23話 容疑者セバス。

 自室からも消えてしまった――。

 

 当番メイドの話を聞き、ロベニカ自身も彼の部屋に入って不在を確認している。

 トールの部屋へ単独で入室が許可されているのは、ごく一部に限られていた。

 

 ロベニカ、住み込みの主治医、それから――。

 

「あの」

 

 棚の不毛な整理を続けていたマリが、唐突に口を開いた。

 

「――朝からセバスさんを見てない」

 

 ◇

 

 トラッキングシステムによれば、家令であるセバスもまた自室から出ていない。

 

 彼の部屋は、使用人エリアの奥にあった。

 使用人用の浴室に行くには、その前を通る必要がある。

 

 ロベニカ、ジャンヌ、マリの三人は、そこを目指し通路を進んでいた。

 

「いつ頃から、変な音が聞こえていたの?」

 

 いつ――だったろうか。

 

 マリが記憶を辿って行くと、トールの軍服姿に行きついた。

 なかなかさまになっている――などと感じたはずだ。


 その後、割れた姿見の後片付けと入れ替えに、メイド長がブツブツと文句を言っていた事も思い出す。

 

「ベルニク軍の制服を着た日」

 

 その日の夜から、セバスの部屋の前を通ると、たまに大きな音を聞くようになった。

 

「ゴゴゴゴ、ギギギギ、ガガガガ」

 

 無表情でマリが音を再現する姿は、少しばかりシュールだった。

 

「何の音なのかしら――」

「いずれにせよ」

 

 身の丈より長いツヴァイヘンダーを構えながらジャンヌが言った。

 

「怪しいですわ。前科もありますし」

 

 すれ違う使用人達が、異様に距離を取るのは彼女のせいだろう。

 今にも犯人を斬り捨てようとする気迫が立ち込めていた。

 

「前科――ね」

 

 あの時と同じ状況であるにも関わらず、不思議とトールが逃げたという疑念は湧かない。

 実際、トラッキングシステムでも屋敷を出ていない事は明らかだった。

 

 とはいえ、以前のロベニカであれば、何らかの不正手段を使って逃亡した可能性を考えただろう。

 

 今はそうと思えない。

 信頼、信用、そういった言葉では表現できない感情だった。

 

 あえて言語化するならば、顕在化しつつある彼への依存だったのかもしれない。

 それがロベニカにとって良い結果をもたらすか否かは、かなり先の話となるだろう。

 

 先の話はさておき、まずは現在の課題であった。

 彼女は、政敵――例えばオリヴァー・ボルツの犯行ではないかと疑っている。

 

 目の前で凶刃が襲い掛かってきたのは、つい最近の事ではないか。

 

 にもかかわらず、ロベニカは護衛の強化を本気で検討しなかった。

 トール自身が護衛嫌いだったのも理由の一つではある。

 

 ――最近のトール様を見てると、なぜか大丈夫な気がしてしまう。

 

 緊張感とは無縁の、背筋だけは良い呑気な表情が脳裏に浮かんだ。

 だが、それは自身の甘えであったと自責の念に駆られている。

 

 傍で仕える人間は、常に最悪の事態を想定すべきではないのか?

 万が一にもトールの身に何かあれば――。

 

「ここ」

 

 短くマリが告げ、扉の脇にある認証パネルを操作する。

 

「トール様!」「閣下ッ」

 

 開錠音が響くと同時、なだれ込むように三人は部屋に入った。

 

 若くしてベルニク家の屋敷に入り百年以上が経つ。

 先代から仕えており、トールを誰よりも慕う忠実な家令である。

 

 飾り気のない男やもめの部屋だ。

 取り立てて注意を引く物は無いが、床だけは違和感を放っている。

 

 人が二人ほど同時に通れそうな穴が空いていたのだ。

 その穴の奥から物音がしたかと思うと、当の本人がひょっこりと現れた。

 

「坊ちゃ――」

 

 何かを言いかけたところで、意図せぬ訪問者に気付き固まってしまう。

 

「せ、セバスさん!?」

「――ロベニカ殿」

 

 セバスが狼狽えた声を上げる。

 その背後には穴があり、穴の中は下に続く階段となっているようだ。

 

「事と次第によっては、斬りますッ!!」

 

 ジャンヌは怒りに任せ、ツヴァイヘンダーを床に叩きつけた。

 大きな音がして何かが壊れた音が響く。

 

「あわわ、そ、それは」

 

 セバスが悲鳴のような声を上げた、その時――、

 

「――いやぁ、今日もお付き合い頂き有難うございました」

 

 呑気な声と共に、穴からトールが現れる。

 

「ん――あれ、みなさん?」

 

 ロベニカ達の顏を見回し、部屋に置かれた時計で目が止まった。

 

「すみません。遅刻しちゃいましたね」

 

 そう言って、申し訳なそうな表情で銀色の頭をかいた。

 寝不足なのか、少しばかり眠そうな顏をしている。

 

「ほ、ほんとに――もう――」

 

 ロベニカに押し寄せた安心感は、次に怒りの感情を生み出した。

 何の連絡も寄こさずに、男二人で地下探検をしていたのだ。

 

「――何なんですかッ!!」

 

 執務室へ戻るまで、延々とロベニカの説教は続いた。

 

 ジャンヌは穏やかな令嬢に戻り、何も語らずトールの後に続いている。

 彼女が抱えている物騒な大剣を除けばだが――。

 

 マリも自身の仕事に戻る必要があった。

 執務室の清掃はやり尽くしてしまったので、メイド長に指示を仰ぎに行くべきだろう。

 

 トールに軽く頭を下げ、執務室を去った。

 その時、メイド長の元へ向かう自身の足取りが軽い事に気付く。

 

 ――胸のモヤモヤが無くなった……。

 

 書籍の香りなど不要だったのだ。

 だが、その気付きは、新たなモヤモヤを生んでいる。

 

 自分が考えてはいけない事だと思い、軽く頭を振った。

 より現実的な思考に切り替える。

 

 トールとセバスは地下に行っていた。

 使用人の部屋から行ける地下があるなど、マリは聞いた事が無い。


 それに、そもそもトールは部屋を出ていないはずだ。

 

 ――どこに行ってたの?

 

 セバスに問おうと思った時には、逃げるように彼は姿を消していた。

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