あれがマシュー・マーフィーさんです

大足ゆま子

あれがマシュー・マーフィーさんです






  あぁ、そこは踏まないように。あまり手すりを強く掴まないでくださいね。どこもかしこもオンボロで、早々にがっかりされたことでしょうけれど、田舎の学生アパートというものはつまりこういうところですから。寮よりはいくらか快適でしょう?大丈夫、鼠は滅多に出ませんよ。寝る前に必ず皿を洗うように心がければ、虫の心配もありません。足下に気をつけて。ここです。ではお話した通り、水漏れ修理が終わるまでの間はこちらの三〇一号室で過ごして下さい。なに、一週間かそこらで新しい部屋に移れますから。それまではルームシェアになりますけれど、お願いしますね。マシュー・マーフィーさんは、確かあなたと同じ一年生だったはずですよ。背が高くて、聡明な方でしたからあなたが人種差別的思想をお持ちでないのであれば、きっと快適にお過ごしいただけるはずです。と言っても、マシュー・マーフィーさんは日中はこちらにはいらっしゃいませんから、あなたが先に寝てしまえば、顔を合わせることもほとんどないでしょう。西側のベッドはマシュー・マーフィーさん専用となっておりますので、ソファーベッドをお使いいただくか、ご要望であれば倉庫から簡易ベッドをお持ちします。


  さて、お疲れでないようでしたら少しアパート内をご案内致します。学生寮と違って門限やルールはございません。正面玄関は二十四時間開けておりますが、私が管理室にいるのは午後九時までです。朝は六時半にはいます。女性の出入りは禁止ではありませんが、避妊は絶対にしていただくことをお願いしています。同棲は禁止です。五年ほど前に三〇二号室で、マイケル・ハワードという方の恋人がご出産をされて部屋中を血と羊水まみれにした挙句、死産だったお子様を三つに切断してトイレに流してしまったことがありました。あの時はアパート中の水道管が詰まり、どのお部屋からも蛇口をひねると薄赤色の水が出てくるとクレームが殺到してそれはもう大変でした。あんな思いはもうごめんです。今はポール・ジョーンズという方に、住んでいただいております。四年生で、学校では黒魔術サークルの部長をしていらっしゃいます。黒魔術といっても、車に轢かれた猫を拾い集めてきて復活の儀式を行うのが主な活動内容でございまして、おおらかに見れば動物愛護団体とそう大差もないでしょう。立派な活動です。ちなみに、儀式は今のところまだ一度も成功していないようです。愛猫精神の強い方ですが、猫アレルギーなのでくれぐれもアパート内に猫を入れないように。ここは爬虫類以外のペットの飼育は禁止です。そして又隣の三〇三号室が、本来のあなたのお部屋になります。どちらにせよ、ポール・ジョーンズさんはお隣さんになるわけですから、仲良くしておくに越したことはありません。大丈夫、猫を轢き殺さない限りは、敵になるような方ではございません。

  降りましょう。手すりを強く掴まないように。錆びているので体重をかけると折れます。この階を通る時は、少し足音に気を配ってください。特に奥の二〇三号室の前では、決して物音を立てないように。ジェフリー・トンプソンさんは、とても物静かな方ですが、それを私達にも強く求めていらっしゃいます。二度目の三年生だったか四年生だったか、とにかくここ数ヶ月はもう大学には行かれていないご様子です。彼は日々の大半をバスタブに張った冷えた湯の中で過ごしていらっしゃいます。水面が少しでも揺れて乱れると、びしょ濡れのまま壁や床や天井に至るまでひたすら殴り続けて、なかなかお止めになりませんので、十分にお気を付けください。ごく稀にロビーでお会いすることもあるかと思いますが、その際もご挨拶はしなくて結構です。ジェフリー・トンプソンさんのお相手は、掃除夫のミッキー・バーンズに一任しておりますので。

  真ん中の二〇二号室には、ケネス・ウォーカーさんがお住まいになっております。三年生です。とても活動的な方なので、このアパートに帰ってこられる頻度はそう高くはありませんが、それでも一週間に一度はお顔を拝見出来ると思います。ご帰宅の際に、稀にお召し物に血がついていることがございますが、全てケネス・ウォーカーさん自身の血液ではありませんのでご安心ください。笑顔が素敵で、実に快活な方です。もしも彼のお部屋に招かれた際には、必ず銃かナイフを持っていくことを強くお勧めします。私の勤務時間内であれば、管理室にて銃の貸し出しも承っております。

