帰宅

「ただいまー」


 玄関の扉を開け、靴を脱いで中に入る。

 返事は当然の如く無い。


「今日は早く返ってくると良いんだけど」


 康太という男は根っからの社畜で、仕事をしていないと落ち着かないらしい。率直に言って、もう末期だと思う。重度のワーカーホリックだ。


 しかし、私を引き取ってからは頑張って定時退社するようになったのだ。

 昨日みたいに日が高いうちに帰ってきてくれることもあるので、これは大きな進歩だと思う。


「よっと」


 ランドセルを部屋の隅に置き、戸棚を開けて中のブツを取り出す。

 小学生が持つことを許されない、人類の叡智の結晶。


 そう、ご存知スマホである。


 これは康太が契約している二台目のスマホであり、必要最低限の機能しか付けていない安物だ。

 通話と、メールのやり取りしか出来ないチープなもの。一昔前のガラケーより劣っているという、劣化版スマホなのだ。


「帰ってきましたよ、っと」


 画面をタイピングして、康太にメールを送る。

 そうして今度は、ビデオ通話モードにしてある人へと電話をかける。


「今日は休みって言ってたけど……あ、繋がった」


 数度のコール後、通話が繋がってその人物の顔が画面に映し出される。


『はいは~い、こちらカフェヒイロで〜す』

「もしもし峰雄さん、雫です」

『あら〜! 雫ちゃん! 久し振りね〜!』


 スピーカーから聞こえてくる、ハイテンションな重低音ボイス。

 相変わらず元気そうで安心した。


「三日前にお邪魔したばかりでは……?」

『乙女にとって、三日は長〜い時間なのよ』

「峰雄さん、性別は男ですよね」

『ノンノン! 体は男でも、心はオ・ト・メ!』


 それを世間一般ではオネェって言うんですよ。まぁ、峰雄さんは線が細いし、喋らなければ女性っぽく見えるので、ちょっと羨ましいとすら思える美人オネェなのだが。


「元気そうで何よりです」

『雫ちゃんもね〜! それで、どう? 康太とは何か進展した?』

「全然です。昨日も夜這いしたのに全然襲ってくれませんでした」

『アッハハハ! 相変わらずのヘタレねぇ〜!』


 彼は最上峰雄もがみみねおさん。

 康太のお兄さんーーお姉さん?ーーであり、都心の方でカフェを経営している、凄いオシャレな人だ。


「でも、それが康太ですから」

『そうね。優しい子なのよ、昔から』


 それは痛いほど分かっている。

 ヘタレで、優しくて。でも、いざという時は勇敢で、頼もしくて。

 そんな彼だからこそ、ここまで大好きになったのだから。


『じゃあ今度は服を変えてみたらどう? オトコって、全裸よりも見えそうで見えない格好に興奮するバカな生き物なのよ〜』

「峰雄さんが言うと説得力ありますね」

『体は男性だからねぇ。これでも昔はかなりヤンチャしてたのよ』


 全然想像できないな。

 わたしが会ったときはもう、美人でオネェの峰雄さんだったから。


「例えば、どんな服装がいいですか?」

『う~ん、そうねぇ……あの子が好きそうな格好といえば……』


 少し悩む素振りを見せて、峰雄さんは顎に手を当て、小首をかしげる。

 その仕草が女性的すぎて、ちょっと嫉妬するレベルだった。性別ってなんだっけ。


『チャイナ服って分かるかしら。前と後ろに布が垂れてて、脚が見えてるやつ』

「康太は生脚が好きなんですか?」

『そうなのよ。あの子、脚フェチなの』


 意外だ。男性って大抵胸とか尻にしか興味が無いもんだと思ってた。


 でも脚、脚かぁ。


 だったらチャンスがありそうだ。胸の方は全く期待できないし、お尻もそこまでおっきくない。

 けど脚なら、割とイイ線いけるんじゃないかな。上半身と比べて傷痕が少ないのも、ポイント高いと思うし。


『大丈夫よ。康太ってば雫ちゃんのことが大好きだから』

「でも、それは娘として好きって意味ですよね?」


 だから、あれだけ迫っても康太は手を出してくれないのだろう。

 私としては、瑞々しいうちに早く食べてほしいと思っているのだが。

 青い林檎も、それはそれで歯ごたえがあって美味しいと思うのだが。


「早く食べて欲しいなぁ……」


 食べるのは嫌いだけど、食べられるのは大好きだ。もちろん、康太限定だが。


『そうねぇ……一番美味しい時期に食べてもらいたいって思うのは、乙女なら当たり前のことだものねぇ……』

「峰雄さんもそうだったんですか?」

『そうよぉ。ま、アタシの場合はとっくに賞味期限過ぎちゃってるんだけど』

「消費期限が過ぎてなければイケますよ」

『あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない』


 自分で言っておいて何だが、今のは褒め言葉なんだろうか。まぁ峰雄さんが喜んでるのだから、誉め言葉でいいのかもしれない。


『焦る気持ちは分かるけど、安心して雫ちゃん。あなたの食べ頃はまだまだ先よ』

「食べ頃の前に食べても飽きが来ない、ガムのような女になりたいと思っています」

『それだと味がなくなったら、捨てられて終わりじゃない?』


 痛いところを突いてくる。


『やっぱり隅々まで味わってもらって、最後には飲み込まれて、相手の体の一部になるまでが幸福よねぇ』

「つまり、ヤるだけで済まさずに結婚しろと」

『そうよぉ。康太にも、雫ちゃんみたいなしっかり者のお嫁さんがいてくれれば安心だもの』


 よし、言質取った。外堀から埋めていくのって大切だからね。戦国時代でもそうだったらしいし。


「吉報をお待ちしていてください、お義兄さん」

『あらあら、そこはお姉さんって呼んでくれなくちゃ』

「吉報をお知らせいたします、お姉さま」

『うんうん、よしよし』


 実際、外見だけ見れば峰雄さんは十分にお姉さまなので、呼ぶのに抵抗は無い。

 そんなこんなで楽しい雑談に興じていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。


「ただいま帰りました」


 そして玄関から聞こえてくる康太の声。今日は早く帰ってこれたらしい。


「あ、康太帰ってきた。それじゃあまたね、峰雄さん」

『今度、二人でまた顔見せにいらっしゃい』

「うん、必ず行くね」


 首輪つけてでも一緒に行きますとも。


「おや、電話中でしたか」

「ううん、もう終わったとこ」


 通話を切り、スマホを引き出しに戻しておく。今回も充実した密談ができたな。


「お腹空いてるでしょ。ご飯作っちゃうね」

「ありがとうございます」


 今日は何がいいかなぁ。すぐに作れて、腹持ちもいいチヂミでも出しますか。


「さて」


 エプロンを付けて、キッチンに立つ。

 この何でもない時間が、ずっと続けばいいと思いながら。

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