田中アリスは嘘を吐かない(仮)
宇佐見レー
第1話『二年前、邂逅』
「……別にそこまでやらなくても」
今朝以上に不機嫌そうな彼女が、八つ当たりをするようにそんな事を言ってきた。だからと言ってそれを素直に受け取る訳にもいかない。
「いえ、これが仕事ですので」
喪服のような黒いスーツを着て、二十歳もなっていないであろう彼女の前に立ち、周囲を見回す。あるのは田園風景と少し遠くの都市部の輪郭だ、別段変わったところもなく、門戸周辺も最初確認した通りで、一度も人や車は通らなかった。
安全と判断し俺自身が盾になりつつ防弾車の後部座席へ先導して、ドアを開く。
「どうぞ」
「……」
俺も愛想は良くない方だが、依頼人である彼女は目も合わさず、俺の言葉も無視で、虫の居所も相まってか人をあからさまに避けている様子だ。その上乗り込む際に見えたある物――訳ありなのは確か、けれど紹介してきたのは警察官だ。
頭の片隅で思考しつつ、死角を気にしながら助手席側へ急ぎ乗り込む、同時に目配せする運転手でもある和懇へ流れるように目線と口頭で報告。
「異常なし、次の目的地に行きましょう」
「了解、では予定通りに次の目的地、テロ犠牲者の鎮魂碑のある霊園へ向かいます」
エンジンを微かに唸らせながら発進する。流れ始めた景色に紛れる不審車両や、見てわかる不審人物が歩いていないか、車外へ意識を向けつつも、どこか違和感のある彼女をルームミラー越しに見てしまう。
「……」
違わず和懇の言葉を無視した依頼人の、ルームミラーの田中アリスは頬杖を突き、実家に帰省ながら酷く不愉快そうに窓の外を眺めていた。
深窓の令嬢、そんな言葉が似合う西洋人形の雰囲気を纏って。
静かな車内に鳴り響くハイウェイラジオ、俺は頭の中で自分の父親の事をぐるぐると考えながら、速度を上げて追い越し車線から走行車線へ移動してこの防弾車を追い越していく他車をぼーっと眺めていた。
時折、尾行するような車がいないかを目視して、またぼーっとする。時刻はとっくに午後を過ぎた夕方近くで、一定の音と一定の揺れ、防音壁の変わり映えのしない景色は、どんな人物であれど睡魔を誘う。俺はどうにかそれに抵抗し、
「恭介、大丈夫そうか?」
「……ええ、高速で追って来てるような連中はいませんね。怪しい車両もありません」
隣の和懇からの確認に、そう答えるが同じように退屈なはずの和懇に、そんな様子は一つもない。
何かしらコツがあるのだろう、この仕事が終わったら聞いてみよう、そう心にメモをしていると、
「ん?」
降りなければならない出口の五百メートルほどまで近づいたところ、踏んでいたアクセルペダルの力も緩みつつある中で、唐突にラジオが聞こえなくなってしまった。
……いや、正確には砂嵐のようなノイズが流れるようになったのだ。
「あれ、壊れました?」
「いやいやまさか、そんなに古くないぞこの車……」
あまり見ない弱気な声、だがそれもその通りで払いきれるとは言え、まだそんなに経っていない車だ。運転中の和懇に変わり、チャンネルを幾度か変えてみる。けどどれもノイズが流れるだけだ。
「あー」
「うそだろ、恭介」
「いやぁ、これは……どうですかね……?」
ノイズしか流れないが、俺が判断できることじゃない、そんな会話をしていると、かちり、回転式拳銃の弾倉が回る音が鳴り、その音の方向である後部座席へ反射的に振り返る。
「リボルバー……」
そこには言うまでもなく彼女一人しかおらず、そんな彼女が恐らくショルダーホルスターに入れていた一丁の拳銃を取り出して、慣れた手つきで検めていたのだ。
いや検めてもいたが、同時に田中アリスはポケットにしまっていたのであろう弾も込めていた。
「……ちゃんと許可は取ってますよ」
俺の視線に気づいた彼女は拳銃に驚いていると思ってそう言ったのだろう、だが違う。本当に驚いていたのは、俺がその拳銃を知っていたからだった。
彼女が持つそれは、十一年前から現在の一部警官の間でも現役で日本の警察官に配備されている装弾数五発の回転式拳銃、サクラの名をそのまま付けられたものの、それと同モデルである。
一つ違うところがあるとすれば田中アリスが持つ物には、鈍色で輝く有翼の女性が彫刻されていること、父親も持っていたそれの衝撃に放心しかける俺の意識を、戻すように和懇が叫んだ。
