19話 刻印の誓い。

「まず――宇宙港へはどのような用向きでいらしたのですか?」

 

 領主が逃亡を図っていたという噂はある。

 反体制派の一部組織などは、その情報に基づき危険な賭けに出ようとしていたとも聞く。

 

 だが、今さら逃げるとも、ソフィアには思えなかった。

 そもそも逃げる気なのであれば、この場で群衆の前に身を晒したりはしないだろう。

 

「ええと」

 

 ――興味本位なんだけど、素直に言うと怒られそうだなぁ。

 ――いや、ムチムチした人に怒られるのもいいか。夢だし。

 

「ちょっと、興味が湧きまして」

「ほう、ご見物というわけですね」

「そんな感じです」

 

 優雅な事だ、という皮肉は出て来なかった。

 領民に対して関心を抱くのは、為政者の責務であろう。

 

「多くの人が不満と不信、そして不安を抱えています」

「分かります」

「――避難計画が、今もって公表されていない事が主因では?」

 

 すでに計画の策定は終わり、準備も始まっていた。

 

「明日、公表される予定ですけど――」


 全ての領民が納得のいく内容ではないだろう。

 

 太陽系では、40憶人が暮らす。

 軌道人類が10憶人、残りは地表人類である。

 

 トールの知る時代からすれば少ない人口かもしれない。

 とはいえ、この規模の領民を他星系に避難させるなど、艦船の数から言って不可能だ。

 

「――まあ、みんな怒るかも」

 

 自信無さげに答えるトールだったが、実は避難の必要性はさほど感じていない。

 

 勝てる見込みはあるし、負けたとしてもグノーシス異端船団は占領統治などしないからだ。

 今回に限ると、戦いさえすれば略奪行為も発生しないだろう。

 

 むしろ、警戒すべきなのは、裏で手を組んでいるオソロセア領邦だった。

 とはいえ、ここで明かす事は出来ない。

 

 裏切り者のオリヴァー・ボルツを躍らせておく必要がある。

 また、グノーシス異端船団にも、予定通りタイタンから侵攻させたい。

 

「怒るとは――選ばれる者と、選ばれない者がいるからでしょうか?」

「そうですね」

 

 逃げたいと思っている領民全てを逃がせる訳では無いのだ。

 

「詳細は明日出ますけど、妊婦さんとか子供を優先します」

 

 ロベニカの報告では、妊婦、幼児、後は病人などをベネディクトゥス星系に避難させる計画だ。

 

 オソロセア領邦が治めるタウ・セティ星系は避けるよう指示してあった。

 となると、木星ポータルから行けるベネディクトゥス星系に限られる。

 

「他に優先される基準もあるのでは?」

 

 ソフィアはさらに質問を重ねた。

 多くの人々が、その内心で感じるであろう疑問である。

 

「え?」

 

 裏心の無いトールとしては、質問の意図が瞬時には理解できない。

 何かあったかな、と考えていた。

 

「貴族、高官、富裕層――そして領主ご自身」

 

 ソフィアは挑発的な視線をトールに送る。

 

「馬鹿な事言わないでソフィア。そんな条件は設定していないわ」

 

 憤慨した様子で、ロベニカが答える。

 彼女自身が、避難計画の策定には深く関わったのだ。

 

 勿論、そういった声が内部で上がった事実はある。

 財界関係者も、しきりにコンタクトを取ろうとして来た。

 

 それら全てのノイズをはねのけ、今の計画があるのだ。

 

「どうかしら。表向きはそうであったとしても――」

 

 なるほど、とトールは合点した。

 

 いかなる言葉を尽くしても、大衆は心の底では為政者を信用しない。

 彼らが裏切る事を、数多の歴史が証明しているからだ。

 

 そして、その疑いは健全な事なのだろう。

 

「ムッチーノさん」

 

 だが、トールには夢がある。

 それを邪魔される訳にはいかなかった。

 

 オリヴァー・ボルツにアホ領主と思われたまま、それでも領民達から信を得る必要がある。

 足下がぐらつけば、余計な懸案を抱える事になるからだ。

 

「では、誓いましょう」

 

 この世界には、おあつらえ向きの方法があった。

 

「避難計画に貴族、高官、そしてボクが含まれない事を」

 

 帯剣を抜き、自身の銀髪を一房斬ると、それをソフィアに手渡した。

 

「刻印に懸けて誓います」

「――な――」

 

 ソフィア・ムッチーノは、幾夜もこの日の事を思い出す。

 

 自身が、一介の記者が、ただの平民が、刻印の誓いを受けたという事実を――。

 トール・ベルニクの生涯を追うと決めたのもこの瞬間だった。

 

 この誓いを違えれば、ピュアオビタルは刻印を――頭に戴く銀の冠を失う。

 それによって彼らが喪失するのは爵位や名誉ではない。

 

 約束の地「アフターワールド」へ召されるという特権なのだ。

 ピュアオビタルにとって、それは自身の存在意義を放棄するに等しい。

 

 当然ながら、ロベニカとジャンヌも呆気に取られていた。

 

 二人は、この誓いが破られない事は分かっている。

 だが、それにしても――彼はいったい何を考えているのか?

 

 こうして、人々が呆然としている瞬間――、

 

 異様に輝く瞳を持った男が動き始めていた。

 ソフィアが手を回し、緩んだセキュリティのせいで、男は短刀を持ち込む事に成功していた。

 

 トールまでの距離は数メートル。

 邪魔する者はいない。

 

 男は走った。

 無言で実行するつもりだったが、興奮から思わず叫んでしまう。

 

「うがあああッ!!!」

 

 意味の分からぬ奇声を上げて、トールに飛び掛かった。

 

 この一連の動きは、トールの視界に入っている。

 気分でも悪いのかな、と呑気な事を考えていたのだ。

 

 だが、相手が刃物を持ち、自らを傷付けるつもりと理解してからの動きは早い。

 幾つかの偶然も味方したのだろう。

 

 刻印の誓いのため、抜き身の剣であったこと。

 抜き身の剣を、右手で持ったままであったこと。

 

 そして何より――、

 

「ぎゃあ――あ――いてっ――いてええええ」

 

 ――道は異なれど、剣術の素人では無かった。

 

 トールが身体記憶に任せ剣を振ると、男の右手首から先が飛んでいく。

 何人かは、彼が「コテ」と小さく言うのを聞いたらしい。

 

「痴れ者ッ!!!」

 

 ジャンヌが叫び、セキュリティと共に男を取り押さえた。

 

 ◇


 ――こうして、

 

 夜、自室に戻ったトールは、姿見が新しくなっている事に今も気付いていない。

 もともと鏡などよく見ないタイプだったのだ。

 

「ああ、疲れた」

 

 ロベニカから、とんでもなく長い説教をされたせいで疲れている。

 

 初めて人を傷付けた事にも、少しばかり消沈していた。

 夢だしな、という常となった自己防衛本能により、既に立ち直ってはいるが――。

 

「夢でも疲れるんだなぁ」

 

 そう呟き、ベッドに入った。

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