第14話 内定式①


 CIL人事部係長の鈴木すずき茉莉子まりこは、新社屋正門前で内定式参加の学生達がやってくるのを待っていた。


 14:30までに来社するようにと伝えてあるが、学生達は指定時刻よりも早く来るだろう。

 例年、ほぼ全ての内定者が10分前には集まっている。

 心配性な学生はそれよりずっと余裕を持って到着する。


 ただ50分も前。13:40には流石に来ないだろうなと思いつつも、来てしまった時に案内役がいないと大変だ。

 そういうわけだから正門前で待機していた。

 

 CIL新社屋の道路を挟んだ向かい側。

 社名の入ったバス停の前に、バスが到着する。


 待っていた客はいないはず。誰かが降りるから停まったのだ。

 乗員の乗降を終えたバスが通り過ぎていくと、そこにはスーツ姿の4人が残っていた。

 女性3名に男性1名。年齢的にも学生らしい。


 鈴木も人事部係長として、新入社員採用には関わっていた。

 中でも特徴的な豊福の顔ははっきりと覚えていた。

 豊福には、CILの主力である医薬品合成手法の研究で、ゆくゆくは研究チームのリーダーとして活躍することを期待している。


 残りの3人も、じっくり見ているとそれぞれが誰なのか分かる。


 天野は長野の大学に通う修士。材料開発の最前線で合成を担当できる即戦力として採用した。

 岩垣は北海道の高専で応用化学・生物学科に所属している。CILが現在力を入れている新規分野への配属を予定していた。

 最後は宮本。地元採用枠で採った商業高校生。福利厚生関係か、特許事務か。本人の特性を見て決める予定だが、毎年この地元採用枠では真面目で熱心な社員を採用できている。来年度採用の宮本にも、人事部の皆が期待していた。


 4人は揃って横断歩道を渡り正門へやって来た。

 鈴木は彼らを出迎えて、正門脇の端末に社員証をかざす。

 出退勤の時刻には開けっぱなしになっている正門だが、それ以外では社員証をかざさないと入れないようになっている。


「すいません、集合時刻より随分早く着いてしまって」


「構いませんよ。

 遠くから来て頂く人たちは時間の調整も難しいでしょうし」


 天野の言葉に鈴木は優しく返し、それから岩垣へ声をかける。


「岩垣さん、飛行機無事乗れたようで良かったです」


「はい。幸運でした」


「観光は出来ました?」


「それはあまり。

 ですが空港をゆっくり見て回れました」


「羽田もいろいろ商業施設や飲食店入っていますからね。

 さあさどうぞ。部屋を用意してありますので、そちらで他の皆さんが集まるまでゆっくりしていて下さい」


 鈴木は4人を連れて社屋へ向かう。

 CIL新社屋には、正面玄関、社員用玄関、業者用玄関の3つの出入り口があったが、本日内定者達は来客なので、正面玄関から入った。


 玄関でも社員証をかざし、自動ドアが開いているうちに内定者を通す。

 そこから来客用エレベーターに乗って4階へ。


 エレベーターを降りると2回管理ゲートを通る。

 管理ゲートは自動で施錠がされ、管理された区画へ入る場合には社員証をかざす必要がある。

 逆に管理区画から通常区画へ移動する場合にはボタンを押すだけで鍵は開くのだが、社員証を持っていなければ戻れなくなってしまう。


 来客用の区画から非常用階段、社員・業者用エレベーターのある区画へはボタンを押して通過。

 そこから4階の廊下へ出る際には社員証をかざして通る。


「こちらが食堂になります。

 内定式の後の懇親会はこちらで開催予定です。

 昼食が終わったばかりで、今は片付け中ですね」


 鈴木は廊下に出て直ぐ目の前にある扉を示して告げる。

 解放された扉の向こうは説明通り食堂で、机と椅子が並んでいた。

 そこでは食堂職員だろうエプロン姿の人たちが清掃作業中だった。


「研修室へご案内します」


 廊下を真っ直ぐ西側へ進んでいく。

 廊下の壁には、内定者たちの顔写真とそれぞれの入社に向けての意気込みを記した紙が掲示されていた。

 長い廊下を進んだ先に十字路があり、更にそこを真っ直ぐ進んだ先に管理ゲートがあった。

 鈴木が社員証をかざして扉を開ける。


「この区画は主に研修で使用されます。

 こちらは社長室。――と言っても普段社長は事務室に居ることが多いので、お客様とお話しする場合にしか使いません。本日内定者の皆さんとの談話ではこちらを使用する予定です。

 そしてこちらが研修室です」


 4階の一番西側奥。

 100名ほど収容できる大きな部屋にはプロジェクターや音響設備などが揃えられている。

机と椅子が並べられていて、前の方の席には冊子とペットボトルの水が置かれていた。


「席は決まっていませんので、冊子の置かれているお好きな席をどうぞ。

 冊子は本日の予定表になります。お時間あったら読んで頂いていて結構です。

 大体14:20頃には皆さん集まると思いますので、集まり次第内定式について説明させて頂きます。

 それまでこちらで待機をお願いします」


「す、すいません。ト――お手洗いは?」

 

 宮本がおずおずと手を上げると、鈴木はやってきた方向を手のひらで指し示す。


「扉を出て十字路を左手です。

 管理ゲートはボタンを押せば開きますが、戻ってくる際には社員証が必要です。

 自分は直ぐ正門に行かないといけないのですが、直ぐに別の人事社員がやってくるので、扉の前で待っていて下さい。

 申し訳ないですが、開けたままにしているとブザーが鳴ってしまうので」


「分かりました」


 宮本は荷物を持ったまま研修室から出て行って、管理ゲートを開けてトイレに向かった。


「では私は失礼します。

 お手洗い以外では研修室から出ないようお願いしますね」


 そう言い残して鈴木は研修室を後にした。


 社員がいなくなったことで、研修室に残った3人は気が楽になって、前の方の席に並んで座った。


「天野さんでしたよね?