「――襲撃だッ!」
ばっ、と正面を見れば運転席側、精確に和懇の頭を狙うようフロントガラスに銃痕ができていた。誰かしらの悪意の一撃なのは一目瞭然、だがこの車は7.62ミリの弾も通用しない防弾性能を持つ。
全くズレもなく同じ箇所を数度撃たれない限り、フロントガラスすら破れない代物だ。しかも走行中の車にそんな事をできる人物はいないはずだ、俺が知る限り。
――――だが俺のその決して浅くなどない思考を、襲撃者は覆す。
二発目、銃声の伴わない弾丸が、一寸違わず同じ場所へ着弾し、そのありえない芸当に俺と和懇は何が起きたのか、言葉を失う。
「まずい……!」
最初に立ち直ったのは和懇であった。彼女は減速しつつあった速度を上げる為、思い切りアクセルを踏み込み、次に周囲などお構いなしにハンドルを左右へ回し、車両を蛇行させ始めた。するとタイヤがキュルキュルと音を鳴らし、どこかからゴムの焼ける臭いが漂う。
「きゃぁっ」
当たり前だが、速度百キロに及ばないと言え蛇行しているのだから俺も含め後部座席の彼女にも影響は出る。
右に左に動く度、体が引き伸ばされるような強い力を感じつつ、考える。二発目は耐えれたが、三発目以降、もしまた同じ箇所に着弾すれば貫通するかわからない状況になった。
そこで俺は漸く状況を整理でき、即座にカーラジオの横にある無線へ手を伸ばすが、壊れている事に気づく。仕方ない、胸ポケットにしまったスマホを取り出して110へかけるが、
「っ、なんでこんな時に!!」
無情にもスマホからは、電波が通っていない、そんな文言が流れてきた。
「くそっ!?」
俺の悪態に通報は期待できない、そう悟ったのだろう和懇の額から、玉のような汗が噴き出ている。
――――三発目の着弾、やはり同じ箇所にだが運よく貫通はしなかった。
瞬きほどの安堵に改めて外へ目をやる。出口までの距離は数百メートル、時間はもうない、どうするか迷うほどの秒数もない。そんな時、田中アリス、彼女がシートベルトにしがみつき叫ぶ。
「次も絶対に当ててくる! 蛇行も速度も意味ない! 今は真っ直ぐ降りることを考えて!」
「了解……!」
信じる信じないなど関係ない、目の当たりして選択肢などないに等しく、和懇は蛇行運転をやめ、左手側に見えている出口へ進み始めた。どこからの狙撃かわからないが、防音壁に囲まれた高速道路に被弾箇所から、少なくとも高速道路上からではない正面のどこか。
だとすれば、横へズレて更に防音壁のある出口へ降りれば、狙撃自体ができなくなるはず。
そう踏んだ一手であったが、出口へ降り始めたその一瞬、たったコンマ以下の時間を縫って――四発目の弾丸が発射されていた。
左へ切ったハンドルも虚しく、鈍い音と共にフロントガラスが折れるように割れ、その細かな破片が速度百前後で進む車内に砂塵の如く舞う。
……一つだけ、運が良かったとすれば貫通はしたものの、その弾丸は破壊の衝撃で狙いが外れ、和懇の左上腕辺りに深く、突き刺さっていたことか。
「和懇ッッッ!?」
ただ彼女が被弾したことに変わりはない。
「う……」
下へ降りる為のカーブを描く道、被弾によってハンドル操作が覚束なくなった彼女の名を呼び、右手で支える。すると彼女はそれを振り払い、
「まだ、大丈夫だ……!」
脂汗を掻きながらそう言って使える右手だけでハンドルをしっかり握った。どうにか壁にぶつかこともなく真っすぐ走り始めたが、下りも相まって上がり続ける速度が、メーターの表示を右へ走らせ続ける。
「止血帯は!?」
後部座席、吹き込んでくる風に目を細めてこちら側へ身を乗り出した田中アリスからの呼びかけ。
「わかってる!!」
「いいから、お前は周囲を見てろ……! この先の路地裏手前で止まる……!」
一般車や一般人が混在する一般道へ続く出入口に降りた瞬間、丁字路となっているその場所を殆ど減速無しに右折し、同時に大きく車体が上下に揺れたと思うと、助手席側である左タイヤが悲鳴を上げたのがわかった。
左半身を押し潰されそうな感覚に抗いつつ、当然ながら多くの人間から奇異の目を向けられるが、なんとか事故を起こさなかったことに冷や汗を拭う。
