5

いつものごとく、店は静かである。

 しかし今はその静けさを待ち望んでいたようで、とても心が落ち着いた。

 ここしばらく激動の毎日だった。俺とセラが完成させた幻影小説をその日のうちに街へ持っていき、彼が書いた本を置いてもらっているという本屋に並べてもらうことにしたのだ。言って、実験で二つ使ってしまったから残る現物は三つなのだが。それくらいならば置いてやると店主は頭を掻き、そのままレジ横に飾ってもらった。店主と顔を合わせたセラはどこか居心地悪そうにしていた。なんでも作品を置いてもらってはいるが、あまりにも売れないためにそろそろ本を送り返されかねない、とびくびくしていたらしい。

 俺たちは店を離れ、レジカウンターが見える物陰から様子を伺っていた。あまりにこそこそするので泥棒のようだが、実際本屋に来た人たちがどれだけ反応するか知る必要がある。そうやってセラと二人本屋を凝視していると、何人かの客が本を買って行った。中でも大人一人で来る客は、特に羊皮紙を気に求めず目的の本だけ購入して去っていく。次に来た大人も大して気にならなかったようだ。次に来た子ども連れの母親は、ただ本を買おうとしていたが……。どうやら子どもは羊皮紙が気になったらしい。あまり見かけない物がそこに置かれているので、必死に手を伸ばしているようだった。それを母親が叱り、子どもはしょげたように頭を下げる。店主が母親に何かを言ったようで、母親もその羊皮紙を見つめていた。しかし、気にはしたもののそこから先はなく、親子は店を出て行った。

「……やっぱり、そもそも何なのかわからないからみんなそんなものにお金だそうって思わないんじゃない?」

「っていうか俺たち、そもそもあの店主にこれが何かって説明したか?セラが書いた羊皮紙ですってしか言ってないよな」

「た、確かにね」

 しかし、細かい説明をする気にもなれないのだ。ただの物語が書いてある羊皮紙だと言って渡したから店に置いてくれたようなものだ。もし細かく錬金薬がかかっているだの、紐解けば幻影が現れるだの、そんな説明をしたら……得体の知れないものを置くなと突き返されかねない。

 俺たちが実演販売をするというのも考えたが、そうすると子どもたちの最初のワクワク感を奪ってしまう。できればこれが物語ということだけを知った子どもが紐を引いて、その幻影を楽しむという様が見たいのだ。

「ねぇジェイドさん、僕思ったんだけど」

「おうどうした」

 セラの様子を見ると、少し焦った表情だ。

「あれ、確かに幻影が出て楽しいけどさ。何も知らない親子が買って行って、室内でその紐を解いて、さっき森で見たような子鹿とか出てきたら……」

 ……。

「……結構問題じゃない?」

「……発狂されるか倒れるか、怒り狂うか」

「苦情来ない?」

「……来ないとも言い切れな」

「来るよね?」

「……」

 セラと顔を見合わせて、説明責任の何たるかを思い返した。もし本当にそんなことがあれば、本屋の店主に投げ返されるどころか悪評が広まってしまう。最悪こいつの書いた本も突き返される。そしてせっかくの事業が世に広まる前に無かったことになってしまう。

「回収を提案します」

「同意」

 誰かの手に渡ればいいと願って監視していたはずなのに、すっかりひっくり返って誰の手にも渡るなと強い念を送りながら俺とセラは駆け出していた。店主に「すまんやっぱり持って帰る」と適当に早口で話して掻っ攫えばひとまずの心配は……と前方を見れば、なんとまたレジに新しい親子が来ていた。セラと話をしていたから気づかなかった、しかもその子ども……少年は羊皮紙を手にしている。

 店主と話す母親は不思議そうな顔で首を傾げている。しかし喜ぶ少年を見て、まあいいかというように笑って金を支払っていた。よくないよくない。

「ねぇかあさん、もうおうちに帰るんでしょ!僕この宝物探しに行ってもいい?」

 少年の楽しげな声が聞こえてきた。そうか、羊皮紙なもんであれが冒険者が使う地図だと思っているんだ。

「いいけれど、あまり遠くになりそうだったら一度帰ってくるのよ。お父さまとお出かけしてね」

「分かった!」

 少年は母親から離れ、一人で店の外に駆け出す。待て待て少年と叫びたいが、そんな不審者極まりないことこんなマーケットの中心でできやしない。しかし少年とまだ距離があるその店先で、彼は羊皮紙を結んだ紐を引っ張った。想定通り、羊皮紙はぱっと光を放つ。

