第2話 王国週報 “風の声”

 大陸のほぼ東半分を支配するアメリア連合王国の諸都市間は、目に見えぬ糸でつながっている。都市や街を縦横につなぐこの糸は、クモの巣のように整然と編まれ”はざまの網”と呼ばれる特殊な通信網を形成していた。

 その原型は二十年前。魔王の軍勢との戦争の最中に考案された戦術情報共有連環という、魔術師たちの手による大規模な工芸品アーティファクトである。

 

 戦時中は秘匿性が高く安全な連絡網として活躍し、戦後は徐々に民間向けにも開放が始まっていた。

 

 王国週報”風の声”が、まさにそうであった。

 

 こちらの大本は王都と地方の大商人が商用に利用していたのだが、情報は金になると気付いた彼らが、王国内のニュースを取り扱うために立ち上げた組織だ。

 ”風の声”は王国の各都市や、地方の中枢になる街で見聞きする事ができる。週に一度その内容が更新されるので、王国週報だ。

 

 街の中央には大概、開けた場所があって、お触書などが掲げられる公共の場になっている。触書が張られた板が掲げられた様から、高札場などと呼ばれているが、ここに”間の網”の受信機も置かれていた。

 それは光の諸神のいずれかの像であったり、戦時中の英雄像だったりするが、受信機の要は像が抱いたり掲げたりしている大きなガラス玉だ。

 ここから日に数回……朝昼夕に、午後と夜にニュース映像が放映される。ニュアンスとしては公民館にカラーテレビがあった時代、だろうか。

 

 ちょうど今、技芸の女神が両腕を絡ますようにして掲げたガラス玉が輝やいて――”間の網”からの情報を映し出す単能の魔法道具だ――高札場の宙空に”風の声”が配信されている。

 石造りの都市に開けた公共スペースに人々が集まり、あるいは目抜き通りにも近いので道行く人が足を止め、あるいは近隣の家々の窓から顔を出して、その映像を興味津々と見ていた。

 

 煌びやかに着飾った吟遊詩人がその週の王の動静や新たなお触れを伝え、議会や騎士団、諸神の大神殿と言った王国民にとっての公的機関からの通達が行われる。お堅い政府広報だろうか。かと思えば王都周辺の事件や、些細な出来事に、迷宮を探索する冒険者の活躍、王都のわんこ・にゃんこの話題。

 そして王都で流行している、らしい、商品や衣服に、それを取り扱っている商会――”風の声”の協賛商会のダイレクトマーケティング。

 最後に語りの吟遊詩人が短い歌謡を披露する。


 聴衆は王都の流行とはそういうモノかと感心し、歌謡に聞き惚れた。長距離の旅行は、まだ一般的でない時代だ。遠隔地での出来事は、話だけでも価値ある娯楽になった。

 それから吟遊詩人が変わり、別の地方の出来事が語られると、再び目を輝かせて映像に没頭する。

 我々の感覚で言うなら15~20分程度。街の多くの人々が仕事の手を休める、憩いの時間だ。


 おりしも最後のニュースは、この辺りで起こった事変だった。

 張りのある声の女吟遊詩人の姿が宙に浮かぶと、集まった人々の一角から野太くも黄色い歓声があがった。ファン、というやつだろうか。気の強そうな切れ長の瞳に、流れるような金髪は、確かに思わず従いたくなる人も出るのだろう、と納得する美貌だ。

 そして彼女の隣に投影された画像は、アーヤが記録した、あの礼拝堂だった。


「半年前に発覚したカナル村の奇病ですが、先日、全ての村民の皆さんが地母神の施療院に移されました。翠玉の塔から派遣された魔術師による調査団によりますと、蓄積性の魔力中毒による呼吸器系疾患と診断され、今も治療を受けています」


「更にカナル村に隣接する湖の底から、魔法金属であるミスリルを含む多量の鉱石が沈んでいるのが発見されており、調査団は飲用水経由での魔力の過剰な供給状態が続いたことが、症状の原因であると推測しています」


「ミスリルを含む鉱石は周辺の山肌が崩落した際に混入した自然由来の可能性が高く、『避けることの難しい、偶発的な事故だった』との見解を出しています。

 以上、皆様の歌姫、水樹すいじゅのナナリーがお伝えしました。続いてわたしの新曲――」




 地方都市ピットブルクにある王国週報地方支局の自分のデスクで、アーヤ・カーソンは昼の”風の声”を耳にしながら柳眉を寄せて唸り声をあげていた。


 支局、と言ってもウナギの寝床じみた狭い部屋に、安い合成木材の机と、クッションで誤魔化した硬い椅子に、あとは低質紙をファイリングした資料が並んだ書棚があるくらいで、以前、物置であった頃と実情は変わっていなさそうだ。