和懇は右手で運転しながらも、器用にスーツの上着から左腕だけを抜いている――ちらと見えたショルダーホルスターに入ったP229、赤く染まる白いシャツが痛々しく、流石に動かすと痛いのだろう苦悶の表情を浮かべるが、声は出さない。
「止血帯を……」
既に俺が自分のスーツの内ポケットから取り出していた止血帯を差し出すと、彼女は口で受け取った。そのまま前に意識を向け、隙を見つけては既に輪になっている部分を、右手を使って更に緩めていく。
「ここで降りる、ぞ」
彼女がそう咥えたまま言って停車させたのは、ビルの合間、路地裏に続く道の前だ。
もちろんこの辺りが生活圏内という多くの一般人に、会社があるらしい主にサラリーマンやOLなどが多く歩く中で、俺は事前に取り出していた自身のP229を手に、遊底を引いて弾を送り、それを再度視認する。
和懇は停車と同時に身を捻り右手でDからPへ、更にサイドブレーキを引く。そして加えていた止血帯の輪を左肩まで通し、赤く染まったシャツを着衣のまま、傷口の上方指三本分ほどのところで止血帯をぐっと、締めた。
次に更にきつく締める為に、帯に付いているロッドと言われる棒をぐるぐると回し、ある程度締まったところでそれを付属した固定具に引っ掛けた。
「恭介……」
「和懇、行こう」
弱々しい声、力なくしなだれる体、脂汗に濡れた髪、止血帯を使ったとは言え、それまでに大分出血した。車用のマットの上に、彼女の体を回っていた液体が、溜まっていた。
俺は――どんな顔をしていただろうか、自分では少しも想像ができないが、少なくとも彼女のこんな姿が初めてで、彼女のことが心配で仕方がなかった。
何かを言いかけた和懇は、その出かけた言葉を飲み込み、俺の言葉にやっと頷いて同型の拳銃を右手に持ち、両手が使えないので遊底をベルトに引っ掛けて動かし、弾を装填させた。
「どこに向かうか、わかるよな……?」
「ええ、近くに同業者の会社及び、警察署があったはず」
「よろしい、後は、手順通りにしろ……では、田中さん、緊急事態である以上、予定の変更になりますが、どうか……ご容赦を、彼が先導します……」
物分かりがいいようで激痛に悶える和懇の説明に、素直に田中アリスは頷いてくれ、それを確かに見た俺は、危機が迫りつつあるという手順通り、先に降車し、周囲へ大きく聞こえるよう声を張り上げた。
「皆さん!! 自分は武装警備員です!! 銃撃戦に巻き込まれる可能性がある為、ただちに避難してください!!」
一斉に俺へ注がれる視線、念の為にもう一度繰り返す。
「繰り返します!! ただちに避難してください!!」
一瞬、何が起きたのかわからない、そんな表情を浮かべて多くの人が立ち止まっただけだったが、誰か一人が逃げ出すとそれを皮切りに、また一人、また一人と走り出し、最後には通りを歩く全員が避難しようと走り出していた。
「ではこちらです」
無人になりつつある通りを背にP229を持ち、俺が先へ、和懇が戸惑う田中アリスを守るように路地裏へ歩き出したのだった。
――――彼女に限界が来るのにそう時間はかからなかった。異変に気づいたのは、田中アリスの慌てた声による呼びかけ。
「荒魂さん!!」
彼女が倒れたのは複雑な路地裏に入り込んですぐ、確実に追って来ているのがわかっていたにも関わらず、それでも安易に前に進むことができなかったツケか。
人二人ほどが通れるだけの細い道を振り返って見れば、薄汚れた室外機の横に倒れ込む和懇の姿があった。
「和懇!」と名を呼んで駆け寄ると「……気絶してるだけ」田中アリスの安堵した声がかけられる。
「そうですか……」
俺としてもよかった、けれどこれは仕事だ。和懇を心配してくれる眼前の女の子が守るべき対象の、仕事なのだ。
「だけど」
俺には、和懇を捨てることも、身に危険が及ぶとわかって彼女を捨てることもできない。そんな俺の複雑な感情が表情か、あるいは雰囲気で伝わってしまったのか、田中アリスは最初とは打って変わって、小さく頷きながら物腰柔らかに、
「私なら大丈夫。生きてほしいと願う……彼女のことを守れ」
黒色の中に何か燃え滾る熱を思わせる緋色の混ざった瞳、その熱にあてられてかもしくは、心の底から安堵するような微笑みからか。
「……申し訳ありません」
