツッコミたくもあったが止めておいた。

 今さら言っても仕方がないし、もはやこの不思議な男に賭けるほかないのだ。

 

 グノーシス異端船団国が迫っており、領邦には裏切り者がいる。

 なおかつ、領邦が持つ軍事力も貧弱なのだから――。

 

「結果は女神ラムダのみが知るところでしょうが、私共が全霊でサポート致しますわ」

 

 トールと共に宇宙の藻屑となる可能性が高いジャンヌであったが、平素と変わらぬ令嬢ぶりだった。


「ホントに助かります。よろしくご指導ください」

 

 妙に素直なところが彼の美徳である。

 

「ただ、やっぱり不安なので――」

「あらまあ閣下ッ!――ご覧になって――ほら」

 

 思わずトールの話を遮り、ジャンヌがはしゃぐような声を上げた。

 飛び跳ねるようにして、ホワイトローズの艦尾を指差している。

 

 先ほどから艦尾に張り付いていた作業車両が去ると、隠れていた部分がその姿を現した。

 

「あれは――」

 

 Ωオメガに見えるマークは、ベルニク領邦軍を示すフラッグだ。

 旗艦の場合は、Ωオメガの中央に逆三角形が入る。

 

 ただ、今回は少しばかりアレンジされているようだ。

 Ωオメガの下に、ハンマーがえがかれていた。

 

「――ハンマー?」

「ええ」

 

 ジャンヌが嬉しそうに頷く。

 

「トールハンマーですわ」

 

 ――北欧神話か。まったく、ボクの夢らしいなぁ。

 

 ◇

 

「は――なんですと?」

 

 ドックに行っていたはずのトールが、またも基地司令官室に戻って来たのだ。

 おまけに無茶な要求を携えて――。

 

「艦隊副司令に?」

「そうなんですよ。月面基地司令に就任される前は、木星方面管区の討伐艦隊にいたそうじゃないですか」

 

 討伐艦隊とは通称で、正式には木星方面管区艦隊である。

 宇宙海賊への対応を主任務とするため、討伐艦隊と呼ばれる事が多い。

 

「じゅ、十年前の事ですし、何より月面基地を空けるわけには――」

「大丈夫ですよ。ここまで敵は来ませんし。来たら終わりなんですから」

 

 平和な顏で物騒な事を言い出した。

 

 トールとしても必死なのだ。

 自身の夢と考えているとはいえ、心に湧きたつ不安は本物としか思えない。

 

 素人艦隊司令には、玄人艦隊副司令が必要だろう、と考えたのである。

 

「――そうかもしれませんが――」

 

 ケヴィンは、困惑した。

 

 トール率いる艦隊への参加は、死亡チケットなのである。

 とはいえ、指揮命令系統上断る事も出来ない。

 

 いっそ全て白状するかと考えたほどであった。

 

「――わ、分かりました」

 

 だが、白状すれば憲兵隊に拘束されるのは間違いない。

 トカゲの尻尾切りの要領で、オリヴァーは自分を切り捨てるだろう。

 

「わぁ、良かった。安心しましたよ、ケヴィン准将!」

 

 トールの嬉しそうな声が、耳の右から左へと抜けていく。

 

 ――ともかく隙を見て逃げるしかない。

 ――ホワイトローズだか何だか知らんが、救命艇の位置だけは調べておこう。

 

 ケヴィンは硬く決意し――、

 

 いつの間にか、憂鬱どころでは無くなっている事に気付く。

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