魔法使いをさがして

水車

1 バラの咲く国

「野中に色づくかわいらしきバラよ かおる風その身ニー!」

 盛大に裏返った声に、馬車の中は大爆笑であふれかえった。さり気なく聞いていた御者の老人も、思わず吹き出してしまう。

「そんなに笑わないでくださいよ!」

黒いドレスを着た少女―ロイ・シャーヤ―と、燕尾服を着た少年―トルム・イオニアマイグス―が大きな口を開けて笑っているのに対し、歌っていた張本人の少女―ティナ・オセユア―は、真っ赤になって怒っていた。

「ごめん・・・はあ・・・ごめん・・・くくっ」

 涙を拭きながらロイは謝ったが、まだ笑いが収まり切れていない。

「そこで裏返るかー」

「しょーがないじゃないですか!高いんですもん!」

 ツッコミを入れたトルムに、ティナはかみつく。

「でもティナ、ほんとにどうするの?このままなら、この曲は演奏を取りやめないといけないわ。お客さまには良い演奏を聴かせなくてはならないもの」

 ロイは何とか呼吸を落ち着けて尋ねた。とたんに、ティナはしゅんとする。

「声量落としてもいいなら、できますけど・・・」

「まあ、裏返るよりはましか」

 トルムがうなずいた。

「じゃあ、そうする?」

「そうします」

 ティナはうなずいて、二・三度咳払いをした。

「じゃあ、もう一度するぞ」

 トルムが合図をすると、ロイは窓枠を両指で叩き出す。すぐにティナは歌い始めた。

「野中に色づく可愛らしきバラよ かおる風その身に受け笑う・・・」

 今度こそきれいに歌が流れ出し、御者も気持ちよさそうに聴きながら、馬を操る。

 三人を乗せた馬車は森を抜け、白い石でできた門の前で止まった。

 老人は御者台から降りると、客室の扉を開く。

「ありがとうございます」

 一番にトルムが降り、降り口に向かって手を差し伸べた。その手を取って、ロイも馬車を降りる。最後に、荷物を順番に降ろしていたティナがひょいと飛び降りて、御者にお金を払うと、三人は門をくぐっていった。

 土を焼いて作った茶色い瓦の屋根に、白い壁。石畳の敷かれた道路の上を、ぴょんぴょんと子供たちが跳ねていく。空はあいにくの曇り空だが、町にはのどかな空気が流れていた。

「きれいな町ね」

 黒い一抱えもあるケースをもって歩きながら、ロイは言う。大きなリュックサックを背負って隣を歩くティナも、うなずいた。

「そうですね、これで晴れてたらもっと素敵だったんですけど」

「でも、太陽が出てないから日焼けしなくて済むわよ」

「そっか、そうですね!」

 小さめのリュックと、何やらいろいろ入ったかごを持ったトルムが、その会話を聞いて口をはさむ。

「そう勘違いするやつもいるが、曇ってたって太陽の光は届いてるからな。晴れの日と大して変わんないぞ」

「え?でも、太陽は雲に隠れてるじゃないですか」

「本当に光が届いてないのなら、あたりは真っ暗になるだろ。間に雲があるとしても、結局太陽の光を浴びてることになるんだから、まったく日焼けをしないとは限らない」

「え?え?」

 頭の上にたくさんはてなマークを飛ばすティナを見て、ロイはくすっと笑った。

「トルムったら、ティナが困惑しちゃったじゃない。物知りなのはいいけど、もうちょっとわかりやすく教えてあげて」

「要するに、太陽が見えなくても昼間であれば、俺らはずっと日光を浴びていることになるって訳」

「わ、分かりました?」

「ほんとに分かってんのか?」

「はい、多分?」

「語尾にはてなついてる時点で怪しいぞ」

「うー・・・。また改めて、じっくり教えてください・・・」

 ティナはうなだれてしまった。ロイはくすくす笑っていたが、不意に「あ、ほら」と前方を指さした。

「広場についたわよ」

 一本道が開けて、たくさんの家や店がぐるりと円になって取り囲む町の広場に、三人はやってきた。一段高くなった中央には小さな噴水があり、何人かの若者が縁に腰かけて本を読んだり会話を楽しんだりしている。広場にはいくつもの道がつながっていて、そこから人や馬車がやってきたり出て行ったりと、活発に行き交う。

 三人は噴水に近づいて荷物を降ろすと、看板を立てたりケースを開けて中身を取り出したりと、何やら準備を始めた。見慣れない人と、何かが始まろうとする気配に、町の人々は興味を惹かれ、立ち止まって三人の様子を眺めている。