 1次面接の時一緒でした」


 豊福が天野へと声をかける。

 天野は首をかしげてみせた。


「そうでしたか?」


「ええ、岩垣さんも一緒でしたよ」


 声をかけられた岩垣はきょとんとして、それから小さく頭を下げた。


「ごめんなさい。面接の時は緊張していて、周りが見れてなかったです」


「そっか。そうだよなあ」


 豊福は残念そうに述べると、机の上の冊子を開いた。

 天野も同じように冊子を開いて内容の確認を始めると、岩垣は1人立ち上がった。


「自分もお手洗いに行ってきます」


 岩垣は荷物を持って研修室を後にした。

 管理ゲートは鈴木の説明通りで、ボタンを押すと自動で解錠された。

 

 岩垣がドアを通り抜けたところに、人事部の若手社員、佐藤さとう亜美奈あみながやってきた。

 佐藤は研修室に向かう途中で鈴木と会っていたため、内定者がお手洗いへ行っていると把握していた。


「お手洗いですか?

 あ、私、人事部の佐藤です。

 ここで待っているのでどうぞ行ってきてください。急がなくて構いませんよ」


「ありがとうございます」


 岩垣はお礼を言って廊下を進む。

 その背中に佐藤は「そこを左です」と指示を出し、岩垣は再度お礼を言って十字路を左に曲がった。


 佐藤はしばらく管理ゲートの元で待っていた。

 先にお手洗いに行った内定者が直ぐにでも戻ってくるかも知れないと考えたためだ。


 直ぐに社服を着た女性社員がやってくる。髪を後ろで1つに束ね、化学実験用の防塵マスクをつけている。

 トイレの向こうには産業医室に論文保管庫。講習やサークル活動などで使用する和室がある。

 恐らく、実験担当者が借りていた論文を返しに来ていたのだろう。


 彼女は廊下を食堂方向へと曲がり歩いて行った。

 佐藤は少しだけ彼女の背中を見送っていたが、直ぐに意識をトイレの方へと向ける。

 それから3分ばかり待っても誰も出てこない。


 人はやってきたが、足音は喫茶室側からで、またしても社服を着た社員だった。

 その社員は廊下を横切ってトイレ側へと向かう。

 あっという間のことだったので顔まで見られない。女性であること以上は分からなかった。


 佐藤はその社員について特に気にすることもなく、内定者を待ちわびた。

 外からは小学生の騒ぎ回る声が聞こえる。


 外の声に気をとられていると、トイレ側から足音が聞こえ、スーツ姿の女性がやってきた。

 メガネをかけ、髪を肩まで伸ばした大人しそうなおっとりした女性。

 先ほど会った岩垣だ。

 佐藤は管理ゲートに社員証をかざして解錠すると、彼女へ問いかける。


「あのう、先にお手洗いに行った人は、まだ入っていました?」


「はい。まだ居ます」


「分かりました。

 では研修室でお待ちください」


 岩垣は礼を言って研修室へ戻っていく。

 佐藤はそれからもうしばらく待って、ようやく出てきた宮本を見て安堵のため息をつく。


 やってきた宮本は、何処か顔が青白く、体調が悪そうだった。


「大丈夫ですか?

 顔色が悪いですけど。

 体調不良でしたら産業医室で休ませてもらいましょうか?」


「い、いえ、ちょっとお腹を壊して……。もう大丈夫です」


「そうですか。

 無理せず、具合が悪いようでしたら言ってくださいね」


「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 宮本は顔色こそ悪かったが足取りはしっかりしていて、佐藤と共に研修室へ戻った。

 宮本は席に着くと、机に置かれていたペットボトルの水に口をつけた。

 水を飲むと顔色も良くなった様子だった。


 研修室には内定者4名と佐藤。

 佐藤は机の上に置かれた冊子について軽く説明して、それから内定者に気さくに話しかける。


「みなさん遠くから――宮本さんは近いですけど、他の3名の方は遠くから来て頂いたんですよね」


「みなさん、遠くから来たんですか?」


 宮本が口に出すと、佐藤が答える。


「天野さんは長野、豊福さんは宮城。

 岩垣さんは――北海道ですね。飛行機、大丈夫でした?」


「はい、朝一番の便に乗ったので」


 岩垣が応えると佐藤は微笑む。


「それは良かったです。

 研究開発と特許出願だけで利益を出している民間企業としては珍しい会社なので、毎年全国から人が来るんですよ。

 と言っても、私は入社3年目なので会社の歴史にそこまで詳しいわけでもないですけど。

 皆さんの――もちろん宮本さんを含めて、活躍を期待しています」


 佐藤の言葉に内定者たちはそれぞれ応える。

 豊福などは「任せてください。必ず活躍して見せます」と意気込んでみせた。


 そうしていると人事部係長の鈴木が、新たにスーツ姿の学生たちを引き連れてやってきた。

 今度やってきた内定者は7名。

 鈴木は連れてきた内定者に、自由に席に座って時間まで待機しているように伝えると、後のことを佐藤に任せて再び正門へと戻っていった。


 佐藤はこれまで4人にしていた冊子の説明を新たに来た内定者に伝えると、彼らの緊張を和らげようと、気さくに当たり障りない話題で話しかけた。


 その次のバスで2人。さらに次のバスで8名の内定者がやってきた。

 これで合計21人。

14:10には参加予定の内定者は全員集まった。


 少し早いが、鈴木と佐藤は内定者たちへと本日のスケジュールについての説明を開始した。


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