 やばい、と声を上げようとしたのだが——。

「わぁ……!」

 雲一つない晴天の中、綿雪が降り出した。建物の屋根の高さあたりから突然湧いて出るその雪は、真っ直ぐ地面に向かって降り、積もっている。少年は羊皮紙を持ったまま、真夏の雪に心底興奮したようだ。空に手を突き上げて、その場でくるくる回る。

 辺りにいた人間ももちろんそれに気づいた。大人たちはギョッとしていたが、マーケットにいた子どもたちはその雪を喜んだ。少年に何をしたのかと尋ねに行き、共に降り積もった雪を触って楽しげに遊んでいる。あっという間にその一帯だけ真っ白になってしまった。

「これなあに?」

「多分、ゆき!」

「これが雪なの?」

「その紙は?」

「これに白い雪って書いてある、だからこれが雪なんだ!」

 集まった子どもたちは、雪だ雪だと言ってはしゃぎ始めた。

 ……あぁ、そうか。この一帯は雪が降らない地域だ。何年に一度かは雪が降る場合もあるが、大して積もらない。大人たちはもちろん雪を知っているだろうが、ここ数年に生まれたあの子たちはまだ雪を見たことがないんだ。

 隣の青年の顔を見れば、彼もぽかんとしていた。空から降る白い綿を見上げて、口を開けている。

「……これが雪なんだ」

「はぁ?お前が書いたんだろう」

 俺を見上げたその顔は、どこか寂しげでもありしかし嬉しそうで、目に若干の涙を浮かべていた。

「僕は昔から病弱だったからね。気温が下がると確実に寝込む羽目になるんだ。冬を外で過ごしたことなんて一度もないよ」

 セラは子どもたちの元へ駆け出した。僕も混ぜて、といいながら積もる雪の上にしゃがみ込み、かき集めてボールを作っている。子どもたちも一緒になって雪を丸め、一人の少年の雪玉と合わせて小さな雪だるまを作った。近くにあった石ころを目として埋め込み、木の枝で口を作る。セラはそれを雪の上に置くと、なんとその雪だるまが小さくぴょんぴょんと跳ね始めた。それを見た子どもたちはもっと喜び、それぞれの雪玉を合わせてたくさんの雪だるまを作った。中には雪うさぎを作った子もいる。それらは皆楽しげに、ぴょんぴょんと跳ね回った。

 周りの大人たちは唖然としていた。何が起こったのだと理解が及ばず、羊皮紙を広げたあの少年の母親だけがにこやかに笑っていた。その後ろに立つ店主は慌てたような顔で辺りを見回し、近くに俺がいるのを見つけ駆け寄ってくる。

「お、おい、これは一体なんなんだ」

 片眼鏡が汗でずり落ちるのか、何度もかけ直している。その様子に鼻で笑うと眉間に皺を寄せられた。

「俺とあいつで作った魔法なんだ。さっき渡した羊皮紙に書かれている物語が幻影となって現れる」

「げ、幻影……。ならそのうち消えるのか?」

 俺はベルトから下げていた時計を見る。店を訪れた時間から三十分以上は確実に経過している。

「あと三十分くらいで消えるんじゃないかな」

「な、なるほどなぁ……」

 店主は片眼鏡をあげつつ、セラの方を見る。なお降り続ける雪は彼らの肩を濡らして、そのうち雪合戦が始まっていた。もちろん子ども同士の戦いだから、そこまで過激じゃない。セラも……よほど楽しそうに、遊んでいる。

「なぁじいさんよ、俺からの提案だ。あの羊皮紙あんたの店に並べてくれないか?幻影を覗き得る、小さな物語だ。あれは試しで作ったやつだから、今後綴る物語は決して危険なものがないと約束しよう。あんたには絶対に迷惑がかからないようにする。だから……」

