第一章 刑事、獣の主人となる 4
満面の笑顔一転、その人物、森戸みはやは、手にしたおたまを振り上げ、猛然と抗議を開始した。
「
まずは『よく訪ねてくれた。まあ部屋に上がって茶でも飲んでいけ』が最低限の反応ではないのですか? 都の地方公務員はここまで人情を無くしてしまったのですか!」
「……都の地方公務員だからこそ、間違っても自室に中学生女子を引っ張り込むような真似ができないんだがね……。
それより森戸さん、君の家は名古屋だと言っていたじゃないか。昨日の今日でまた東京まで来るなんて、親御さんはいいと言ってくれたのか?」
「やだなあ那臣さん、森戸さんなんて他人行儀な。今日から一緒に暮らす仲です。気軽に『可愛いみはやちゃん』って呼んでくださいな」
腕を組んで斜に構え、上目
それもモデルやアイドルといった、容姿を売りにする少女たちのなかに混じっても一つ頭抜けるだろう、なかなかお目にかかれないレベルの美少女だ。
整った輪郭にバランス良く納められた顔立ち。頬を薄紅色に染め、同じくつややかな薄紅の唇を突き出しむくれてみせる。そのあざとい仕草がまた、みはやの愛らしさを引き立てている。
だがなんといっても印象的なのは、その大きく見開かれた瞳の力の強さだった。
視線を合わせていると、その
そしてそれを心地よいとすら感じてしまう。不思議な感覚だった。
何よりこの少女は、那臣が愛してやまない物語、ヴァルナシア旅行団シリーズの愛読者である。一度や二度呑みに行った程度の友人や、仕事を共にした同業者より、人生の中で密度の濃い時間を共有してきた、とも言えるだろう。
本能がつい心を許してしまいそうになるのを、理性が危うく止める。那臣はわざとらしく、うむ、と首を振ってみせた。
「……まあ、とりあえず、どこか喫茶店でも行くか。仕方ないから妄想設定でもなんでも聞いてやるよ」
立冬も過ぎた秋の日の入りは早く、辺りはすでに夕闇に包まれてはいた。
しかし時刻は、まだ午後六時を少し回ったくらいのはずだ。保護者に連絡するのは、お茶でも飲んで、彼女が落ち着いてからでも遅くはないだろう。
あえて『妄想』と言い切ったのは、もちろん今朝の上司たちの
「え? これからお出かけですか? いえ、那臣さんとカフェデートとはとてもとても魅力的なお誘いでして、むしろ大歓迎というかちょっとお洒落してきますのでお待ちくださいと言いたいところなのですが」
「勘違いするな、デートとか誰も言ってねえぞ。いきなり交番もなんだから、ちょっと話を……」
どうにもこの少女の会話のテンポに引きずられる。なるべく重々しく話を遮ろうと試みるが、みはやのたたみかける言葉の、あまりの速さに遅れを取ってしまう。
「ですから美味しいご飯でも食べながらちょっとお話しませんか? 那臣さん。那臣さんの好物ばかり作ってお待ちしてたんですよ?
冷めちゃったら、炊きたてほかほかご飯とじゃがいもと玉ねぎのお味噌汁と、完璧火加減で
「それは……」
初対面であるはずのみはやに、大好物である和食ラインナップを完全に知られているのは何故だ。そしてそんな疑問が浮かぶ余裕も無くすほど魅惑的な匂いが、空の胃袋をこれでもかと刺激してくる。
それより何より、旨そうな飯を旨いままの温度で頂かないのは非常にもったいないことだ。食材にも作ってくれた人にも礼を失する。幼少時から
「それにですね、現在、時刻は午後六時十分ではありますが、すでにとっぷりと日が暮れて、お外はキケンな
暗い路地から悪いおじさんが美少女みはやちゃんに手を伸ばし、引きずりこまれたりしないでしょうか……愚連な
ねえ? 保護者那臣さん?」
未成年者の夜遊びに厳しい、そして女性の夜間外出に過保護な、古き良き頑固親父気質を見事に突かれて、那臣はうっかり白旗を揚げてしまった。
そしていったん降伏、もといみはやの部屋滞在を許可してしまった那臣に対して、みはやは容赦しなかった。棚に並べた愛読書に片っ端から絶妙な感想戦を仕掛けられたら、本好きたるもの応戦せざるを得ない。
気付けば、初対面の女子中学生に一夜の宿を提供するという、警察官としても一般成人男性としても、完全アウトなハメに陥っていたという訳だった……。
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