 編集長の怒声が飛ぶとか、隅っこで連載作家が膝を抱えてすすり泣いてるとかはなく、むしろ部屋には彼女一人だった。もっと言うなら、その元物置は目抜き通りに面したレンガ造りの二階建ての大きな建屋にあり、入口には冒険者ギルドの看板が下がっていた。


 ピットブルク支局とは冒険者ギルドに間借りしている、実働一名の弱小支局であった。

 まぁアメリア中の支局を見て回れば、何処も似たようなモノらしいので、特に疎外感はない。

 それではどうやって週報が出来上がっているのかと疑問も湧くが、アーヤの仕事は記事と情報ソースと関連資料を王都の本局へ”間の網”でもって送信する事で、読み上げる吟遊詩人の手配や映像記録は本局で行われているので特段の問題はない。


 地方特配員のお仕事はネタ探しであり、それをどう王国週報で流すか、最終決定権は本局にあった。だから本局勤務より給金や待遇は低いし、本局編集部から指示が飛べば、今の仕事など放り投げて取材に行く。地方の取材用に準備された鉄砲玉と言われれば、そうなのかも知れない。

 そこはかとなく黒い《ブラック》な雰囲気が漂ってくるが、彼女が乙女にあるまじき唸り声を発しているのも、その本局からの依頼=命令のせいだった。


 湖畔の村――カナル村の奇病騒ぎは、人々の興味を大いに惹いた。

 自分たちとは縁の無い、遠い山間部での悲劇。更に日頃から何かと規則に口うるさい、光明神の神殿の手落ち。野次馬根性を丸出しな人々は騒ぎの深堀りを求め、王都の本局も追加取材を指示してきた。


 とはいえ、アーヤは所詮は齢十八の小娘であるからして、病だか呪いだか毒だか解らない長期バッドステータスの原因探しなど、専門性が高すぎる。色々やってはみたがアプローチの糸口にもならず、今では唸り声をあげるだけになってしまった。

 おりしも、この悩める乙女の部屋なのか、不機嫌なドラゴンの巣なのか判らん所を訪ねる者があった。控えめなノックが三回、しかし返事を待つでもなくドアが開かれると、明るい橙色の髪をアップにまとめた、大人びた風貌の乙女が入ってくる。


「アーヤ、下のゴロツキどもがヒケたから、食事にいきま……って、なに女の子が出しちゃいけない声出してんの?!」


「コニー~~~~~……何が判らないか解らないの!!」


「うん、哲学かな?よし、とりあえず、ごはん行こう。それがいい」


 冒険者ギルドの受付嬢の一人、コニーは下町育ちのきっぷの良さで、今日も掲示板に依頼が張り出されるや飛びついて来る食い詰め冒険者どもを捌き切ったところである。

 彼女に腕を引っ掴まれて連れ出され、一路、昼食へ。

 もっとも、うら若い乙女二人が目抜き通りのお洒落なカフェへ、という段取りではない。


 はたして幻想文学にお洒落なカフェがあるのか、と言うそもそも論もあるが、この世界にはその程度の喫茶文化はあった。が、ここでは目抜き通りの賑わいを当て込んだ、少々値が張る店だ。普段使いする店ではない。

 彼女たちが向かったのは、通りを一本、裏に入った処にある、庶民的な店だった。


 コニーは棒パン《バゲット》を大きく切ったやつに、淡水生の爪が大きなエビの身を揚げたのを挟んだのを食べている。ニンニクなどの香味野菜と香辛料を利かせたソースが利いていた。


 アーヤの方はいわゆる定食で、塩漬けして発酵させた刻み菜と塩漬け豚肉を一緒に煮たやつと、ふかし芋に茹でた腸詰めが一皿にのったボリューミーなやつだ。

 発酵野菜の煮物は独特の匂いとコクが出るので、都会っ子のコニーは苦手なのか、呆れた顔をした。


「よく食べてるわね、それ……」


「うん、ウチの田舎を思い出す味なんだ」


 アーヤは肉と野菜をフォークに刺すと、中々の大口に放り込む。

 もとは戦争中に保存食を茹でたものをまとめて皿に盛ったのを開戦皿と呼んだとか、田舎で冬を前に豚をしめて保存食にする際に、日持ちのしない部位をまとめて茹でて皿に盛った屠殺皿というハレの日の食べ物だとか、諸説あるが、いずれにせよコニーには雑メシで、アーヤには故郷の味なのだろう。

