借金錬金術師のアトリエ

川上 とむ

プロローグ


 王都エリオット。


 その旧市街地にある小さな商店街。


 その一角に、これまた小さな錬金術師のアトリエがありまして。


 私、クルルはそこで国家錬金術師ルタークの弟子として、日々修行に励んでいたのですが……。



『――しばらく旅に出る。この借金、頼んだ』



「……ちょっと、なにこれ!?」


 ……ある朝、私が目覚めると、そこにルタークさん……マスターの姿はなく、リビングに一枚の置き手紙と、100万フォルにもおよぶ借金の借用書が残されていた。


「マスター! ちょっとー! ウソですよねー! マスター! 隠れてないで出てきてくださーい!」


 寝間着姿のままリビングを飛び出し、私はマスターの私室からアトリエ、店舗、はてはお風呂やトイレに至るまでくまなく探す。だけど、その姿はどこにもなかった。


「い、いない……。本当にいない……」


 建物の中はあらかた探し尽くしたし、残るは屋根裏部屋と地下倉庫くらい。滅多に入らないけど、あの人なら隠れていてもおかしくはないよね……!


「……どうしたのクルル。朝から騒々しいわよ?」


 青色の癖っ毛をかきむしりながら、はしご、どこにあったっけ……なんて考えていた時、背後から私の名前を呼ぶ声がした。


 振り返ると、そこにはマスターが作ったホムンクルス……エレナの姿があった。


 私の手のひらより少し大きめの彼女は、その背中についた半透明の羽を羽ばたかせ、ひらひらと宙を舞っていた。


「エレナー、大変なんだよー! マスターがいないの! それに、こんなもの残してて!」


 リビングに残されていた借用書を見せて、私は必死に訴える。


「あらまぁ……旦那様、最近は遠くを見ては、『旅に出たい……』と仰っていたけど、まさか本当に出ていってしまわれるなんて」


 緑色の髪に黄色い瞳。そして背中の羽。まるで小さな妖精を思わせる容姿をしたエレナは、腰に手を当ててため息をつく。


「百歩譲って旅に出たのは良いとしてもだよ!? 問題はこの借金だよ! 100万フォルも! エレナ、知ってた!?」


 忌々しいその紙を今一度エレナに見せつけながら、私は詰め寄る。


「このお店の売上、月に3万フォルもあったら良いほうだったよね!? 正直、それでも生活ギリギリだったのに! マスターもいないのにこんな大金、どうやって返せば……!」