「違う、ありがとう、でしょう」
「! ありがとうございます」
彼女なら大丈夫、そう思わせてくれたのだ。
「私が先導するので、道案内を」
和懇を抱きかかえたのを確認し、田中アリスが何かを察したように車内で触っていた回転式拳銃の、装弾数五発のサクラを手に、そう指示を仰ぐ。俺は手が使えない以上、できる限り詳細を口にして進んだ。
敵にそう簡単に追いつかれないよう、複雑な動きをしながら進むこと少し、
「ん……?」
「和魂……! 目、覚めたか!」
「えっ」
腕の中で和懇が目を開いた。
「歩けそうか?」
「ご、ごめ、いっ……!!」
何をそれほど驚くのか、抱きかかえられていることに気づいた和懇は、まるで全身を逆立てた猫の如く驚き、その拍子に動かしてしまった左上腕からの激痛に悶絶している――俺は、どこか抜けている日常の彼女に、張り詰めていた緊張の糸が僅かに緩むのがわかった。
「黒佐藤さん、次は――あ、起きましたか」
その時丁度よく曲がり角の先を確認していた田中アリスが、ひょこと顔を出し指示を仰ぐ、が、和懇に気づけば、やはりこちらもほっと胸を撫で下ろしたようだった。
そんな和懇が「も、もう歩ける、から」と言うと更に続けて気まずそうに「お見苦しいところを……」と伏し目がちに言う。
それは、彼女としては俺如きに抱えられるなど嫌だったろう。申し訳ない、そう内心思いつつ素直に下ろすと多少ふらつきはするが、しっかりと立てており、顔色もどこか生気が戻った気がする。
だが次の瞬間には、
「恭介、どのくらい意識を失ってた?」日常ではない、仕事モードの彼女が状況把握の為に、そう言った。
俺は言われた通りに腕時計を確認し、
「まだ五分も経ってない……ませんね」
気の立つ焦燥によって抜けていた、和懇が先輩でもあり一応雇い主であること。あわてんぼうの拙い敬語で誤魔化すが、彼女は、その瞬間を見逃さなかった。
――にこ、と俺にだけ見えるように微笑んだのだ。それは路地裏の傍らにて、室外機の排水ホースの下で雑草に混じって咲く、強く美しく、けれど南風が吹けば綿毛となって消えていくタンポポのように一瞬だけ――
「五分……おかしいな」
「おかしいとは?」
時間を聞き、何かに気づいた和懇が、表情を険しくさせる。それに疑問の声を上げたのは田中アリスだ。
「えぇ、私を抱えて移動していたのならば、追手に追いつかれていてもおかしくないはずです。けど、見ての通り」
何かに気づいたように言った和懇の言葉通り、襲われてはいない。
「田中さん、我々はプロです。言われたことをやり遂げ、その報酬をもらう。先を……急ぎましょう」
何かを問いかけた和懇に、目線を逸らした田中アリスは、
「……私は、嘘は吐かない」
前を向き、ぽつりとそう応えただけだった。
「後ろからだな」
幾度目かの曲がり角を進んだところで、和懇がそう言った。
応急手当のおかげで出血も殆どないという状態、それでも体に穴が開いていることに変わりないが、彼女のその嗅覚に間違いはない。
俺は咄嗟に和懇へアイコンタクトを取り、正面へ向けていた意識を背後へ向けた。先頭に立ったまま右手に握られたP229もそちらへ。
田中アリスの隣に立つ和懇は、流れ弾に間違えても当たらないように自分が盾になるよう正面を背に……つい先ほど曲がった角へ視線を向けながら、じりじりと二人で挟んだままの田中アリスを、進ませる。
その時、和懇が小声で俺に声をかけた。
「恭介、お前が連れていけ」
――左上腕を庇いながらそう言った和懇の表情が、一層険しいものに変わっている。
「それは……」
「そこの丁字路を右に行けば大通りに出る。音はしないが同業者以外に警察だって出動してるはず」
和懇が剥きだしのショルダーホルスターに入った予備弾倉を右手で確認し、撃鉄が起こされていることを触って確かめ、再度P229を構えた。
照準は同じく角の先である。
「私にできることはもうないから、早く、行って」
何かを諦めるような彼女の言葉、その瞬間――――角の先で何かがキラリと光り――――間すらなく銃声が三度路地裏に響く。
「早く行け!!」
叫ぶ和懇、落ちる空薬莢、角の先で粉々に散る光る物体――――鏡。続いて四発角に向けて撃ち続け、コンクリートの壁に9ミリの弾痕がつく。
