3-8

 村を出て1時間。


 休憩を挟みつつ、能力を駆使して森の中を駆け抜ける。幸いなことに怪物には遭遇せず、森の出口を前方に視認する。


 更に強く地面を蹴って、森の出入り口を通過する。

 足を止め、酸素を肺の中に取り込む。

 額に浮かんだ汗を、手の甲で拭い去って両肩を大きく上下させる。


 煌点の光が眩しい。

 手で日差しを遮って目の前に広がる景色を見る。

 地平線まで広がる緑色の地面。空は青一色で煌点がその存在を強く主張している。


 俺は荷物の入っている袋から水の入った皮の袋を取り出す。

 この世界の水筒のようなものだ。


 ざらざらの袋の飲み口に刺さった栓を抜いて水を喉に流し込む。


 ここからブラフォスの街まで戻るにはまだまだ時間がかかる。

 さすがに長時間の能力行使はきつい。休憩を取りながら進めば、約半日ぐらいで着けるだろうか?


 水袋に栓をして荷物袋の中にしまう。


「ふー、よし!」


 深呼吸をして、再び地面を蹴ろうとした時だった。


「おーい!」


 少し離れたところから人の声が聞こえてきた。

 その声は何度も繰り返され、ちょっとずつ近付いてくる。


 俺は身体ごと、後ろを振り返った。


 ガタゴトと。

 状態が悪い路面を馬車が1台、こちらに向かって走ってきている。

 その上にいる男が馬車の運転席から身を乗り出し、手を振っている。


 俺は1度辺りを見渡す。

 近くに他に人はいない。


 つまり、あの男性は俺に手を振っているわけだ。


 この世界の俺の知り合いなど限られている。

 なので、彼は恐らく会ったことがない人だろう。


 …………俺を誰かと間違えているのだろうか?