「……わたしもな」

 店主は小さくつぶやいた。なんだと思えば、彼もその小さな雪景色を見て嬉しそうな表情を浮かべていた。

「雪が好きなんだ。東の地域に行けば呆れるほどの雪を見ることができるが、それも中々叶わない。あの誰にも汚すことのできない純白の景色が、わたしは一等好きなんだ」

 店主はセラの元へ近づいていく。その後ろをついて俺も近寄った。雪の中に転んで、顔を赤くして笑っているセラの顔を覗き込むように、店主は問いかけた。

「セラ、この雪は君が書いた話を幻影化したもの、そういうことなんだね?」

 またセラはびくりと身を跳ねらす。しかし店主の表情を見てか、警戒心を解いて頷いた店主もあまり見ることのない老いた笑顔で言う。

「君が書いた物語を、ぜひうちに置かせておくれ。こんなに子どもたちが楽しんでいる姿を久しぶりに見た。もちろん君さえよければ、だが」

 セラはその言葉を聞いて大層おどろいていた。そして立ち上がり、店主に向かって深々とお辞儀をする。

「こちらこそ、よろしくおねがします。あと、一つ言うと僕だけの作品ではないんだ。この幻影を生み出したのは、その人だから」

 セラは俺を見た。店主も俺を見て、にやりと笑う。

「たく、暫くなんの音沙汰もないと思えば大層な薬を作りおって」

「仕方ないだろ、作れると思っていたものは全部作り終えた後だったんだから」

 この店主とは昔からの顔なじみでもあった。というのも、彼に腰痛に効く塗り薬を作ってやっていたからだが。音沙汰もない、というのは店にいる時の俺がだいぶ暇そうだというのを意識して言っているのだろう。

 まぁいい、俺も珍しく礼儀正しく、頭でも下げておこう。

「俺からも、よろしくお願いします。商売って言って仕舞えば夢はないが、俺たちの作品を広めるためには馴染みの店しか頼れないからな」

「慣れないことをするな、気味が悪い」

 け、と笑いながら頭を上げて、セラと顔を見合わせる。さぁ、これから忙しくなるぞ、と頷けば、歓迎だと言うように彼も頷き返した。

 さて、これで店の確保は出来た。あとは少しばかり量産を……と考えていたのだが、その時幻影として現れた雪が全て瞬時に消えてしまった。もちろん降るものはなく、地面に積もっていたはずの雪も一切消える。子どもたちが手にしていた雪はおろか……肩を濡らしていただろう少年の服は乾き、頭の上に積もって溶けた水滴も全てなくなっているようだ。なるほど、幻影によって現れた雪であり水分だから、効果と共に消滅するのか。それはいい、だったら水遊びの話だって上手く使えそうだ。

 メモしておこう……とポケットに入った手帳に手を伸ばすと、子どもたちがわっと騒いだ。残念そうに、がっかりしたというように、惜しんだ声を上げてこちらに……店主の方に駆け寄ってくる。

「ねぇねぇおじさん!雪はどこにいっちゃったの⁉︎これ、もう一回開けばそうなる?」

 宝の地図だと言って羊皮紙を買った少年だ。あぁ、店で買ったものだから店主なら分かるだろうと声を上げているのか。わかるわけがない、と店主は俺を見る。仕方ない、とその少年の前にしゃがみ込み、彼の手から羊皮紙を取り上げた。

「さっきの雪はな、時間が経つと自然に消えてしまうんだ。でも、また見ることはできる。この羊皮紙を最初のように丸めて筒にして、この紐で縛っておくんだ。そして、暫く日にちをあけたら街外れの薬屋にくるといい。これを手渡してくれれば、もう一度魔法をかけてあげるよ」

