アイテム屋ローグレイグは潰れない
すみさわ
第一章
1−1
「行ってくるぞ母上」
山頂に流れる涼風は、少年の髪を優しく撫で上げた。住み慣れた山小屋、遊び尽くした山の自然に感謝し、少年・ユタは希望と不安を携えて山を駆け降りる。
「絶対に、見つけてくるからな」
◇◇◇
王都より遠く離れたシルタの村。主に農業を中心として生活を形成している静かなこの村に、1軒だけ存在するアイテム屋がある。
店名『ローグレイグ』。人口が100にも満たないこの村の唯一の薬屋であり、素材屋であった。
「だーかーら、1箱しか買えねぇって言ってんだろうが」
「困るよぉ。こんな辺鄙な町にくるだけでも運賃バカにならねぇってのに。せめて2箱は仕入れてくんねぇとさぁ」
仕入れ屋に気圧されることなく男は首を横に振る。薄汚れたカーキ色のTシャツに青いオーバーオールを着た男、ジョー・グレイは一つにまとめ上げている灰色の髪をかきあげた。目の周りにある隈と無精髭を見ただけでこの男が如何に外面を気にしていない性格か容易に想像できる。
「1日に数組しか来ねぇアイテム屋なんだぞ?そんな大量に仕入れても捌き切れるか」
「もうこんな店閉めちまえよ。売上、相当厳しいんだろう?」
こじんまりとした店内には壁づけされた薬棚とレジカウンター、8人掛けの大きなダイニングテーブルに新鮮な薬草や魔物のドロップアイテムたちが丁寧に並べられている。意外にも彼の外見からは想像できない几帳面さだ。仕入れ屋は無造作に棚のポーションを手に取ると、興味もないのに手の中でくるくると回転させた。
「お前くらい調合の腕があればよぉ?王都でも雇ってくれるとこあんじゃねぇか?」
んなこたぁわかってるよ、と内心で悪態をつきながら、ジョーは黙々と商品を棚へと並べていく。小瓶に納められたポーションは透き通った青緑色をキラキラと輝かせ、素材の薬草や魔物の爪や牙も、王都のアイテム屋より何倍も質良く、そして下処理も丁寧に行っている自信があった。一通り開店準備を終えた店内を見回し、ジョーは満足げに息をつく。
にも関わらず、ローグレイグに立ち寄る客は王都の10分の1にも満たない。問題はその立地だ。王都から遠く離れた海沿いにあるローグレイグは、魔物の心配もなく、平穏で長閑な村だった。魔物から受ける傷を癒すポーションも、冒険者同士で力を競い合うための武器強化素材も必要がない。来るとすれば風邪薬用にポーションを買いに来る村民と、僻地のアイテム屋を冷やかしにくる野蛮な冒険者だけだ。それでも、ジョーの中にこのアイテム屋を捨てるという選択肢は微塵もなかった。
「気長にやってくさ。別に嫁を食わせなきゃなんねー訳でもねぇし、俺1人食ってくくらいどうにでも……」
「……いつまでマルタの爺さんに操立て続けるつもりだ?」
仕入れ屋兼幼馴染でもあり、親友でもあるファットの言葉に、ジョーは一瞬だけ手を止めた。
しわくちゃの手で愛おしそうに薬品の小瓶を撫でていた老人の姿が駆け巡る。この店の先代店長であるジョーの祖父・マルタはいつも笑顔を浮かべながらこの店を切り盛りしていた。若い頃は上級調合士として重宝され、王都での功績も目覚ましかったと聞いている。彼が調合で生み出した薬が少なくとも10品以上あることを、幼い頃のジョーは自分ごとのように自慢して回っていた。
そんな祖父が遺してくれたこの店に、愛着がないといえば嘘になる。でもそれ以上に、ジョーはこの店を手放せない理由があった。
動きを止めたジョーに何かを察したのか、ファットもそれ以上言及はせず「また来る」とだけ言い残して店を後にした。祖父が死んでもうすぐ1年。祖父の時代では罷り通っていた人との繋がりも薄れていきた今、これ以上ここを続けていても意味がないのかもしれない。
(それでも俺は……)
迷いを払拭するように、ジョーは薬品棚の陳列に集中した。
「たのもー!!!」
年季の入った両開きの扉が豪快に開け放たれ、流れ込んできた日の光と騒音レベルの音量に目を細めるジョー。突如店内の静寂を破った少年は迷惑そうなジョーの顔など目に入らないのか、満面の笑みを浮かべながらレジへと歩みを進める。ジョーの腰までしかない体が大きく見えるのは、大きな緑青色をした猫目が自信に満ち溢れているからだろうか。ここらじゃ見たことのない人間だったが、半袖短パン、首に芥子色のバンダナといった軽装を見るに旅の途中という訳でもなさそうだ。髪も黒髪で、全体的に短髪だが、ぱっつりと切り揃えられた前髪に対してサイドの髪だけ顎下まであるという適当さだ。金持ち……とも思えない。
「ここは、アイテム屋で間違いないか?」
「……何が必要なんだ?」
これまた変わった冷やかしだな、と内心ため息をつくジョーだが、客に変わりはないと気を取り直し、カウンターに入って少年の動向を観察した。しかし、その冷静さも少年の告げた言葉により破られることとなる。
「『世界樹の涙』をくれ」
少年の言葉に、ジョーは目尻をピクリと震わせた。
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