 走って来る馬車は少しずつスピードを落とし、俺の前でゆっくり停車した。


「そこのお兄さん!」


 馬車の男が陽気な声で話しかけてくる。


「どこに向かう予定なの?」


 その男は鮮明なピンク色をした少し長めの髪が特徴的だった。

 一度見たら忘れないような派手な髪色。


 …………たしか、ショッキングピンクと呼ばれている色だ。

 その派手な髪は襟足が長めに伸ばされており、オオカミの毛の先端のように、ふわっとなっている。

 口元を覆うもじゃもじゃのピンク色の髭。更に目を覆う様にサングラスのようなものをかけている。

 つまり、顔のほとんどが見えない状態であり、特に髪色が派手過ぎる、というのがその男の第一印象だ。

 更に、服装もアロハシャツのような薄い生地のカラフルな半袖に、短パンを穿いている。



 …………うん。なんか胡散臭そうだ。

 そう思いつつも、「ブラフォスの街に向かっています」と答える。


「おー、ブラフォスの街! 奇遇なことに僕もその街に向かってるんだ。良かったら乗っていくかい?」


 男は陽気な感じでそう言った。


 俺は少し悩む。

 明らかに胡散臭そうであるが、体力が温存できるなら有難い。



「…………すみませんが、あんまりお金を持っていなくて」


「大丈夫。お金なんて必要ないよ。これはただの人助けだよぉ」


 信用していいのか判断が難しい。

 俺は迷った挙句、彼の言葉に従う事を決めた。


「分かりました。じゃあ、お願いします」


 停止している馬車に乗り込む。

 休憩しながら進んだとはいえ、1時間近くも能力を使用したためかなり疲れていた。

 ここで馬車に乗って進めるというのはありがたい。


 …………一応、警戒はしておく。

 剣の入った荷物袋をぎゅっと握り締めて、馬車の荷台に腰を下ろした。

 馬車はゆっくりと動き出し、段々と加速していく。


「あー、そうだ!」

 男はそう言ってこちらを振り向く。


 サングラスの奥に潜む目が細まったような気がした。


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」


「…………タクミです。お兄さんの名前は?」


 俺は答えた後に、彼の名前を問う。

 すると、毛むくじゃらの髭に囲まれた彼の口がいびつな形に釣り上がった。


「…………僕の名前は、ダウトって言うんだ。よろしくね、タクミ!」


 陽気な声で彼はそう答えたのだった。














 緑の平原を馬車は進んでいく。


「僕は商人をやってるんだよ。この世界を北から南へ。ある時は東から西へ。毎日馬車を走らせてはいろんな商品を売っているんだ」


 馬車が揺れる中、ダウトという名の男はべらべらと自己紹介でもするように話している。

 それに耳を傾けながら俺は荷台を見渡した。



 確かに、荷物が多く積んである。

 赤、青、紫、黒と様々な皮の袋に分けられて荷物が放置してある。袋の口は紐で縛ってあるため、中にどんなものが入っているかは見えなかった。


「偶に、こういう人助けをしてるんだよ。遠出をしたいけど、足がなく金もないって人たちは意外と多いんだ」


 陽気なその男は、すごく派手な見た目をしており嫌でも印象に残る存在だった。

 そんな彼を見て、俺は胡散臭さを感じた。


「俺はね、別に人助けが趣味ってわけじゃないんだよ。助けた人の話を聞くのが好きなのさ。情報っていうのはどこでどんなものが役に立つか分からないものだろ? それに、人の話っていうのは面白いものが多いだろ?」