 そして、少年に返す。終わりではない、また見ることができるのだと知った少年は声を上げて喜んで、そばで見守っていた母親の元へと駆け出していった。

 思いつきで言った言葉だが、これはこれで商売だな。連続で薬をかければ紙がダメになってしまうからいけないが、時間をあけてまた薬を垂らせばおそらく羊皮紙が痛むことはないだろう。そして薬をかけに店に来たところで銅貨何枚かいただくことができれば、そこそこの売上になるかもしれない。延々にそれをやってしまえば新しい羊皮紙を購入してもらえないだろうから、回数なんか設けても良いかも知れないな。

 ふむふむ、それがいい、そうしよう……。

 と、セラに共有しようとすれば少女が俺の肩をがしりとつかんだ。

「ねぇ、あの子ばっかりずるい!あたしも欲しい!」

「ぇえ?」

「ぼくも欲しい!」

「わたしも!」

 俺を取り囲んだ子どもたちは一斉にそう騒ぎ立てた。それぞれの親が慌てて駆け寄ってきて、騒がせてすまないと頭を下げている。いやいや、願ったり叶ったりだが、店に残っているのは二つだけだ。欲しいと言っている子どもは三人いるからどうやったって一人だけ可哀想なことになる。というより、この子たち随分と楽しげにしていたがその親は今までの光景をどう捉えているのか……と周りの親の顔を伺えば、皆一様に笑顔だった。一人くらいは気味悪がると思ったのだが。

「ねぇ、あなたたちがあの魔法を使ったの?」

 一人の親が言う。

「あ、いやあれは魔法っていうか薬というか」

「とても綺麗だったわ!」

 俺は拍子抜けた。セラも驚いている。多分二人して、幻影の方を大人に受け入れてもらえると思っていなかったのだ。

「ここいらで雪なんて、とても見られないものね」

「えぇ、この子があんなに楽しそうにはしゃいでいるのも久しぶりに見たわ」

「もしその羊皮紙を買うことができるならば、一ついただきたいのだけど」

 子どもたちが楽しそうにしているのを久しぶりに見た、というのか。そうか、所詮こんな田舎街だ、子どもたちが楽しいと思える事柄も全く更新されていないんだな。物語を幻影化して、物語の中身と楽しく戯れることができる……そんなていで作ったけれど、これは後始末もかからない新たな遊び道具にもなる、というわけか。

 ……が、しかし。

「申し訳ないご婦人がた、在庫がそこにある二つしかないんだ。だから少し待ってもらえれば……」

「じゃあ僕、早速書いてくることにするよ」

 セラは言う。大変満足そうに笑って、心が満たされ幸せそうに頷いている。両手を包んで、神に祈るように目を閉じてから、よしと気を引き締めた。

「今日中にこの店に持ってくるから、待ってて!じゃあね!」

 セラは踵を返して走り出した。喘息持ちなんだからあまり走るな、と声を掛けようとしたが、その軽やかな足取りに野暮であると口を閉じる。自分が書いた物語は、幻想を介して子どもたちに喜んでもらえた。大人たちも少なからず嬉しそうだった。きっとその事実だけでも、今回の事はセラの中でこれ以上ない宝物になったことだろう。書けない、とつい先日まで落ち込んでいたと言うのに、書きたくて書きたくて仕方がなさそうだ。

 じゃあ、俺もやることするかぁ。

「さて、ご婦人がた。あいつが言った通り、暮れにはまた羊皮紙を持ってくるだろう。もし子どもたちが欲しいと言っていたら、また来てくれ。銀貨一枚で取引に応じよう」

 子どもたちは揃って自分たちの母親を見た。その物欲しげな顔を見て大人たちは彼らの頭を撫でている。一度頭を下げて、皆それぞれの帰路へと散っていった。あえて買ってやるだの、我慢しなさいだの言っていなかったが……多分みんなまた来てくれるだろう。

「さぁジェイド、商売をすると言うのなら色々書き留めてもらうぞ。店で取り扱うにも情報が足りないからな。そもそも、あれは何という名なのか」

 店主は来いと言うように手招きし、店へと入っていった。

 何という名。そういえば名前を決めていなかったな。ただ羊皮紙としか。商品として売るのであれば、そりゃ名前が必要だ。物語を綴ってはいるが、決して本ではない。だからといって、ただ紙だというのもどこか寂しい。幻影を見せる、物語……文字……。ふむ、良い名前はあるだろうか。セラが戻ってきた時に、名前の事は考えるとしよう。

