第一章 刑事、獣の主人となる 8

昨日の辞令についても、みはやから自慢げに種明かしされた。

 警察上層部には、みはや本人から『守護獣まもりのけもの』就任(?)の情報をリークしたとのことだ。

 まさかの国家公安委員長をはじめ、警察庁長官以下、数十名の幹部の私物スマホのメールアドレスに、挨拶あいさつ文を送信したという。

「幹部のみなさんの大事な恋人や大事なお友達や、人知れず友誼ゆうぎを育んでいる大切な方々を、しっかり名指ししてご健康とご多幸をお祈り、したんですけどねえ……どうしてみなさん顔面蒼白になっちゃったんでしょうか? 不思議です」

 可愛らしく小首を傾げて、いけしゃあしゃあとのたまうのには、那臣ともおみすら背筋が凍り付いた。上手に隠しているはずの愛人だの、贈収賄の相手の企業担当者だの、裏で繋がっている反社会的組織の幹部だの、そんな面々の名前をもれなく列記されて、ご健康とご多幸をお祈りされたらたまったものではない。

 政府首脳部の裏事情はともかく、少なくとも、警察幹部のプライベートを把握する程度の仕事はお手のものだと証明されたわけだ。

「……いちおう確認しておきますけど那臣さん、もしかして警察、辞めたかったですか?」

 今もまた、大きな瞳を見開いて、長身の那臣の瞳を仰ぎ見てくる。そのあどけない表情は、警察組織に恐れられる獣というイメージとは到底結びつかない。

「正直愛想は尽きたがね……仕事自体は嫌いじゃないからなあ」

 一昨日知り合ったばかりの子ども相手に、何だって本音を語っているんだか。むずかゆくなってぼりぼりと腰のあたりをく。

 そんな那臣の様子を気にも留めず、軽い調子でみはやは続けた。

「わたしはどちらでも構いませんよ? 現状、上司の覚えはなはだめでたくなく、出世街道大きくコースアウトの下っ端警察官だったたち那臣さんを、わたし、森戸みはやは主人あるじとして選んだ訳ですが、那臣さんの人生です。ほそぼそと刑事さんを続けるもよし、辞めたかったらどうぞお気軽に。

 『守護獣まもりのけもの』は主人あるじがお望みなら、無職ライフだって全力サポートします! 

 引きこもっても快適な衣食住と、通販宅配の受け取りと、発売日のマンガ雑誌の差し入れをお約束しますのでご心配なく。

 さあ、レッツ無職!」

 その待遇に図書館貸し出し代行が加わったら、うっかり話に乗ってしまいそうだ。

 危険な誘惑をなるべく素っ気なく切り捨てる。

「俺は基本なまけ者なんだよ。確かにお世辞にも最高の職場とは言えないが、嫌な上司の一人や二人や五人や十人ぐらいで仕事辞めてたら、マジで堕落しちまう」

「おおっ、カッコいいです那臣さん、労働者の鏡ですね!

 ではでは明日の労働のかてとすべく、非番の今日は遊びまくりましょう! 地方から出てきた可愛いいとこに、東京観光させてください」

「一昨日まで観光しに来てただろうが」

「地元では真面目が売りの堅物かたぶつお嬢様学校だったので、那臣さん家のご近所の上野浅草メインで、自由行動日ですら、渋谷原宿お台場といった中高生女子にマストな地区には近づけなかったんです。

 ほらほら、いつの間にかもうすぐ日暮里駅ですよね?」

 みはやがはしゃいで那臣にじゃれついてくる。こんな子どもに振り回される警察組織も気の毒なことだ。まあ好きに振り回させている自分も同じだが。

 楽しげな女子中学生に引きずられていく三十男、という不思議な組み合わせが好奇心を抱かせるのだろうか。すれ違う散歩のお年寄りたちの無遠慮な視線が痛い。

 その中に混じって、ちり、と皮膚を刺す、異質な感覚を那臣は覚えた。

 反射で左手のみはやをふところに入れ戦闘態勢に入る。

 だが神経を研ぎ澄まして気配を探っても、もうすでに周囲にそれらしい人影はなかった。

「どうしましたか那臣さん」

 腕の中のみはやの問いかけに、ああ、と曖昧あいまいに答える。

 気のせいかもしれない。それに万一あの件で自分をどうにかしたい人物だとしても、まさか渋谷や原宿のど真ん中で白昼堂々仕掛けてくることはないだろう。

 那臣は軽く首を振り、みはやとともに、駅へと続く細い坂を下った。




 不夜城東京とはいえ、交通機関はそれなりの時間に客たちを終電に乗せ、家へと送り帰す。終電を逃した遊び人は、数時間後に再び動き出す始発を、呑みながら待てばよい。

 那臣たち官庁街の住人たちにとっても、始発帰宅は日常茶飯事だった。東京は朝も早いのだ。

「……だが十八歳未満は夜遊び厳禁だ……っつったのに、結局十一時回っちまったじゃねえか」

 ハイテンションのまま次々と遊び回るみはやを、那臣は引きずるようにして、先程ようやく地下鉄に放り込んだ。

 女子中学生のパワーを少々あなどっていた。体力には自信のある自分だったが、無残にも疲れ果て、今はとりあえずシートに座りたい。

「いいじゃないですか。保護者付き、それも警察官付きですよ? 性犯罪に巻き込まれる危険もヤバみなドラッグ売りつけられる心配もありません。いたって健全にショッピングして食事して映画見て、シンデレラさんより先に帰宅。何か問題でも?」

「おおありだ。言ったろ、十八歳未満高校卒業前は原則夜遊び一律禁止。保護者付きだろうが警官付きだろうが、年齢制限は解かねえぞ」

「お父さん厳しいですね……ちなみに原則の例外はお尋ねしてしてよいですか?」

「誰がお父さんだ。そうだな、大失恋でも喰らったら、ひとり夜の海に向かって叫び、泣きべそかいて朝帰り、くらいは仕方ないから認めてやってもいいぞ」

「リアル体験談ですね、ずっしりと重いです。

 というか場所違くないですか? 那臣さんが叫んだところ、推定、七里第二ダムですよね。海から直線距離にしても約七十三キロはありますよ」

「……お前が情報屋として有能なのはよーく判ったから……頼む、それは封印してくれ……」


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