第15話 内定式②
内定者21名が集まり、スケジュール通りにイベントが進行していく。
14:30。社長講話。
研修室にCIL社長、
歳は70を超えているため髪は完全に真っ白。体格はふっくらとしていて、縁の太いメガネをかけていた。
それでも歩きはしっかりとしていて、人事部の鈴木から講話を依頼されると真っ直ぐに演台へと向かう。
秘書の
20代半ば。髪は長く、おしとやかな印象を与える風貌をしていた。
彼女は社長へ講話の原稿を渡すと、研修室後方の席に腰掛ける。
後方の席には他にも社員が何名か座っていた。
社長が演台に上がると、人事部鈴木の号令で内定者たちは起立、一礼する。
その後全員が着席すると、社長は自身でPCを操作してスクリーンに資料を表示させて講話を始めた。
声はよく通り、滑舌もはっきりしていた。時折鋭く部屋中を見渡し、講話内容に相づちが打たれているのを確認しながら、粛々と講話を進める。
講話の内容はとりまとめると、CILがどのような歴史を歩んできたのか。恩師がいかに研究を大切にしていたか。そしてその教えを実践した社長がいかに素晴らしいか。発明なくして未来は決してないということ。
最後に、内定者たちへ今後進めていくプロジェクトでの活躍を期待していること。
30分ぴったりで講話を終えると、社長は後のことを人事部に任せて、秘書と共に研修室を後にした。
「講話内容についての質問がありましたら、後ほど社長談話の時間に直接社長にお尋ねください」
社長講話を聞きに来ていた社員たちも退室し、再び研修室には内定者と人事部の2人のみとなる。
続いて15:00からは社内見学。
とはいえ通常業務中。
スーツ姿の人間を実験室には入れられない。
見学先は1階。正面玄関入って直ぐのところにある展示室だった。
展示室内には最近の学会発表のポスターや、展示会で公開した技術サンプルなどが綺麗に並べられていた。
それらを前に、営業部長の
展示室の広さ的に、1つの展示品の前に21人全員集まるようなことは出来ない。
なので自由に見学しながら、気になる物があれば幹に質問する形となった。
「この後15:20に講堂へ移動します。
それから内定式が始まるとしばらく講堂から出られなくなりますので、お手洗いなどは今のうちに済ませておいてください」
鈴木から内定者に伝えられると、何人かは展示室から出てトイレに向かった。
来客用のトイレは展示室を出て正面玄関を横切って直ぐのところ。
そこまで行くだけなら社員証も必要ない。
天野、岩垣、豊福もトイレへ行ったり帰ってくる内定者を見て、空いていそうなタイミングでトイレへ向かった。
15:20になると展示室の見学は終了。
そのまま3階へ向かう。
来客用エレベータで3階へ。
管理ゲートを2つ通って廊下に出ると、西へ真っ直ぐ進んだ。
既に講堂には役員たちが集まり、一部の社員もやってきていた。
鈴木に率いられた内定者たちは講堂の後方入り口へ向かう。
その入り口前で、鈴木は簡単に説明した。
「合図がありましたら入場して、1列で真っ直ぐ講堂の真ん中まで進んでください。
そこから中央の通路を前方に進んで、一番前の席に並んでください。
最初の10人が左手の席。次の11人は右手の席です。
岩垣さんから右手です。
曲がって一番奥の椅子まで進んで、後は順番に並んでくれたら大丈夫です。
あまり急がず、ゆっくり歩いてくださって構いません」
説明に内定者たちは頷く。
1人名前を呼ばれた岩垣は、「右手、右手」と復唱して鈴木に大きく頷いてみせる。
「それでは内定者入場」
司会の声がかかり、鈴木が合図を出す。
先頭に立つ豊福に続いて内定者は講堂へと入っていく。
社員たちの拍手に迎えられて、指示通りに歩き、そして最前の席に21名が並んだ。