 そうして、店主と話し合った。羊皮紙一つにつき料金は銀貨一枚。一日の納品数について尋ねられたが、物語は全てセラの手書きとなるため、せいぜい一日に三つほど、と伝えた。商品の説明としては、紐を引くとそこに書かれた物語が飛び出す……と。幻影の効果は一時間ほどで消えるが、その最中で転んだ怪我なんかが消えるということはないので、周りには十分気をつけること。そして、羊皮紙を開くときはできるだけ屋外の広い場所で行うこと。一度開き幻影の効果が出たものにもう一度薬をかけてほしい、とこの店に客が来た場合は、森の薬屋へ案内してほしいという旨を伝え、うちの店への簡単な地図が描かれたチラシも置いてもらうことになった。その場合は銅貨を一枚だけもらうと添書き、紙の強度の問題であるとして、幻影かの薬は一つの羊皮紙につき三回までとした。あまりにも薬をかけてしまえば、物語というよりも幻影の方が主体になってしまう。それに商売として成り立たない。まぁセラなら、子どもたちが楽しむ姿が見られるならいい、と言いそうだが。

 最初に店主に羊皮紙を渡したときは、置き場所がないためレジ横のいらない箱に適当に入れてもらっていた。せっかくなら、と仕切りが多くついた平面の箱を用意してもらい、その一マスごとに同じ物語を入れられるようにしたらどうだろう、と提案してみる。試しに残っていた二つの羊皮紙をそれぞれ別のマスに入れてみたのだが、単純に隙間が物寂しくて笑ってしまった。きっとここに敷き詰めるだけの物語をあいつなら書いてみせるんだろうな、と勝手に思えば、また笑ってしまう。

 その箱を店先に置くためにも、周りの本を整頓しなければいけなかった。その引っ越し作業を手伝い書架を整えていると、あっというまに日が暮れる。そして、まだ空がオレンジ色に染まる頃、セラが再び姿を表す。手にインクをつけて、息を切らせながら走ってきていた。手にしていた羊皮紙は五枚もあり、それぞれが違う話なのだという。全くどれだけ張り切ったのか!

 そういえば、と、レジを物陰から監視していた時に薬やらなんやらを入れていた紙袋を向こうの建物の陰に置いたままだった。危ない危ない、回収に行けば薬も紐も無事だった。利益があるとわかった薬だ、今後は用心しなければ。

 インクが乾くのを待ち、セラと共に羊皮紙を丸める作業をする。紐で縛り、薬を一滴垂らして、用意した箱のそれぞれのマスに一つずつ入れた。こうして、十二マスある箱のうち七つが埋まった。……パッと見て、マスの中がこんなにスカスカなのにどうしてそれぞれに入れているんだろうと疑問に思われそうだ。物語ごとに紐の色を変えてみても良いかも知れないな。

「……あぁそうだセラ。売るからには名前を、と言うことだったんだが、なにか良い案はあるか?」

 急な問いかけにセラは「え」と呟いた。そしてううんと唸りながら首を傾げ、自分が今さっき書き上げた羊皮紙をまじまじと見る。そして何か思いついたのかパッと表情を変えて、俺を見上げた。

「これは、僕から誰かに宛てた物語。……『手紙』、っていうのはどうかな」

「手紙……か。物書きの視点は面白いな」

 そこでなぜか表情がむつけたものになった。バカにされたと思ったのだろうか。

「じゃあ、『幻影の手紙ヴィジョン・レター』……とでも名付けよう」

 ちら、とまた顔を見る。やはりコロコロ変わる表情だ、今度は驚いた顔をしたかと思えば、満面の笑みを浮かべた。

「……うん、いいね、かっこいい!」

 セラはうずうずするというように並べられたヴィジョン・レターを眺め、笑い、身震いするのだった。

 そうして、店主はうちで取り扱う商品、として書類にその名前を書きつける。これでひとまずやることは終わっただろう。商品は並べたのだからひとまず帰ろうと促し、店を後にした。歩いている最中に陽は暮れ、森へ続く道の脇にある光苔のランプが淡く点り始めた。前はくらいが、足元を照らす程度には良く光ってくれる。