 やがて、準備が整った。ティナがくるっと人々のほうを向き、芝居がかった調子でお辞儀をする。

「皆様、こんにちは。私たちは遠い国からこの国を訪れた、旅の音楽家。今日はこの曇り空を一瞬で晴れ渡らせるような、明るく楽しい音楽を聴いていただきたく存じます。どうか、このひと時をお楽しみいただきますよう、お願い申し上げます」

 口上が終わると、ティナは噴水に腰かけるロイとトルムに目を合わせる。ロイは膝の上に赤いアコーディオンを、トルムは足元に置いたかごから取り出したタンバリンを持っていた。

 ティナが目線で小さく合図を送ると、ロイとトルムは楽器を奏で始める。前奏が終わり、ティナは息を吸うと歌いだした。

 曲は、先ほど馬車の中で練習していた『風の中のバラ』。小鳥のようなかわいい歌声と、上品なアコーディオンの響き、曲を飾るタンバリンの音に、人々はたちまち引き込まれていった。

 三人は次々に曲を披露し、最後の曲が終わると、盛大な拍手が広場に響く。ロイたちは笑って、深くお辞儀をした。地面に置いたバスケットには何枚もの金貨が。演奏が終わって三々五々散っていく人々の中にも、さらに金貨を投げ入れる人がいる。それを横目に、三人は楽器などの片づけを始めた。

「ちゃんと裏返らなかったね?」

 ちょっとからかい調子でロイが言った。

「はい」

 ティナは、立てていた看板やかごを片付けながら答える。

「でも、やっぱりもうちょっと声量が欲しいです」

「そうだな。もう少しバランスが取れたほうがいい」

 トルムは大きめのかごに、きれいに拭いた打楽器をしまっている。

「明日は頑張ります」

 アコーディオンをケースにいれるロイは、励ますように言った。

「でも、お客さま方も喜んでいたみたいよ。ほら、沢山お金もらえたし」

「そうですね!これで今日の宿は確保できて、ご主人様が欲しがっていらっしゃったられたアレも買えるかもしれませんよ!」

 嬉しそうに言ったティナの手首で、鉄の輪が揺れる。無邪気に笑う彼女に似つかわしくないぐらい、黒く重い色をしているそれは、両足首にも同じようにつけられていた。

 この鉄の輪は、その人が重い罪を犯し、償いのために誰かの所有物となる『使われ人』と言う身分になっていることを示すものだ。使われ人は金銭で取引され、本人が仕える先を選ぶことはできない。だが定められた期間、誠実に主人に仕えていれば、使われ人は自由の身となり、再び自分の意志で人生をやり直すことができる。

 道行く人々は、ティナの輪を見て眉をひそめたが、次の瞬間、ロイの方に目を奪われた。

それもそのはず、両手で楽器のケースを持ち佇んでいるロイは、雪のように白い肌に桜色の頬、それらを映えさせる漆黒の髪をもち、他の人とは違う上品な雰囲気を漂わせているからだ。

「はあ・・・本当にきれいね、アコーディオンの子」

「あんな子が旅芸人だなんて、信じられないわ」

 女性たちのひそひそ声に、少し顔を伏せたロイは、二人が準備を終えたのを見て、声をかけた。

「行きましょ?」

「ああ」

 三人はその場を離れ、宿屋へと向かった。そこで荷物を預け、次に訪れたのは市場。すでに夕方近くなのにたくさんの人が集まり、灰色の空の下で思い思いに買い物を楽しんでいる。

「あれ?ないね」

「ですね・・・」

ロイとティナは何かを探すようにあたりを見回していた。

「何を探してるんだ?」

「バラの香水。今の時期に売っているはずなんだけど」

 おかしいな、とロイは首をかしげる。

 三人の訪れたこの国、ロジエは世界有数のバラの栽培国で、特に有名なものの一つが、バラの香水だ。この国の気候で育ったバラからしか取れない貴重な香水で、使うとより美しくなれるといわれている。もちろんそれなりに値は張るのだが、二人はそれを買うために、コツコツとお金を貯めていたのだ。

「トルムも探してよ」

「はあ?」

「はあって言われた~」

 ロイは肩を落とす。ティナは一軒の屋台に近づいて、店員の女性に尋ねた。

「すみません、バラの香水を売っていらっしゃるお店は、どこにあるかご存知でしょうか?」

 年配の女性は、ティナの輪をちらりとみて答えた。

「あんたが買うのかい?それとも主人の使いかい?」

「私も買うつもりなのですが・・・」

 女性は呆れたように片手を振った。

「やめときな、あんたみたいな使われ人が買える代物じゃないよ。それに今年は、あれは作れないんだ」

「それはまた、どうしてですか?」

 トルムたちが近づいてきたのに気づき、店員は急に相好を崩すと、さっきより声を高くして言った。

「いやね、最近天候が良くなくて、バラがちっとも育たないんですよ。だからバラ製品は何も作れなくて、皆困っているんです。あと、旦那様方は、『青バラ』も見においでたのですか?」