拍手がやみ、着席が促される。
それからは役員たちが代わる代わる、内定者たちへ挨拶と訓示をしていく。
それらは先ほどの社長講話で聞いた内容を引き延ばしたようなものばかりで、退屈ではあったが、内定者たちは真面目に聞くふりをしていた。
ともかく、CILの経営は順調であり、今年度も来年度も黒字経営は確実だとのことだ。
来年の賞与も間違いなく支払われるという財務部門役員の言葉には、退屈していた内定者たちも目を輝かせた。
内定式を終えると内定者たちは先に退室を促され、その後は鈴木に引き連れられて4階研修室へ戻る。
短いトイレ休憩を挟み、16:00から社長室へ。
社長室では社長と秘書が待っていた。
1人ずつ社長へ質問して、それに回答をもらうという形式で談話を進めていく。
内定者たちは未だ社長の全容をつかめてはいなかったが、怒らせると面倒な人だとはなんとはなしに感じ取っていた。
それぞれ、当たり障りない問いかけをしていく。
順番は特に決まっておらず、社長の目にとまった人からという順序だった。
天野は今後の技術開発の方針について。
岩垣は自己学習の進め方について。
宮本は仕事への向き合い方について。
豊福は開発した技術の収益化方法について。
誰もが当たり障りない問いかけをする中、豊福だけ踏み込んだ質問をしたことで、社長も熱心に回答していた。
特許化と権利行使について話す社長の様子から、どうも豊福は気に入られた様子である。
社長談話は長引いて、予定した終了時刻の16:30を割り込んだが誰も止めに入らない。
ようやっと談話が終わったのが16:40。
先輩社員との談話時間を縮小する形で調整が入ることになった。
長々と話していた社長は、秘書から受け取った水を飲む。
同時に秘書は、錠剤を1つ渡した。
「本日の分です」
社長は「ああ」と短く返事して錠剤を受け取ると、水と一緒に飲み込んだ。
そのまま社長と秘書は退室していく。
内定者たちも、先輩社員との談話のため4階和室へと移動した。
社長談話とは打って変わって、歓迎される雰囲気の中、和室で待っていた先輩社員たちとざっくばらんに言葉を交える。
集まった社員は、化学材料、医薬品開発、特許、営業からそれぞれ1人ずつ。
皆若手で、内定者たちと年の頃も近かった。
時間はあっという間に過ぎ、17:00のチャイムが鳴る。
「では食堂に移動します。
懇親会が有りますので、もし話し足りないという方は、その場で是非社員にいろいろと聞いて下さい」
内定者たちは食堂へと向かった。
食堂は昼頃に並んでいた長机が畳んで部屋の端に重ねられ、代わりに丸テーブルがいくつか並べられていた。テーブルの上には紙コップと紙皿。飲み物がいくつか。
食堂中央には料理の並んだ机が並び、その内側で料理人たちが食材をさばいていく。
中でも堂々とした姿のマグロは皆の目を引いた。
1匹丸々、この場で捌いて提供するつもりらしい。傍らには酢飯が用意されているから、きっと寿司を握るのだろう。
「立食形式なので食事もお飲み物もご自由にお取り下さい。
――まず懇親会の挨拶からですね。
着いてきて下さい」
鈴木に率いられて、内定者たちは食堂奥に設えられた簡易ステージの脇へ並ぶ。
社長や社長秘書、その他役員達はステージを挟んで反対側に並んでいた。
いよいよ役者が集まり開会という頃、食堂の職員が栓の開いた一升瓶をステージに一番近いテーブルに運んできた。
ラベルには地元ビール製造会社の社名が記載されている。珍しい、一升瓶に詰められたビールだ。
食堂職員はテーブルに一升瓶ビールを置くと厨房の方へ戻っていった。
「あれ、一升瓶の地ビールなんです。
興味がある人は是非飲んでみて下さい。
未成年者はダメですけど――お茶がありませんね。持ってきます」