「クルル、落ち着きなさいな。ひとまず着替えてくること。ベッドの下でも潜ったの? パジャマ、埃まみれよ?」


「え? いやー、これは、その……」


 エレナに冷静な声色で言われ、私は少しだけ落ち着きを取り戻す。


 自分の容姿に目をやると、お気に入りの青いパジャマは床の埃で真っ白になっていた。


「わ、わかった。ひとまず着替えるけど、この借金をどうするか、あとで一緒に考えてね?」


 私はエレナにそう伝えて、ため息をつきながら自室へと向かったのだった。



「おはようございます。国家錬金術師ルターク様はいらっしゃいますかな」


 いそいそと着替えを終えたとき、お店のほうから声がした。


 部屋を出て廊下を渡り、お店に出てみると……そこにはいかにも貴族といった風貌をした、ブロンド髪の男性が立っていた。


「あのー、どちらさま……?」


「これは失礼。私、エリオット王国の経済担当大臣をしております、モネルタと申します」


「は、はぁ。その、大臣のモネルタさんが、どうしてこんな場所に?」


 自信あふれるその態度に私は気圧される。よく見たら背後に従者さんまで連れていた。


「……旦那様は私用で街を離れています。伝言とあらば、お受けしますが?」


 その時、エレナが流れるような動きで私の前に出て、大臣さんと対峙してくれた。


 私は心のなかでお礼を言う。ありがとうエレナ。小さいけど、すごく頼もしい。


「そうですか……それは困りましたな。借用書の件、何か聞いておりませんか?」


「借用書」


 次の瞬間、私とエレナの声が重なった。当然、知っている。


「ちょ、ちょっと待っててください!」


 私は急いでリビングへ向かい、置きっぱなしにしていた借用書を手に戻ってくる。


「借用書って、これですよね?」


「そうですそうです。それは国家錬金術師支援金制度の借用書でしてな」


「えー、こっかれんきん……」


 大臣さんの口から飛び出た難しい単語に、私は言葉をつまらせる。


「……錬金術全盛期の昨今、国が抱える国家錬金術師の数は国力を表すに等しいもの。そんな彼らの生活を下支えするために存在するのが、この国家錬金術師支援金制度。言うならば、国からの無利子の貸付金でございます」


 そんな私を見かねて、大臣さんの後ろにいた従者さんがそう教えてくれた。


「……つまり、マスターは国から借金していたってこと!?」


 思わず叫んでしまった。その金額ばかりに目がいっていたけど、よく見るとこの借用書、エリオット王家の紋章が入ってる!


「そういうことになりますな。その返済期限が迫っているのですよ」


「……あの、その期限っていつでしょう?」


 エレナが尋ねる。


「今日です」


 大臣さんが答えた。


「今日ぉ!?」


 ……再び、私とエレナの声が重なった。


 いやいやいや、いくらなんでも今日中に100万フォルは無理! でも借金返せなかったらどうなるの!? 私たち、路頭に迷うの!?


「払えないというのでしたら、この店舗兼アトリエを差し押さえさせていただいて、当面の返済に……」


「……大臣様。その借金、旦那様の一番弟子であるクルルがお返しします」


 完全にパニックになっているあたしをよそに、エレナは至って冷静にそう伝えていた。


「ほう。そういえばルターク様には、一人だけ弟子が存在していると聞いていましたが」


「彼女がそうなのです。ただし、まだまだ若輩者ですし、どうか返済まで猶予をいただけないでしょうか」


「ふぅむ……この国で1、2を争う錬金術の腕前を持つルターク様の弟子。我々としても、その実力を見てみたいものではありますが……」


 そこまで言って、大臣さんは背後の従者さんとなにやらひそひそ話を始めた。


「ちょ、ちょっとエレナ、私、錬金術は大好きだけど、まだ全然半人前……もがっ」


 なんだか話が変な方向に行きそうになっていたので、急ぎ否定しようとするも、エレナがその小さな体全部を使って、私の口をふさいだ。


「良いでしょう。ならば特例で一年間の猶予を差し上げます。ただし、彼女の実力を推し量るため、我々からも定期的に依頼を出させていただきますので、そのつもりで」


 大臣さんは最後にそう言って、従者さんを引き連れてお店から去っていった。


「……ぷはっ、ねぇエレナ。本気なの?」


 ようやく離れてくれたエレナに、私は困惑しながら尋ねる。


「本気よ。こうでもしないとお店もアトリエも守れそうになかったし、私が機転を利かせたおかげでクルルも路頭に迷わずに済むのだから、むしろ感謝してほしいものだわ」


「でも私、5年間マスターの元で修行してるけど、本ッ当に初歩的な道具しか作れないんだよ!? それに、道具のレシピもどこにあるか知らないし」


「旦那様が作っていた道具のレシピは、全部私の頭の中に入っているから、必要とあれば教えてあげる。そのレシピを生かしてどれだけ効率的に借金を返していけるかは、クルル、あなた次第よ。頑張りなさい」


 エレナはそう言って、まっすぐに私を見つめた。これはどうやっても断れなさそう。


「うぅ……なんか責任重大なんだけど。マスターの代わり、務まるのかなぁ……」


 がっくりと肩を落とすも、決まってしまったものはどうしようもなかった。


 ……こうして、私の借金錬金術師としての生活が始まったのでした。


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