だがその半分があらぬ方向へ飛び、和懇ですら片手のみの射撃の難しさが垣間見える。
俺は、そんな彼女に押されるように前へ進まされた。この状況でまだ、迷っていたのだ。
「きゃっ」
板挟みとなった田中アリスの体を支えるが、
「恭介……!」
最終的に丁字路となった先の、右へ続く道まで押し込められたところで、和懇が珍しく激怒した様子で言う。
「私達のっ、目的はっ、対象の護衛だ!!」
十数発撃ち込み遊底が固定される前に弾倉を落とすと、背中に壁を預けながら首元で拳銃を固定、空いた右手で素早く予備弾倉を掴み取って差し込んだ。
その動作の途中、叫ぶ言葉を遮ったのが、俺の隣にいる田中アリスだった。
「置いていけない! あなたもそうでしょう!?」
――――俺をちらと見やる少女の瞳は、この場では崩せない決意を表している。
「っ」
和懇のあれだけの焦燥は見たことがない。そんな彼女を放って逃げれば、俺は一生後悔するかもしれない。そしてその後悔は、一生心を蝕み続ける。
選択は一度だけ――――正解か不正解かなど、きっとない。けれど俺は武装警備員としては三流以下になるだろう。
……自分の仕事を放棄するのだから。
でも、それでも、
「……援護する! 和懇を頼んだ!」
壁にもたれかかる和懇の前に立ち、敵がいるであろう路地へ、発砲した。
確実にいるであろう敵からの反撃はいまだないが、十数秒前まで自分達が立っていた更に先、距離にすれば十メートルほどの角……微かに割れた鏡が目印となったそこへ発砲。
「このっ……バカ」
本来は護衛対象である田中アリスに肩を貸された和懇の可愛らしい悪態、その表情に怒りはなく、代わりに覚悟が揺らぐのが見えた。そのまま光の差す大通りへ歩き出した二人を視界の端で確認、俺は弾倉を交換しつつ再度路地を警戒した時だ。
「!」
目を離して一秒にも満たない世界で、陰に包まれたその路地裏から黒い影が伸びたのだ。それは狭い路地裏に、高層ビルのガラスを伝って反射する西日が人の形であることを明確にさせ、こちら側の路地へ飛び込んでくる。
人離れした速度、紅い尾を引く眼光――――俺が引き金を絞り切るよりも早く、その人物から伸びた手が照準をずらすと同時に、俺の手から拳銃を奪い去る。次に瞬きよりも早く懐に入り込んできて、体当たりのようにその巨体ごと俺を壁に叩きつけた。
「っ、ぁ……!」
圧迫された胸部、肺にあった空気は全て押し出され、肋骨に激痛が走る。それどころか、固い壁に後頭部を打ち付けられて一瞬明滅する視界、続けざまにその男は俺から奪った拳銃を至近距離から俺自身に向け、躊躇なく四発撃った。
中に着た防弾ベスト虚しく、同じ箇所に撃ち込まれた弾丸の一つが体内へ届き、体の内が焼けるような感覚に襲われる。
まるで、じわりじわりと死神が近づくかの如く広がっていく。
「きょうすけぇッ!!」
――朦朧とする意識の中、覚えていることが二つだけある。一つは、
「!」
アルビノを彷彿とさせる緋色の瞳を持ち俺の拳銃を構える初老の男が、たった一瞬だけ血のような瞳を見開いた瞬間だ。
それは左肩を負傷しながらも、余裕のなさなど感じさせない、ただ一点……俺を助けようと全力を出した近接戦闘術。
身長差もあったからだろう、本来使えないはずの左手で、構えられたP229の銃口を押し上げるよう頭上へ、同時に男が発砲するが、弾丸は明後日の方向へ飛ぶ。
次に和懇は胸部の前で構えられていた自身のP229を、体の軸になっている左足の先を少し右側へ捻ることによって、右足は左足の後ろに、そして体の向きも脇腹が照準に、男の体の正中線を捉えるよう横に向き、撃鉄を叩かせた。
たった一発、確かに男の腹を貫く角度であったが――――9ミリが、届くことはなかった。
二つは、俺と同じように血に濡れて壁にもたれかかったまま動かない和懇と、髪が真っ白な初老の男と相対したまま動かない、田中アリスの姿だ。
彼女の姿は、まるでその男と同じ――アルビノを彷彿とさせる血のように紅い瞳と、白色が毛先から浸食してるようだった髪を全て真っ白に染め上げ、大量の汗を掻き、サクラを構えた姿だった。
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