  手前はチャールズ・リーさんのお部屋です。あなたのルームメイトのマシュー・マーフィーさんのご学友で、半年前にお二人でこのアパートにご見学にお越し下さり、その日のうちにご契約を決められておりました。今は少し塞ぎ込んでいらっしゃるようですが、元々は人当たりが良くて賢い方です。お二人はとてもよく似ていらっしゃいました。ここ一週間はお姿をお見かけしませんが、時折お部屋のご様子を確認しに伺うと、中から微かに不規則な音が聞こえてきますので、きっとお一人で静かにお過ごしなのでしょう。

  一階はロビーと管理室、倉庫になっております。手すりを握らないで!怪我をしたら大変です。この辺の通りはどこもかしこも鼠の尾っぽみたいな細道で、救急車を呼んでもアパートの敷地内までは入ってくることが出来ません。倉庫は掃除道具と備品が入っているだけですので、住人の方には特に用のない部屋であるかと思います。出入りも原則禁止です。私はここのロビーか、もしくは奥の管理室におりますので何かございましたら朝は六時半、夜は九時までにいらっしゃってください。家賃は毎月二十日に引き落としとなります。学校までは歩けば二十五分ほどですが、皆さん車かバイクで通学なさっているようです。駐車場をご利用になる際は、月五十ドルかかります。ここまでで何かご質問はありますか?え?洗濯機?あぁ失敬、ご案内しそびれておりました。


  足下に気をつけて。ここでは手すりをしっかりと握ってください。地下室の階段はかなり急な造りになっていますので、洗濯かごを抱えながら降りる際は足下をよく確認してください。万が一落ちて怪我をしたら、私があなたを背負ってこの直角の階段を登り、救急車が待っている大通りまで運ばなくちゃならないんですから。洗濯機はこの奥にあります。あぁ、そこのカーテンは開けない方がよろしいですよ。洗濯はなるべく夕方までには終わらせてください。だいぶ大きな音がするので、早朝や夜遅くに洗濯機を回すとトラブルになりかねます。洗濯かごは一部屋に一つずつご用意がありますから、どうぞご利用ください。窓がないので、洗濯機を使った時には必ず換気扇を回しておくようにしておいてください。でないと、腐食が速まって洗濯物に臭いがつくようになってしまいます。

  え?何が腐食するのかって?それはあなた、マシュー・マーフィーさんですよ。最初にご説明しておりませんでしたっけ?ちょうど二週間前のことです。そのカーテンの奥で、マシュー・マーフィーさんは首を吊っていらっしゃいました。最初に見つけてくださったのは、ポール・ジョーンズさんで、彼がマシュー・マーフィーさんを黒魔術で甦らせようとしているところを私が見つけました。そうですね。今もそこにいらっしゃいます。今朝確認をした際には、首が伸び切ってとうとう地面に足がついておりました。ほら、屈んで見ると黄色いランニングシューズが見えるでしょう。それがマシュー・マーフィーさんです。何ですって?あなた、それはつまりこの私に、腐った死体を担いで外まで運べとおっしゃりたいんですか?そんなものは管理人の仕事ではありません。いくら何でも失礼な物言いだ。マシュー・マーフィーさんは、ただここにいるだけです。私も彼がここにいることを許可しています。何の問題もありません。それにね、マシュー・マーフィーさんは何も一日中地下室にいるわけでもないんですよ。毎晩夜中の一時を過ぎると、彼は自分の部屋へお戻りになられるのです。チャールズ・リーさんがそう証言されておりましたし、私も二度ほど、マシュー・マーフィーさんがご自分のベッドで眠っていらっしゃるのを見ました。寝息を立てていたがどうかは覚えておりませんが。しかしその際には、地下室から首の伸びた死体は消えておりましたし、朝になればまたカーテンの奥に帰ってくるようです。ですから、何も心配することなんてございません。何かあれば朝は六時半、夜は九時までに私のところまで来てください。あ、そうそう。ロープの貸し出しは、在庫切れの為承ることが出来かねますので、ご入用でしたらここから三軒先の工具店でご調達くださいね。




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あれがマシュー・マーフィーさんです 大足ゆま子 @75ch

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