31話 不遜なメイド、不遜な恩人。

 屋敷の敷地内にそびえる大聖堂は、使用人であっても自由に入る事ができる。

 大聖堂正面の両開きの扉は、常に解放されているのだ。

 

 Λラムダが二つ重なる徴のあしらわれた掛布の中央で、瞳を閉じた女神ラムダの像が聖堂を見下ろしていた。

 天窓から伸びる月明かりが、それを神秘的な光景に見せている。

 

 マリは聖堂に漂う静謐さが好きだが、今夜は少し静かすぎるように感じていた。

 その理由は分かっている。

 

 トール・ベルニクのせいなのだ。

 

 彼は普段と変わらぬ様子で、ロベニカを伴い屋敷を出た。

 見送るセバスを見て、どこへ行くのかを悟る。

 

 怖い場所に行くのだ。

 

 マリは政治や戦争について詳しい事は分からない。

 褒められた事では無いだろうが、実のところ興味も無かった。

 

 分かっている事は一つだけ。

 

 彼女はトールのいる屋敷が好きだった。

 彼のいる執務室が、会議室が、居室が――。

 

 先月までなら想像もしなかった感情が渦巻いている。

 これほど短い期間で、誰かに心奪われるなどあり得るのだろうか?

 

 何度か自問自答を繰り返し、未だ結論は出ていない。

 それが果たして、良い事なのかどうかすら分からないのだ。

 

 ――けど仕方ない。

 

 マリは息を吐き瞳を閉じ天を仰ぐ。

 オビタルとして、ごく自然に女神ラムダへの信仰心は持ち合わせている。

 

「お願い」

 

 ただ、幼き日に目の当たりにした光景から、彼女は祈ることを止めていたのだ。

 明確には言語化できぬ思いが、心の奥底に眠っている。

 

 あるいはそれは、テルミナ・ニクシーが抱く昏い感情と共通する部分があったのかもしれない。

 二人が互いを認識するのは、もう少し先の事になるのだが――。

 

「トール様を――」

 

 指先でΛラムダの印をえがく。

 

「彼を死なせないで」

 

 ――死なせたら許さない。

 

「絶対」

 

 ◇

 

 マリが大聖堂で不遜な祈りを捧げる数時間前の事だ。

 

「うわぁ、壮観ですね。眠気も吹き飛びます」

 

 バスカヴィ宇宙港のプライベートラウンジでトールは歓声を上げていた。

 このラウンジは、ベルニク家の人間と、重要な客人のみが利用できる場所である。

 

 宇宙港の発着エリアが一望できるようにもなっていた。

 とてつもない数の商船が発艦を待ち並んでいる様子は、トールが言う通り壮観だったであろう。

 

「ここから出艦するのは千隻ほどとなります」

 

 脇に控えていたロベニカが答える。

 

「残りは火星軌道都市から、月面基地に向かったと連絡がありました」

 

 彼女は任務を果たしたのだ。

 三日前の会食から、ここまでの動きは早かった。

 

 ルチアノグループ傘下の商船会社と、かなりイレギュラーな契約を結び幾つかの口約束を交わしている。

 トールへは事後報告となったが、契約と口約束の内容について特に不満は出ていない。

 

 それどころか、満面の笑みで礼を言われ、ロベニカとしても労が報われた気分にもなった。

 だが、自分の苦労など、実際に戦う者達と比べれば微々たるものだろう。

 

 トールの作戦全容は既に聞いている。

 

 軍事的な知識がある訳でも無いので、成功の可否は判断できない。

 ただ、老将の言葉から推測する他なかった。

 

 ――寡兵かへいですからな。

 

 ベルニク軍にとっての優位は、相手が侵攻するポータルが分かっている事だけである。

 それを悟られ、別のポータルを使われれば、全軍で当たったとしても数で負けるだろう。

 

 お互いが位置を把握したうえで会敵するならば、火力と数でほぼ決まるからだ。

 

 となると、オリヴァー・ボルツを泳がせ、主力軍を火星に張り付かせておく必要がある。

 相手に状況の変化を勘付かれないようにするためだ。

 

「トール様、そろそろ――」

 

 来る頃ですと伝えようしたところで、制服姿のアテンダントが来客を告げる。

 

「おっと恩人が見えるんですね。どうぞどうぞ」

 

 トールが気軽な様子で答える。

 分刻みのスケジュールで動いていたため、二人を対面させるという口約束の履行が、このタイミングになってしまった。

 

「――では、私は」

 

 ロベニカは退席すべく頭を下げた。

 

「え、いてくれないんですか?」

 

 少しばかり不安気な表情で尋ねる。

 最近のロベニカは、領主のこの顏に弱い。

 

「いえ、そういう――」

「ロベニカ殿との約束でしてね」

 

 場に華が咲くとはこういう事か、とトールは思った。

 グレン・ルチアノが、アテンダントに案内されプライベートラウンジを訪れたのだ。

 

「お目通りが叶い光栄です、子爵閣下。グレン・ルチアノで御座います」

 