人事の鈴木は新人に語りかけ、テーブルの上にお茶が置かれていないのに気がついた。
彼女自身お酒が飲めないので、率先して自分から動く。食堂入り口に積まれていた段ボールから2リットル入りペットボトルのお茶を拝借すると、それをステージ前テーブルの上。
一升瓶ビールから離れた場所に置いた。
懇親会の準備良し。
内定者と社長含む役員も集まった。
社員達も続々と食堂に集まってきている。
そんな様子を確認すると、人事部長の
その後マイクは社長に渡される。
社長から来年度入社予定の内定者を歓迎する挨拶、そして現在プロジェクトを進めてくれている社員達へ、今日くらいは仕事を忘れて明日から研究に打ち込んで欲しいとの言葉がかけられる。
社長からの挨拶が終わると、マイクは営業部長の幹和志へ渡された。
幹は乾杯するので、各自飲み物を用意するように告げる。
社員達は皆、それぞれの近くにあるテーブルで各自飲み物を準備していく。
内定者と役員は、ステージ近くにあるテーブルに集まった。
技術部長、
それは決まり切った事柄のようで、社長は紙コップを手にして、米山からお酌を受けた。
「どうぞ、内定者の方々も。
地元の生産者が作ったビールです。どうぞ遠慮なく」
米山が勧めに応じて、豊福と天野は机の上に置かれていた紙コップを1つずつ持ってビールを注がれた。
「お茶が良い人はこちらにどうぞ」
鈴木は自身で紙コップにお茶を注いで、それを他の内定者達に勧める。
高校生の宮本、高専生の岩垣がお茶を受け取ると、その他未成年者やお酒が苦手な内定者達が続いた。
全員の飲み物が用意されると、営業部長の幹はマイクを手に乾杯の音頭を取った。
「上半期は新たな研究テーマで躓きがありましたが皆様の協力もあって峠を越えつつあります。
既存事業は好調で、昨年より増収増益が見込まれます。
来年度より入社する内定者達と力を合わせて、更なる発展を目指してゆきましょう。
ではCILの今後益々の発展を祈って、乾杯!」
乾杯の合図で、社員も内定者も紙コップを掲げる。
それから近くに居る人たちと軽くコップを合わせた。
「4月からよろしく頼みますよ」
社長は内定者――特に豊福へ向けて声をかけ、乾杯を交わす。
2,3人と乾杯すると社長は満足して、ビールに口をつけ、豊福と入社後どんな研究をしたいのか、具体的な話を始めた。
話に夢中になった社長は、あっという間にコップ一杯のビールを飲み干してしまったようである。
「マグロ食べたい方はこちらへどうぞ」
人事の鈴木は、自分から食事を取りに行って良いのか悩んでいた内定者へと声をかける。
「皆さんのための懇親会ですから。どうぞ飲み物も食事も自由にお楽しみ下さい。
たまに思い出して、社員の方達とお話しして頂けたらそれで人事部としては十分ですから、まずは皆さんが楽しむことを優先して下さって構いません。
と言う訳なので、マグロ貰いに行きましょう!」
鈴木の号令で、新人の数名は紙皿を持って、既に社員達が列をなしているマグロ寿司の元へ向かう。宮本と岩垣も、紙皿を手に列へと挑むことにした。
社員達は我先にマグロを手にしようとしていたのだが、鈴木が睨みをきかせて「本日は内定者のための懇親会ですよ」と告げると、すんなり道を開けた。
マグロが目の前で解体され切り身にされ、切り身は職人によって握られていく。
列の先頭に躍り出た宮本と岩垣、そして鈴木が紙皿を差し出すと、寿司職人がマグロ寿司を皿一杯に載せてくれた。
直ぐに次の人に順番を譲り列から離れる。
宮本は皿一杯に載せられた寿司を見てため息ついた。
「こんなにいっぱい……」
「テーブルに持って帰れば皆さん食べてくれますよ。
それを切っ掛けに同期でも社員相手でも、お話ししましょう」