 ダウトはそこで言葉を区切ると、一呼吸おいて言葉を続けた。


「だから、君の話を聞かせてくれないか?」


 俺は少し戸惑いつつも、話していいラインをしっかり守りつつ話をした。

 地球のこと、アンジェリカの事には触れないように。

 この世界で体験したことを話した。




「なるほど。仲間と喧嘩別れしたけど、自分の未熟さを思い知って謝りに行くところ、と。そういう事かい?」


 彼は俺の話を短くまとめて首を傾げた。


「そうですね。こういう時ってどんな風に謝ればいいんでしょう」


「まあ、僕は君がこれから会いに行く仲間の事は何も知らないけど、やっぱり素直に思ていることをそのまま口にすればいいんじゃないかな」


「…………そのまま、ですか?」


「うん。真剣な眼差しと真剣な態度と真剣な思い。結局のところ、真剣な謝罪以外にとれる術なんてないよね」


「…………真剣な謝罪、かぁ」

 俺は思い詰めて馬車の荷台から空を眺めた。


「うん。悪いことをしたら謝る。それが素直にできる大人っていうのは、結構貴重だったりするもんさ。それこそが重要なことのはずなのにね」


「…………やっぱり、素直に謝るのが一番ですよね」


 決心する。

 彼らに再び会えたら、しっかり謝ろうと。



「ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」


 そう言って俺はダウトに視線を飛ばした。


「なんだい?」と尋ねる彼に、俺は疑問をぶつける。


「…………土下座って知ってますか?」


 そう。土下座だ。言葉通り、ひれ伏して頭を地面にこすりつけて行う謝罪やお礼の事だ。

 俺の知る中では最上級の謝罪方法。

 それがこの世界でも通用するのか気になってしまった。


「ん? ドゲザってなんだい?」


 彼の反応から察する。


「いや、何でもないです」


「えー、気になるなぁ」

 彼の声に馬車が大きく揺れる。

 危ない。土下座に気を取られて馬の操縦があいまいになっている。


「俺の故郷に伝わる最上級の謝罪、兼お礼の方法の事です。ひれ伏して頭を地面に着けて行うんですよ」



「へぇー、そんなものがあるんだね。やっぱり世界は広いなぁ」


 土下座の説明を終えると馬車は安定して走り出した。


 人の知的好奇心って怖いなぁ、と感じつつも「土下座をこの世界の文化に定着させるのも悪くないな」と冗談を呟いてみる。


 異世界作品の中には、現代知識で異世界無双というジャンルもあるくらいだ。

 俺は博識というわけではないので、そんな真似はできないが、土下座を伝えることは出来る。


「最初に土下座を始めた人間として歴史に名前を残す、か」

 これでも、中学の頃は歴史に名前を残そうかと本気で考えたことがある。


 中学の頃の夢がひとつ叶うって考えたら悪くない案だ。

 俺は土下座の始祖として後世に語り継がれる自分を想像した。



 …………うん。なしだな。


 想像開始数秒で考えを改めることにした。







「…………そういえば、その目に着けているものって何なんですか?」


 話題を切り替える。すると、ダウトは嬉しそうに口の端を釣り上げた。

「これに気が付くとはお目が高い。これはね、固めた樹液と硝子で造った煌点の光避けさ」


 ふんすっと鼻息を鳴らして見せつけるようにサングラスをアピールするダウト。


「僕が考案した新商品なんだ。まだこいつは試作段階なんだけど、半年後には商品として売り出す予定さっ」


「す、すごいですね!」


 ダウトの言葉に食いつく。


「商品開発も行ってるんですか!?」


「そうなんだ! 自分が考えた物を実際に形にして、商品として売る。まあ、これが結構難しくてね。でも楽しいんだよ」


 ダウトの着けているサングラスは簡単な構造をしている。

 俺の知っている従来のものとは違い、関節部分が存在しない。

 つまり、折りたたむことができないものだ。


 硝子製のレンズと漆でつくられたフレーム。

 それを耳に掛けて光を遮るという簡単な造りだが、ゼロからこの発想ができるというのは本当にすごいことだ。



 ダウトと一緒なら俺の現代知識を使ってともに歴史に名を残すことができそうだ。

 先程、切り捨てた夢が再び浮上する。


 …………だが、今は他にやるべきことがある。


 俺はまだ見えない彼らを想って夢に蓋をする。


 その時だった。


「ま、まずい!」


 ダウトの声が響いた。


 俺は咄嗟に身体を起こしてダウトに視線を移す。


「どうしたんですか?」


「トラゴースだ」


 俺の問いかけに聞き慣れない言葉が飛んでくる。

 俺は聞き返すより早く、彼の視線を追った。



 左斜め前、赤黒い影がこちらに向かって、ものすごい勢いで走って来る。


 その姿は山羊に似ていた。だが、近付いてくる影は四足歩行ではなく、二足歩行だった。


 ひづめを鳴らして人型の黒い山羊が突進してくる。



 ダウトは手綱をしならせる。直後、馬車は右方向に進路を変更した。

 走って来る山羊から逃げるようにして右へと流れていく。


「ッッっ!」


 馬車の大きな横揺れに堪えて荷台の壁に張り付く。

 地面を削りながら馬車は進んでいく。


「―――――くっ! ダメか」


 ダウトの息がもれる。

 俺は咄嗟に山羊を確認しようと顔を向けた。

 走る馬車のすぐ後ろに張り付くようにその山羊は走っていた。


「―――――うっ!」

 思わず息を呑んだ。

 鼻の奥を刺激する獣臭に顔を歪める。


 赤黒い毛の二足で走っている人型の山羊。

 頭には汚い角。鈍い金色の中に外側を向く黒い瞳がある。

 にやりと黄ばんだ歯をこちらに見せながら、その隙間から涎を垂れ流している。

 顎の下には無造作に髭が伸びている。


 特に醜悪な姿をしたその怪物は走り方が歪だった。

 振り子のように、頭を左右に大きく揺らしながら走っているのだ。

 そのせいもあり、涎が辺りに飛び散っている。相当な気持ち悪さを感じた。


「絵面がホラーっていうか、気持ち悪いんだけどっ!」


 思わず叫ぶ。

 馬車は時速50キロくらいで走っている。

 そのすぐ後ろを走る山羊の怪物。



「もっとスピードは出ないんですか!?」


「やってるよ!」


 ダウトは叫びながら手綱を器用に操る。


 だが、山羊との距離はなかなか離れない。

 …………というか、少しずつ近付いているような気がする。


 ボェボェボェ、エエエェェェ。


 気持ち悪い声を発しながら歯をギシギシと動かしている。

 それは、悪魔の笑いのように聞こえた。



「…………まさか、嘲笑っているのか?」


「その通りだ。トラゴースの最高速度はこんなものじゃない。奴らは脚力と体力が並外れて高い。そのうえ、狩りを愉しむという癖がある。足が潰れるまで追いかけてきて走れなくなったところを喰われるんだ」


 その姿を想像して悪寒が走る。


「―――――つ、ここで、俺を下ろしてください」


 覚悟を決めて、そう告げる。

 俺の声を聴いてダウトは口の端を釣り上げた。


 誰だって自分の命は惜しい。

 戦いに身を投じるものでなければなおさらだ。


 俺が囮になることを喜ぶのはしょうがないことだ。

 そう自分に言い聞かせて憤りを抑える。


 命がかかったこの状況下で、ダウトは笑みをこぼして口を開いた。


「っふふふ、あははは。大丈夫だ!」


 それは、俺の想像を裏切る笑いだった。


「―――――え?」


 俺が呆けていると、ダウトは高らかに声を上げる。


「商人をなめてはいけない。こんな状況は想定通りだ」


 勝利を見詰めるように、頼もしい声で怪物に視線を飛ばした。






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