 言いながらグレンは、優雅に一礼してみせた。

 

 ◇

 

 ――うわ、足が長いなぁ。

 

 向かいのソファで、足を組んで座るグレンを見ながら思った。

 難しい形式は止めましょうと伝え、対面で座して話す事になったのだ。

 

 トールとしては、艦隊戦の恩人なのであるから、下へも置かない対応で臨みたい。

 

「本当に驚きましたよ」

「で、ですよね……」

 

 いきなり相手の商船の四分の一を寄こせと言い、対価は敵から奪う予定の艦艇なのである。

 ふざけるな、と怒鳴られても仕方のない取引だった。

 

「ロベニカが、あれほど入れ込むとは」

 

 トールの予想とは違う角度の切り口だった。

 これは、我が夢ながら油断のならない相手だぞ、とトールは気持ちを引き締め直す。

 

「彼女は、常に真剣ですよ」

 

 アホのモブ領主が上司であった時から、報われないまま実直に働いていたのだ。

 EPRネットワークに残る記録を調べれば一目瞭然の話であった。

 

「――商談相手として、彼女が私を選んだ理由をご存じですか?」

「確か、帝都で共に学ばれた仲とか」

「ええ」

 

 グレンが頷く。

 

「それもあるでしょうが、最も大きな理由は――」

 

 ――昔の恋人とかかな。

 ――だとしたら、何だか羨ましいよね。

 

 トール自身は意識していなかったが、心のどこかが少しだけ疼いている。

 

「――私がピュアオビタルを嫌っているからですよ」

 

 この発言には、大きなリスクが伴う。

 オビタルとしても、財界人としても、またベルニク領邦の領民としても。

 

 グレンに幸いしたのは、トールがこの手の発言を全く気にしない事だ。

 あるいはロベニカからの話で、そう読んでいたのかもしれない。

 

「へえ、そうなんですか」

 

 別にいいか、と思っているトールとしては、些か拍子抜けする回答をするしかなかった。

 

 ――それと、これと何の関係があるんだろう?

 

 動揺の見られないトールを確認し、グレンは面白そうに笑った。

 

「ハハハ、聞いていた通りの方ですね。いや失礼――不敬にあたりますな」

「いえ、構いませんよ」

 

 あまりに不利な商談に乗ってくれた相手なのだ。

 

 ――清潔そうだし、足だって舐めるよ。

 

「閣下は刻印譲渡を条件の一つにされたでしょう?」

 

 借金のカタにできる銀色の髪――。

 とはいえ、トールからすれば、艦隊戦の方がよほど重要だった。

 

「しましたね」

「私なら決して乗らないと判断したのでしょう。グレイ――いや、ピュアオビタルになどなるつもりがありませんのでね」

 

 ――そういう事か……。

 

 ロベニカとしては、迂闊な相手に話を持っていくと、刻印譲渡に話が及びかねないと判断したのだ。

 周囲が止めたところで、トールはあっさり了承してしまうだろう、と。

 

 代わってグレンが得るものは、船賃、全損した場合の代替艦、そして――、

 

「蛮族――いやグノーシス異端船団国と本当に通商可能なのですか?」

「ええ、可能になるんです」

 

 ――もうちょっと先の話なんだけどね。

 ――帝国と彼らは国交を結ぶ事になる。まあ、教皇は怒り心頭で……。

 

 その際、ルチアノグループが、ベルニク領邦における彼らとの通商を十年間独占できる約束をした。

 無論、全損した場合の代替艦と並ぶ、大きな空手形ではある。

 

「いずれにせよ、戒厳令下で接収される未来よりはマシでしょう。お互いに、ですが」

「そうですね」

 

 トールとしても、経済界を敵に回したくはない。

 

「もう一つ。当然ながら、わが社の商船を操舵するスタッフは民間人であるとご認識下さい」

「ご心配なく。迎撃地点到着前には、CCUによる外部制御を許可した後、離艦して頂きます」

 

 弾避けに使うだけであれば、外部制御で十分なのだろう。

 

「感謝します」

 

 そう言って、グレンはソファから立ち上がる。

 

「お忙しい閣下を、これ以上拘束するとロベニカ殿に怒られる」

 

 ――やっぱり、学生時代から怖かったのかな。

 

「閣下、ご武運を」

「はい!」

 

 あまり仰々しい事を言わない男に、トールは好感を抱き始めている。

 比べるのも失礼ながら、例の大司教よりよほど良いと思った。

 

「おっと、あと一つだけお伝えしておくことが――」

 

 出て行こうとしたグレンが踵を返す。

 

「ロベニカ殿の事です」

 

 トールの動機が少しだけ早まった。

 

「ああ見えて、どうにもダメな男に弱いようです。妙な虫が付かぬようお気をつけ下さい」

「――え、は、はい?」


 トールより頭一つほど身長が高い恩人の顏を見上げる。


「この私を振ったのですから、間違いないでしょう」

 

 真顔で告げ、立ち去った。

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