 皿の上にこんもり盛られた肉とクタ野菜を結構な速度で胃に流し込んだアーヤは、柑橘の皮で香りづけした水で口の中を洗い流し、人心地ついた。


「はぁ、塩気と脂が火照った頭に沁みるわ」


 大丈夫なんだろうか、それ。コニーは職場で出来た友人の言動を訝しみつつ、先刻の唸り声の事を尋ねてみた。


「で、さっきのは何だったの?」


「編集部からカナル村の追加調査をしろって言われてるんだけど、何をどうすれば良いのやらで……」


「あぁー……光明神の神殿にでも突撃取材してみたら?神殿の怠慢をあばく、とか」


「やめてよー、今ですらあそこの神官さんたち、街で擦れ違うと舌打ちする人がいるんだから!」


「ありゃりゃ、じゃあ翠玉の塔の調査団に話を聞きに行くとか」


 コニーは気軽に言うと、街の山の手に立つ深緑色の塔を指さす。

 魔術師たちの研究機関にして学校でもある翠玉の塔はピットブルク名物の一つだ。王都の魔法大学校にある時の塔は別格としても、地方都市には破格の施設だった。

 翠玉の塔にはカナル村を調査した者もいるだろうが、アーヤはここでも渋面をつくり、


「もう取材に行ったけど、専門用語ばっかりでチンプンカンプン。こっちは山出しの田舎者ですっての。学校なんて上等なもの、神殿の青空教室が精々なんだから!おまけにあの人達、話を聞いてたらケンカ始めるんだから。自然界におけるミスリルの存在状態も判らないのに自然由来と断言できない、とか何とか言い始めた人がいてね……そうしたら他の人が、教授の決定に異を唱えるのかー、って」


「うーん、派閥争いの匂い。触らぬ神に祟りなし!あ、でもミスリルで思い出したわ」


 コニーは言葉を切ると、付け合わせの揚げ芋をつまみながら、


「最近、うちのギルド内で活動してる風変りな冒険者がね、鉱石屋とか呼ばれてるんだわ。鉄とか銅とかの鉱石を拾ってくるから、そういうの、詳しいんじゃないかな?」


「市井の専門家、良いかも!ギルドの一階で張ってたら会えるかな」


「あ、その人、あんまりギルドに現れないんだよね。たまに依頼品の納品に来るけれど、魔物の駆除は殆どやってないみたいで……他の冒険者の話じゃ、毎日、浅い層の壁際で金目の物を拾ってるとか」


 コニーの揚げ芋がピットブルクのダウンタウンの方を指した。

 アーヤもそちらに目をやると、難儀そうに目を細める。

 下町の外れには石壁で覆われた区画がある。そここそ冒険者のメインの仕事場の一つである――


「迷宮かぁ……」


 アーヤはまた唸り声をあげた。


~ ~ ~ ~


 迷宮とは戦時中に魔王軍が大陸の人類領域に対して使用した、生物環境兵器の成れの果てである。

 生物と自然環境に著しく、そして不可逆的な変化を強いて、更には周辺の万物の根源たるマナを歪め、人間種の生存を困難にする。恐るべき仕業だった。


 迷宮は闇の諸神の眷属――魔物モンスターを吐き出し続け、人間社会を疲弊させた。そして戦後も変わらず脅威であったのだが、国軍は魔王軍との戦争で疲弊しており、民衆の中から武装した者が出て、これに対抗した。

やがて彼らを支援する商家や地方の有力者が結託し、彼らを組織的に運用し始める。

 冒険者と、そのギルドの始まりだ。


 戦後二十年。大陸各地に『撃ち込まれた』迷宮は徐々に踏破・破壊されてはいるが、まだまだ冒険者の仕事は終わらない。

 なにしろ、迷宮はピットブルクのような都市にも、我関せずと存在する。


 石壁などで囲ってモンスターの流出を抑えてはいるが、街からの大規模な人口流出は起こった。迷宮発生当時には激しい戦闘があって街の一部が更地になり、住民が物理的に減少したのだ。後年、そこに冒険者ギルドや彼らを支援する職工がやって来て、現在のダウンタウンを形成した。

 では此処は今もって人類領域の最前線なのか、と改めて問われると、そうでもないのが実情だった。

 

