第一章 刑事、獣の主人となる 5

 しつこい二日酔いと、昨夜の己の愚行に頭を抱えてうなっていると、程なくしてキッチンから旨そうな匂いとみはやの声が那臣ともおみを呼ぶ。

 ……旨そうな飯を旨いままの温度で頂かないのは、非常にもったいないことなのだ。いろいろと尋ね足りないこと説教し足りないことだらけではあったが、とりあえず腹を満たしてからにしよう。

 那臣はそう観念して、キッチンの小さなテーブルについた。

 ぱちんと両手を合わせ、みはやの作ってくれた料理を、片っ端から朝の空きっ腹に収めていく。

 夕べも感心したものだが、みはやはかなりの料理上手だった。じゃがいものポタージュ、彩りよく盛りつけられたサラダと、カリカリのベーコン。手製だというデミソースを添えたスクランブルエッグの焼き加減は絶品だ。一気に平らげて再度ぱちんと両手を合わせる。

「お口に合いましたでしょうか?」

 普段使うことなく物置と化していた向かいの椅子から、みはやが心配そうに那臣の顔をのぞき込んでいる。残念だが昨夜同様、料理の出来映えに関しては、ちゃぶ台をひっくり返すわけにいかないようだ。

 素直に一言、旨かった、と答えた。

「よかった! これからも精進しますので、ご要望があったらなんでも言ってくださいね」

「これからも、って……ずっとここに住むつもりなのか?」

「あ、通い婚の方が萌えますか? 那臣さん結構通ですねえ、日本古来の雅な感じです」

「……どんな通なんだか」

 那臣はげんなり下を向く。

 しかしやはり食事とは偉大だ。エネルギー充填後は理不尽と闘う気力も湧いてくるというものだ。

 那臣の向かいの席に掛けて、にこにこと可愛らしく微笑みながら紅茶をすすっているみはやに、ひとつ咳払いをしてみせた。

「森戸さん」

「なんでしょう那臣さん。あ、夕べから二十五回ほど言ってますけど、いい加減『みはや』って呼んでくださいな。

 同じベッドで一夜を過ごした仲です、苗字呼びとは他人行儀に過ぎませんか」

「……事実だから言い訳は出来んが、その文脈はやめてくれ」

「そうですね、表現がやや不適切かつ誤解を生じさせかねないものでした。お詫びして訂正いたします。

 『寄り添って髪を撫でていただきました仲』、でよろしいですね? 

 可愛いみはやちゃん、と呼んで頂けましたら、すぐにでもそのように改めますよ」

 みはやがにっこりと、あざとさ全開の笑みを見せつけてくる。

 やや恨みがましい視線で一応の抗議をした後、那臣は深い溜息とともに、またひとつ砦を明け渡した。

「…………みはや」

 改めてみはやに向き直り、視線を合わせる。

「なんでしょう那臣さん」

 みはやもカップをテーブルに置き、姿勢を正す。鯱張しゃっちょこばった表情も愛らしい。

「そもそもこの状況を、俺はまだ理解も納得もしていないんだが」

「まず状況は、『美少女女子中学生が俺の家に押しかけ女房に? 初々しくちょっぴり緊張気味のふたりで、らぶらぶ朝ご飯ターイム!』、です」

「……自分で美少女とか言うか? 普通……」

「うっわ、こう見えて約九十九パーセントの方に可愛いね!って認定される造形なんですけど、残り一パーセント引いちゃいましたか……。

 判りました。お好みのタイプになるまで整形も辞さない所存です。どこをイジったらいいですか?」

「だからだな……まあとりあえず整形はやめとけ。話を戻すぞ」

「はい、何度でも説明させていただきますよ。夕べは全然納得されていなかったようですから」

 またみはやがにっこりと微笑む。どうやらわざと話を逸らして遊ばれていただけらしい。

 本好きという人種は無駄に語彙ごいが豊富なせいか、時に他を圧倒するマシンガントークの使い手となるようだ。会話のペースを奪還すべく、那臣はわざと重々しい口調をつくる。

「じゃ何度でも訊くが……『守護獣まもりのけもの』ってのはいったい何なんだ?」

「ええ何度でもお答えしますとも。わかりやすくざっくり言えば、優秀で使い勝手のよい、美少女秘書兼忍者兼家政婦、です」

 那臣の口調を真似て、みはやも重々しく答えてみせる。だか内容は昨夜聞いたとおり、さっぱり重みを感じられない。

「……だから自分で美少女言うな。っつーか、夕べは家政婦付いてなかったじゃねえか」

「家政婦は、みはやちゃんオリジナルのオプションです。料理洗濯掃除等々家事全般、『主人あるじ』にご満足いただけるレベルでご提供できるかと。

 お好みでメイド服パーツも装着可ですけど、ご利用になりますか?」

「オプションのそのまた付属品はとりあえず置いとけ。

 その、たかが秘書兼忍者とやらに、何だって警察庁のお偉いさんどもが、血相変えて上を下への大騒ぎになってるんだ?」

「ですから、たかが、じゃないんです。

 優秀で使い勝手のよい、ここ重要。テストに出ますよ」

 みはやは、ぴんと人差し指を立てた。

「なんのテストだ」

 那臣の疲れた溜息を受け取って、みはやが那臣のマグカップにお替わりをそそぐ。悔しいがコーヒーの淹れ方も上手い。

「那臣さんが言うところの、雲の上の住人テストですかね。

 生まれも育ちも一般庶民の那臣さんが、『守護獣まもりのけもの』の存在を今までご存じなかったのも無理はありません。

 雲の上でも都市伝説扱いの、超レアアイテムなんです、わたし」

「その超レアアイテムとやらを手に入れると、どんなイベントクリアが可能になるってんだ?」

「あらゆるイベント、です。

 この世で望みうるものすべて……はさすがに風呂敷広げすぎ、かな? ですけど」

 みはやの淡い黒の瞳が、怪しい光を帯びる。

 みはやは、変わらずただ、そこに座って紅茶を啜っているだけだ。

 なのに、小柄な全身に潜在しているであろう能力が、ふいに抑えきれずに漏れ出たオーラのように、相対する那臣を威圧してくる。

 この少女は、見た目どおりの愛らしいだけの女子中学生ではない。恐ろしく聡く目端の利く、喰えない人間である。那臣はそう直感した。


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