甘い毒

 毒というものは、人体にとって有害だ。


 百害あって一利なし。だからこそ、毒と呼ばれている訳で。


 利があるのなら毒なんて呼ばない。少しでも人体に利があるのなら、それは毒ではなく薬と呼ばれる。

 ならば、私は彼にとっての毒だろう。


『雫さんのためなら、これくらい平気ですよ』


 私の存在は、彼に利をもたらさない。

 正真正銘の毒だ。


 だけど、それでいいと彼は言った。


 甘い毒。


 飲み込むことに躊躇せず、身体の中に入れば、徐々にその身を蝕んでいく。


 ああ、ホントに。


 毒を食らわば皿まで、なんて諺を作った人は、頭がおかしい。



◇◆◇◆



 窓辺から射し込む、冬場とは思えないポカポカ陽気。まるで春だと錯覚してしまいそうだ。

 しかも今日の給食はカレーライス。クラスのみんなは大喜びの有り様で、これは午後の授業が静かになること間違いなしのシチュエーションだった。


「ふぁ〜……むにゅむにゅ」

「萌葉ちゃん、ご飯こぼしてるよ」


 給食の時間、向かい合って座っている萌葉ちゃんが、ご飯を食べながらうたた寝していた。

 器用なことをするな、と感心していたのだが、やっぱりこれは行儀が悪い。


「ねむい〜」

「午後も授業あるんだけど」

「かえりたい〜」

「私だって帰りたいよ」


 早く帰って康太とイチャイチャしたいよ。でも康太仕事だから、帰っても居ないんだよ。

 だから、こうやって学校で時間つぶしてるんだよ。家には暇つぶしできるものなんてなにもないからね。


「貧乏暇なし、とはよく言ったものだよね」

「じゃんぼいまだち?」

「貧乏暇なし」


 どうやら相当眠気にヤられてしまっているようだ。萌葉ちゃんは耳が相当おかしなことになっているらしい。まぁ、いつもの事だが。


「ねぇねぇ、そういえばさぁ」

「ん?」

「瑠璃ちゃん、好きな人ができたんだって」

「へー」


 内緒話でもするように、ひっそりと告げられるどうでもいい事実。

 瑠璃ちゃんというのは、このクラスの中心人物的な女の子だ。いつも色々な話題や雑学を披露して、みんなの輪の中心にいる。


 まぁ、俗に言う陽キャというやつだ。


 日陰で生きてきた私とは対照的で、一生相容れない水と油のような関係である。

 悪い子じゃないんだけどね。むしろいい子。ただ、あの空気は私には毒だ。吸いすぎると命に関わる。


(まぁ、それを言ったら萌葉ちゃんもかなり陽キャの部類に入るんだけど……)


 転校時からの疑問である。

 どうして萌葉ちゃんは、こんな陰キャの私なんかと仲良くしてくれるのだろうか。

 別に、なにか特別なことをした覚えは無いんだけど。


「むにゃ〜」

「あ、ほらまた零してる」


 考え事をしていたら、萌葉ちゃんがまたねむねむモードになっていた。

 恐るべし、ポカポカ陽気。


「で、瑠璃ちゃんの好きな人って誰なの?」

「ん〜」


 興味はないけど、一応聞いておこうと思う。万が一だけど、康太をオトすテクニックが知れるかもしれないし。

 そう、だからこれは好奇心なんかじゃなくて、純粋な学びのための質問なんだよ。うん。


「えっとね〜……だいがくせ〜? のおにーさん? って言ってたよ〜」

「え」


 大学生の、お兄さん。

 マジか。小学生の分際で、そんな年上に手を出しているのか。

 いやぁ、今どきの子は進んでるなぁーーあ、私も年上に手ぇ出してたわ。しかもガッツリと。


(いやいや落ち着け、落ち着きなさい雫。まだ全然瑠璃ちゃんが片思いしてるだけで、イチャイチャまでは発展してない可能性だって十分に有り得るから)


 むしろそっちの方が確率の高い可能性だ。小学生の恋愛なんて、惚れた腫れたが絡むことなんて滅多に無い。一方的に好いている事の方が多いのだから。


「なんかね〜、毎晩ラブラブなんだって。ほっぺた赤くしながら照れてたよ」

「ガッデム」


 その大学生ロリコンじゃねぇか。ヤバい人に惚れちゃってるじゃん、瑠璃ちゃん。

 しかも、もうそんな所まで。私だって康太とは、まだ夜のお楽しみはしたことないのに。うらやまけしからん。


「これは……瑠璃ちゃんに直接問いただしてみなくちゃダメだね」


 放課後、一人になったところに突撃してみよう。

 そしてその大学生が本当に安全な人なのか聞き出すのだ。

 あわよくば、男の人を誘惑するテクニックとか教えてもらいた……じゃなくって。


「と、とにかく突撃あるのみ! 恋のためには、多少の恥は投げ捨てるもの!」

「んぁ〜……?」


 またもねむねむ状態になっていた萌葉ちゃんをよそに、私は決意を新たにする。

 さぁ、覚悟しなさい瑠璃ちゃん。必ず恋愛事情を赤裸々に語ってもらうんだから。



◇◆◇◆



「くしゅん」

「お、どうした風邪かー?」

「いえ、ちょっと寒気がしただけです」


 お昼ごはんの最中、背筋に悪寒を感じて、思わずくしゃみをしてしまった康太。

 誰かが噂でもしているのだろうか、と訝しみながら鼻をすする。


「娘にうつすなよー」

「大丈夫ですよ。風邪を引くほど、あの子はヤワじゃありません」

「へぇ、そんな強い子なんだ」

「えぇ、強いですよ。特に精神力が」


 康太の脳裏には、小学生らしくない言葉を並べる雫の姿が思い出されていた。

 大人の康太から見ても、雫の精神年齢はちょっと成熟しすぎている。

 それこそ、異常と呼べる程度には。


「……やっぱり、前の家での出来事が尾を引いているんでしょうね」

「養子に迎える前に、何かあったのか?」


 釜玉うどんを啜りながら、楪が問い掛ける。

 それを受けた康太は、少しだけ躊躇いながらも口を開いた。

 

「ええ、彼女はーー雫さんは」


 言うべきか一瞬迷ったが、既によっぽどヤバいことは告白してしまっている。

 ならば言ってしまったほうがいいと、康太は続けて言葉を紡ぐ。


「生みの親に、カルト宗教へ捧げられそうになっていたんです」


 自身の娘にとって辛い現実を、吐き出すように語った。

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