「はい」

 トルムが答える。

「あれもつぼみが全く開かないらしいんですよ。百年に一度しか花を咲かせなくて、今年ようやくお目にかかれると思ったのに。申し訳ありませんねえ、せっかくおいで下さったのに」

「いえ」

 ロイは笑顔で首を振った。

「もしよろしければ、うちの商品も見て行かれませんか?それにしても、本当におきれいなお嬢様ですこと。そんな香水なんか買わなくたって、十分お美しいですよ」

「そんな・・・」

 ロイは照れたように少しうつむく。

「まだ幼いのに使われ人を連れていらっしゃるなんて、よほど身分がお高いのでしょうねえ」

 その言葉を聞き、ティナはちらっとロイを見た。何も答えなかったが、眉が少しぴくっと動く。

「ところで、ちょっとお尋ねしたいのですが、この国に『魔法使い』がいるという話を聞いたことはおありでしょうか?」

 二人の間に割って入るように、トルムが言った。

「魔法使いですか?」

 店員は少し考えると首を振った。

「いいえ、聞いたことありませんね。それにもし、魔法使いがいるのなら、この異常気象をどうにかしてくれると思うんですが」

「そうですか、ありがとうございました」

 三人は軽く頭を下げ、その店を離れる。店が見えなくなってから、ロイは不機嫌がにじみ出た声で文句を言う。

「ひどくない?あの人。絶対私のこと五歳ほどだと思っているでしょ」

「え、お前五歳じゃなかったのか?」

「嘘でしょう、こっちにもひどい人がいたわ」

 ロイは額を押さえる。

「いやだって、見た目的にそうじゃないか。だろ?」

 トルムが笑ってティナに問いかけた。

「すみません、それに関しては何とも言い難いです」

 一つ年下のティナよりも背が低いロイは、その身長がコンプレックスなのだ。とはいえティナも小柄なので、精々数センチの差。だがその数センチが、ロイにとって年上の威厳を失わせる重要な問題となっている。

「規則正しく生活してるつもりなんだけど」

「ご主人様、早寝ですものね」

 ロイの就寝時刻は平均して八時である。

「八時寝で二時起きが正しいかは、ちょっと疑問が残るが」

「十時から二時の間に寝れば、身長が伸びやすくなるって聞いたことがあります」

「一応入ってるよね?」

「俺十二時に寝て七時に起きてる」

「それでよくそんなに大きいね」

 トルムとロイとは、同い年なのに頭二つ分ぐらいの差がある。

「あ、ほら、相対的なものじゃないですか?イオニアマイグス様が隣にいらっしゃるから、そう見えるのであって」

「オセユアそれフォローになってない」

「絶対伸ばして見せるから!」

 ロイはこぶしを握り締めた。

「話変えるけど」

 トルムがあたりを見回して言う。

「あの人が言っていた通り、確かにバラが少ないな」

「異常気象らしいですね」

 ティナは困ったように眉を下げた。

「魔法使いなら、こんな問題ぐらいすぐに解決してくれるはずよ。それなのに何もよくなっていないというのなら、やっぱりこの国には魔法使いがいないのかな」

「決めつけるのは早いと思います。何らかの理由があって、魔法使いが動けないのかもしれません。いつも通り、地道な聞き込み調査をしてから判断するべきだと思いますよ」

「えー、やっぱり聞き込みするの?」

 トルムが苦い顔をする。

「当たり前でしょ。実は魔法使いがいたのに、調査不足で気づかず国を出てしまいましたってのが一番嫌なんだから」

 口をとがらせるロイに、トルムは面倒くさそうに「わかりましたよ、お嬢様」と返した。反面、ティナはワクワクしている。

「頑張ります!わたくしティナ・オセユア、ご主人様のために少しの情報も見逃しません!」

「熱い熱い」

 トルムが熱を冷ますようにパタパタとティナをあおぐ。

「頼もしい!頑張ってね」

 ロイはその言葉に嬉しそうだ。

「とりあえず、今日は宿に戻ろうぜ。明日から一日中歩き回るんだから」

 トルムは頭の後ろで手を組み、言った。

「そうですね。夕食時に宿で一曲やる約束しましたし」

「うわマジか。やりたくねー」

「だーめ!そのおかげで宿代を安くしてもらってるんだから、ちゃんと演奏する!」

 三人は笑いながら、宿への道を歩いて行った。

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