「よく書けたな、あの短時間に五つも」

 セラは軽く笑って頭を掻いた。

「実は、これまでに書いていた本の中からいくらか引っ張ってきたんだ。不思議だけど楽しい現象とか、僕が実際にやってみたいなって思って書いたこととか。あの雪の話も、いつか見てみたいなぁって思って調べながら書いたものだったんだよ。ねぇ、あなたから見てどうだった?あれはちゃんと雪だった?」

 本当に雪を見たことがないのか、こいつは。しかしまぁ、白くて冷たく、幻想的な結晶。俺や周りの大人が見てもあれは雪だったと言えるだろう。店主もため息をついていたほどなのだから。俺が悪意もなく頷けば、よかったと笑うのだった。

「同じ話を量産するのであれば、俺も手伝おう。ただペンはないから貸してくれ」

「分かったよ。なら明日、また僕の家まで来てもらっていいかい?羊皮紙とか色々渡すから」

「あぁ」

 言いながら歩けば、俺の店の前についた。セラは手を振りながら、さらに森の奥へと帰っていく。俺も手を振り返せば、セラは昼に家に戻った時のように駆けながら闇に消えていった。あの調子だとまた夜の遅くまで話を書くんだろうな。風邪を引かなければ良いが、と俺も店に入った。

「まったく!使い魔に店番させるってどういう気よ!疲れちゃったわ!」

 入るなり甲高い罵声が聞こえてくる。カウンターには黒髪の少女のような姿をした人形が可愛げもなく腕を組んで座っており、俺に目を合わせて口を膨らませていた。悪い悪いと言いながら近寄れば、その人形はふわふわと空中に浮く。俺の周りを飛び回って、体の隅々まで見ているようだ。

「ふうん、新しい薬を作ったのね。私があげた糸は役に立った?」

「お陰様で大活躍だ。今後も世話になるかもしれんな」

「なんですって!魔女に対してよくそんなことが言えたものだわ。もう店番なんて懲り懲りよ」

 人形はまた腕を組んでソッポを向いた。

 今日はどうせ一日忙しいかもしれない、と店をクローズにしたまま出かけようと思っていたのだが、朝のうちにこの人形がうちを訪ねてきたのだ。以前惚れ薬を渡したあの魔女が、まだあの薬はないか、と使い魔を使って催促してきたのである。そこで俺は交換条件を持ち出した。店番をしてくれれば、また作ってやると。

「ノリノリで店番してくれたのはお前じゃないか。それに、いらないのか?お前がお望みの薬は」

 薬の名を聞けば人形は宙返りする。そうしてねだるように両手を握って、首を傾げていた。

「その薬のために今日一日頑張ったのよ。くださいな、約束よ?」

 そう攻め寄ってくるが俺はニヤリと笑って見せた。

「誰が一日だけって言った?」

「な⁉︎ずるいわ、卑怯だわ‼︎騙したのね‼︎」

 そう言って俺の髪を引っ張り始める。本当に一日だけ店番をしてくれとは言っていないし、それで了承したのは魔女本人だ。俺は別に計ったつもりもない。

「魔女様、契約は守らないとあなたが灰になりますよ」

「ッ〜〜〜……バカッ!」

 人形は窓から飛び出していった。何やら罵詈雑言が聞こえなくもないが、夜の静けさに吸い込まれてまた無音になる。まぁ流石に可哀想にも思えてくるから、明日は薬を作ってやって渡すことにしよう。その後もあの人さえ良ければ店番を頼むことにしようかな。とりあえず、と幻影の薬を少々作り置きして今日の一日を終了とする。

 そうして眠り、次の日の朝、扉をノックする音で起こされる。なんだと眠い目を擦りながら扉を開けると、本屋の店主がそこにいた。昨日俺たちが帰った後、置いてあったヴィジョン・レターはすぐに完売したのだという。そして、買えなかったと泣いてしまう子どももいたのだとか。

