第5話
「おはよう」
「うわ、出た」
「そろそろ慣れてもよくない?」
登校してきたばかりの柳田くんは小さく笑いながら後ろの席に座った。慣れるわけない。
私はやっぱりまだ自分から話しかけることができていなかった。下手なこと言っちゃうかもしれないし。彼の機嫌を損ねたくない。
そこでふと昨日の舞子の話が蘇った。そうか、とようやく気付く。
私はこわかったんだ。
変な話をして彼に嫌われるのがこわい。彼を失うのがこわい。それは彼にだけじゃなく、関わる人全員に対してそうだ。
私は誰にも嫌われたくなかった。
だから私はいつも相手の正解になろうとする。その人に合わせたカスタムタイプを作って纏う。それは私にとって鎧のようなものかもしれない。
けれど、それは悪いことだろうか。
相手にとっては居心地が良く、私自身にも無理がないのであれば、不幸な人はどこにもいない。むしろ良いことなんじゃないかとすら思えてくる。
……でも、じゃあなんで。
なんで私はこんなにもやもやしてるんだろう。
***
「どうよ、青春の調子は」
「どうって別に何もないけど」
「なーんだつまんない。告白とかしないの?」
「告白かあ……」
私は自販機で買った緑茶オレのパックを机に置いた。今日も窓の外は良く晴れていて、グラウンドでは大勢の生徒がサッカーをしている。あそこに彼もいるんだろうか。
「ま、どっちでもいいけどね」
「なにそれ適当」
「だってほんとだもん。好きだから告白しなきゃとか、そんなのないよ。あたし的には告白してもらったほうが楽しいけど」
「でも舞子は告白したことあるんだよね?」
「まあね。あたしはしたかったから」
舞子はストローに口をつける。ピーチミルクが白いストローの中を上っていくのが見えた。その水面が唇に到達したのを確認してから、私は尋ねる。
「告白はこわいのに?」
「うん。あたし欲張りだからさ、自分が好きなだけじゃ満足できなかったんだよね」
ストローから口を離して、片肘を机の上につきながら彼女は話し続ける。私は舞子の顔を見るが目は合わない。
彼女は窓の外を見ていた。そこに過去の自分が投影されているかのように。
「あたしのことも好きになってほしかった。両想いになりたかった。もっと一緒にいたかったし、向こうにもそう思ってほしかった」
過去形の想いを並べてから、彼女は口の端に苦笑を零した。艶やかな唇に微かな光が乗る。
「だから告白したの。それだけ」
「告白すれば想ってくれる?」
「そんなのわかんないよ。でも言わなきゃ可能性はない。それと」
舞子はそこで一度言葉を切った。私の目を見る。
そして、これ以上幸せなことはないと言わんばかりの甘い笑みを浮かべた。
「少なくともその間は、あたしだけを見てくれるよ」
ピーチミルクを持ち上げて、舞子は自分の話にピリオドを打つ。
彼女の言葉は不思議なほどに、すとん、と心地よく落ちた。そしてそれは私の中にじわりと広がっていき、胸にわだかまっていたものを晴らしていく。
……そっか。
やっぱり私は、羨ましかったんだ。
「……舞子」
「なーに」
力の抜けた声で返事する親友。窓の外を見れば、まだ微かに花を散らせる桜が見えた。傍にはもう誰も立っていない。
私は緑茶オレを一口飲む。
そして小さく息を吸って、覚悟を決めた。
「デコピンして。思いっきり」
ずぞ、と不細工な音が教室に響いた。彼女の持つピーチミルクのパックが無残に潰れている。
喉を鳴らした舞子はおかしなものを見るように眉間に皺を寄せた。
「え、なんで?」
「強くなりたいから」
「意味わかんないんだけど」
「答え合わせしたいの」
「どういうことよ」
「いいから」
お願い、と私が手を合わせると、彼女は「ええ……?」と困ったように眉を寄せる。
そして少しの間黙ってから、はあ、とひとつため息をついた。
「……ま、親友の頼みなら仕方ないね」
舞子は覚悟を決めた目で私を見る。手に持ったままの潰れたパックを机に置いた。
「とっておきをお見舞いしてやるよ」
「よしこい!」
私はそう叫んで、前髪を掻き上げる。
舞子は右手を持ち上げた。その指が暴走する力の解放を今か今かと待ちわびるようにぶるぶると震えている。
さすが我が親友。手加減ひとつする気はなさそうだ。絶対痛い。超痛い。湧き上がりそうになる恐怖を噛み殺すように歯を食いしばる。
でも、これくらいしなきゃね。
私はぎゅっと目を瞑る。
暗闇に彼の顔が浮かんだ。
いつか私は彼の正解になれると思う。なりたいとも思ってる。
でも心のどこかでは、それじゃ足りない自分がいた。
私が彼の正解になるんじゃなくて、彼の正解が私だったとしたら。
それはどんなに嬉しいんだろうって思っちゃうんだ。
と、いうわけで――。
「いくぞーっ!」
「こーいっ!」
――死んじゃえ、臆病者のカスタムタイプ。
ばちーん、と派手な音が、閉じた目蓋の裏で桜のように舞い散った。
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