宮本はなるほどと頷いたが、上手く話を出来るか不安であった。
ステージ前のテーブルでは、社長と役員、それと数名の内定者が熱心に話し込んでいる。
どうにも宮本と岩垣にとっては近寄りがたい空間であった。
「席は自由で構いませんよ。
私は人事部長と話してきますね」
鈴木はステージ前テーブルへ向かう。
宮本と岩垣は顔を見合わせて、そこから1つ外れた位置にあるテーブルへ向かった。
2人、寿司を食べて「美味しいね」などと話していると、そこに若手の社員がやってくる。
駅まで出迎えに来てくれていたサポート社員の小田原千絵だ。
「お寿司、頂いて良いですか?」
小田原が声をかけると、宮本は緊張しながらも返す。
「は、はい。食べきれないので、是非貰って、下さい」
「ありがとうございます。
お肉どうぞ。地元の豚肉だそうです。美味しいですよ」
代わりにと小田原は豚肉のソテーが載った皿を差し出した。
宮本と岩垣はお礼を言ってそれを1きれ貰う
「美味しいです。味付けは味噌なのですね」岩垣が問う。
「ええ。この辺りでは有名で――どうしたんでしょう?」
小田原の視線の先。
ステージ前のテーブルで女性の短い悲鳴が聞こえた。
直後、しゃがれた声――社長の呻き声が聞こえた。
社長はゆっくりとその場に座り込む。
慌てて秘書が駆け寄り、社長の顔が青白いのを見て、産業医を呼ぶようにと声を発した。
真っ先に人事部佐藤が「呼んできます」と人をかき分け、駆け足で食堂から出て行く。
座り込んだ社長は顔面蒼白と言った様子で、みるみる血の気が引いていき、顔は歪み、小刻みに身体が震えていた。
「救急を呼びます」
営業部長の幹が社用スマホを取り出し、救急へと連絡する。
完全に倒れ込んだ社長。秘書がその身体を横たえると、佐藤に連れられて産業医の
彼女は社長の容態を見ると直ぐに症状を突き止めた。
「脳卒中です。身体を横にして、ベルトを外して、胸元のボタンとネクタイも緩めて。
とにかく呼吸が楽な体勢に。
薬手帳はありますか?」
笠島の指示に従い、秘書と佐藤、技術部長に営業部長が処置を施す。
秘書が薬手帳を手渡すと、笠島はその内容を検めた。
営業部長は、救急と繋がっている電話を笠島に渡す。人事部長と鈴木は、救急隊を迅速に受け入れるため、正門へと向かった。
「――お電話変わりました。産業医です。そちらの指示に従います。
はい。脳卒中の症状が現れています。まだ呼吸はしています。
患者は脳卒中の病歴あり。アイミクスを処方されています。
――平佐さん、服用量は?」
「1錠だけです」問いかけに対して秘書の平佐は素早く応答する。
笠島は脈を測る。脈は弱く、脈拍も遅い。
「回復体位は取らせてあります。
呼吸が弱くなっています。はい、呼びかけを続けます。
山辺社長。ゆっくり呼吸を。
落ち着いて、息を――」
笠島が声をかける中、社長の身体に呼吸停止の前兆が見られた。
必死に声をかける笠島。
だが社長は目を閉じ、呼吸も完全に停止する。
「呼吸停止しました。脈も、とれません。
AEDはあります。――分かりました、心肺蘇生を最優先。
平佐さん、AEDの装着をお願いします。
幹さん、社長の服を脱がせて下さい」
笠島が救急からの指示を受け、それを元に社員達へ指示を飛ばす。
用意されたAEDが装着されるが、既に呼吸も心臓も停止状態だ。
蘇生処置が繰り返されるも、心臓は停止したまま再び動き出すことはなかった。
駆けつけた救急隊たちが、社長を担架に乗せて運び出していく。
産業医もそれに同伴し救急車へ乗った。
賑やかだった懇親会は一転、通夜のような静けさに包まれた。
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