「前金まで貰って予約をと頼まれてしまってな……どうにかなるか?」

 困った顔で申し訳なさそうに店主は頭を掻いた。受け取ってしまったものは仕方がないと、俺も苦笑いをする。そうして受け取った銀貨三枚のため、俺もやらなければなとそのままセラの家に向かった。勝手に予約を引き受けてしまったからと店主も後に続き、彼に頭を下げようとしていたらしいが……。

 セラの家は、早朝だというのに煙突から煙が出ていた。キッチンの火を起こしている時に、その煙は立ち上る。こんな早くからあいつが起きているのか、と訝しげに玄関をノックすれば、目の下に若干のくまを浮かべたセラの笑顔があった。

「やあ、ご機嫌よう!今からココアを飲むところだったのだけど、一緒にどうだい?」

 左手にある、彼の作業場の方を見た。開け放たれた扉の隙間から、床に散乱している羊皮紙が見える。どれも文字が記されているようだった。

「お前まさか、夜通し書いてたのか?」

 照れたように笑い、口に手を当てて欠伸をする。

「眠いね」

「当たり前だ……」

 店主はそんなセラの様子を見て驚いていた。

 いつだったか店主と話をしているときに、セラの話をいくつかしたことがある。小さい頃から体が弱く、しかし自分が持つ理想を叶えるために人一倍努力をする。しかしやはり身体には敵わず、いつもいつも寝込んでいた。そんな子どもが本を書いたから置いてくれ、と言われて今まで置いていたが、店主からしてみれば子どもの戯れにただ付き合っただけのことだった、というのだ。それが何年も経ち、セラが独り立ちするまで続いたのでそろそろ付き合っていられないが、どうしよう。そう話したところで、俺と店主の立ち話は終わっている。

 小説家になりたいなど、ただの夢にすぎない、店主はそう思っていたんだろうか。今目の前で眠そうにしながらも子どもたちのために物語を書き続けた青年を、店主はどう感じただろう。ただ驚いたその表情のまま彼はうつむき、預かっていたという前金の銀貨三枚をセラに手渡した。

「昨日買いそびれた子どもから預かった。その様子だと、今日中には渡せそうだな?」

 セラは満面の笑みで頷き、そのまま作業部屋の方へ駆け出してしまった。

「おい、火をかけたままキッチンを離れるな」

「ジェイドさんココア作っておいて!」

 俺は召使いか!全くとため息をつけば、後ろの店主は大きな声で笑う。

 セラが夜中のうちに書いた物語をとりあえず三枚分だけヴィジョン・レターにし、そのまま店主に手渡した。残りのものは後で届けると伝え、ひとまずココアを飲んで一息つく。その一息ついている間にソファの上でセラは眠りこけてしまったので、適当にベッドに運んで勝手に作業机を借りることにした。

 床に散らばっていたもの、机の上にあったものをみればざっと二十枚ほどある。どれだけ書いたんだ、と一枚一枚読み込んでいれば、さぞ楽しげな幻想だろうと胸の奥が暖かくなる。中には物語もあるが、詩のようなものもあった。その中でも特に子どもたちが喜びそうなものを選び、余っていた羊皮紙に書き写していった。

 できるだけ文字を真似て書いていたが、せっかくなら俺が複写したものと書き手本人の作品と差別化した方がいいだろう。元々彼の名を入れたタグをつけて売ろうとしていたので、それをセラ本人が書いた話にのみ取り付けることに決めた。それで俺が複写しただけ売れ残るみたいな事態になったら悲しいけれど。

 それぞれの話を一通り複写したところで、俺の目の前に人形が現れた。あの魔女の使い魔が、さぞ慌てたように身振り手振りを大きく動かす。

「ちょっと!お客さん!」

 その慌てぶりに時計をみれば、もう昼近かった。確かに薬屋に客が多く来る時間ではある。

「なんだ魔女さん、あんた器用なんだから少し客が多くても捌けるだろ?」

「違うわよ!みんな新しい薬の方を欲しいって言ってるのよ!店の人に言われたとかなんとかで!どこにあるか分からないわ!」

 そりゃそうだ、幻影化の薬は全部今ここにあるのだから、と紙袋を見た。……なに、ということは昨日買っていった人らがまた薬をかけて欲しいって来たっていうのか?

「あぁ待て待て分かった、行くから」

 使い魔に薬を持たせるのも怖いので、とりあえず店に戻ることにする。使い魔にはセラが起きたら羊皮紙だけ持って店に来るようにと伝言を頼み、駆け足で店に戻った。するとどうだろう、数人の子どもたちが皆、ヴィジョン・レターを持って店の前で追いかけっこをしていた。俺の姿を見つけると「きのうのお兄ちゃんだ」と言って群がってくる。皆が銅貨を握りしめており、もう一度、といって羊皮紙を寄越してきた。

 あぁ、本当に気に入ってもらえたんだな。

「まぁ待て君たち。まずは一列に並ぶんだ」

 子どもたちは素直に一列に並び、俺は地面に胡座をかく。先頭の子どもから銅貨と羊皮紙を受け取り、巻き直し、紐で結び直して薬を一滴垂らす。そしてその紐先に、セラの名が刻まれた小さなプレートをくくりつけた。

「お兄ちゃん、それなぁに?」

 そのプレートを指差しながら、俺はゆっくりと声を出す。

「『セラ』って書いているんだ。この物語を書いた人の名前だよ。よく覚えておくといい」

 子どもは素直に頷いて、そのヴィジョン・レターを大事そうに抱えていった。そして次の子ども、次の子どもと薬をかけ直してやり、同じくネームタグを括り付けていった。八人分終わったところで、昨日購入していった子どもたちが全員訪れたのかと気づき笑ってしまう。どうやら自分達が思っている以上にこの商売は名が通るかもしれない。そうなのであれば、もっと力を入れなければな……と伸びをした。

 少しして眠気まなこのセラが羊皮紙の束を持って店を訪れた。同時に使い魔も戻り、薬屋で昨晩書いたものと俺が複写したものをヴィジョン・レターにする作業を行う。なぜか使い魔もその作業を手伝い、俺たち男よりもきれいな蝶々結びを作ってみせた。結構な数のヴィジョン・レターが完成し、さて納品に行こうとすれば使い魔から髪を引っ張られる。その無言の圧力にそういえば惚れ薬を作るんだったと思い出した。

「悪いセラ、こいつに別の薬作らなきゃいけないんだ」

「分かった、一人で行ってくるよ。人形さん、手伝ってくれてありがとう」

 セラは人形に対して一礼し、じゃあと店を出ていった。

 さて薬を作ろう、とカウンターの裏に回ろうとすれば、使い魔は髪を掴んだまま離さない。

「おい離せ、作るもんも作れないぞ」

 言えば使い魔はその場でくるくると周り、俺の視界にまとわりついた。

「あの子、私にありがとうと言ったわ!」

「言ったな」

「人間の子!私に気があるのかも」

「ねぇから」

「食べちゃっていいかしら?」

「クモの素揚げ送りつけるぞ」

 その言葉を聞いただけでびゃっと飛び跳ね、慌てたように周りを飛び回る。全く、クモが苦手な魔女とはどういうことなんだろう。また俺の元へ戻って髪を引っ張り始めるが、いい加減無視して調合に取り掛かった。

 そうやって魔女の機嫌をとりつつ店番をさせ、物語を書くのを手伝い、本職の薬やら幻影の薬やらを作るという慌ただしい毎日が繰り返された。一番最初の、あの街の中央での雪の出来事が多くの人の印象に残ったのか、ヴィジョン・レターは大人子ども関係なく多くの人の手に渡っているらしい。やはり子どもたちは幻影を楽しんだが、中身の文章をよく読んでくれた大人もいたようだ。そして人の手に渡る数は増えていく。増産し、新たに書き、薬を作り……ようやく落ち着いたのは何週間か経ってからだった。俺たちが始めた仕事はよほど世間に溶け込みれっきとした商売となった。

 つまらん事が多い日常だったが、今はだいぶ楽しくなった。

 静かな店でぐっと伸びをして、次に扉を叩くのはどの薬を欲している客なのか、想像しながら午後を過ごした。

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