 迷宮からはそれなりの富も得られるので、冒険者たちは命を掛け金に、勇んで危険に足を踏み入れる。そのお零れに与ろうと、種々雑多な人々も湧いて来る。迷宮の最寄りの街は、そういうちょっと荒んだ、負の活況があった。

 アーヤとしてもそういう場所に、準備無しで入ろうとは思わない。しかし冒険者ギルドの一階で、いつ現れるとも判らない鉱石屋氏を待つという選択もない。

 二階の物置……支局に戻ると、自席の足下に置いてあった木箱から、色々と道具を取り出してデスクに広げる。


 あの、音や風景を記録した、小さな水晶が付いたステッキがゴロゴロと転がった。

数えてみれば二十本はある。“風の声”支局の備品と考えると、けっこうな量だ。良く見ると、握りの端っこが赤や青で色分けされている。どうも用途が違うようだった。


「これが【着火】、こっちは【発炎】……【持続光】に、念のため【閃光】も」


 用途の確認を行いながら、持ち出すステッキを選別する。やはりレコーダーやカメラのように、何らかの単一の機能があるらしい。


 便利な魔法の道具マジックアイテムという物は存在した。


 中の食べ物が長持ちする小箱だとか、意志を強くする指輪だとか、足音がたたなくなる靴だとか。

 皆、魔術師が一種類の魔術に専門化させて、永続化させた、単一の魔術を発動させる器具だった。それは大多数の魔術を使えない人々にとっての、高価で便利な道具であったが、戦時中は何しろ数が必要だったので低性能な大量量産品もあった。

 アーヤのステッキの数々も、全く飾り気のない見た目から、似たような雰囲気が漂っている。


 ジャラジャラと音をさせて多数のステッキを雑嚢ポーチへ詰め、それからもう一つ、腰用の雑嚢ポーチを木箱から取り出す。

 そっちには軽金属性の食器に、薬草成分を含んだガーゼと包帯などをまとめた応急処置セット、手拭いなどの雑用布類に石鹸などが詰め込んであって、ちょっとした強行軍にも直ぐに出られるよう準備してあった。

 そこへデスクの上の、布のおやつ袋――ナッツと干したイチジク、を混ぜてやれば非常食も完璧だ。コニーには気味悪がられるが、動物の内臓を縫い合わせた水袋も用意する。


 衣服はカナル村の時と同じ、旅用の厚手の服に、皮ベスト。更に布のマントも上に羽織る。それだけでも体のラインが隠れるので回避効果を期待できるし、野営の際に布団替わりになる。率先して野営をしたい訳ではないが。


 最後に居住まいを正して木箱から取り出したのは、革の鞘に収まった大ぶりなナイフだ。彼女の郷里で十二歳を迎えた子供に与えられる、早熟になりやすい田舎での一人前の証だった。

 鍔はなく、細い革紐を巻いた質素な柄と言い、飾り気は全くない。鞘から察せられる刃渡りは30センチ――に相当するこの世界の単位――はある。

 鹿や猪と言った身近な獣でも、人の身の丈と同じくらいの大型となると、それくらいの刃渡りがないと心臓に届かない。おそらくこの世界でも、同じような設計思想で打たれているのだろう。

 

 まぁアーヤもそのような物騒な目的だけで刃物を持ち出すわけではない。山にせよ迷宮にせよ、何かと雑用に刃物の力を借りるケースは多いのだ。

 しかし護身用という用途と、そうなる可能性だけは肝に銘じておく。

 

 アーヤは町娘からたちまち冒険者に転身すると、足取り軽くギルドの一階へ降りてゆく。

 

 午前のラッシュを終えた一階は閑散としていた。それなりの広さのあるエントランスなので、人気がないと殺風景だ。壁には依頼の書かれた紙が張り出される掲示板や、各種注意事項やら講習会やらの案内が書かれたポスターがあるが、齧り付くように見る冒険者も今はいない。

 もっとも、夕刻が近づけば依頼や駆除を終えた彼らが、報酬を求めて帰ってくるだろう。

 

 カウンターの向こうの受付嬢が三名、依頼の事後処理などの整理をダレた雰囲気でしているのも、それまでの小休止みたいなものだ。

 そこへ軽武装したアーヤが降りてきたのだから、受付嬢の一人であるコニーは目を丸くした。


「ちょ、ちょっと!ドコ行くつもり?!」


「うん、迷宮に、鉱石屋さんを探しにね」


「明日で良けりゃ、帰って来た冒険者連中に聞いておくよ?」


「それだと午後は丸々、暇しちゃうから」


「……なんでそんなトコばっか、思い切りが良いのかしらね」


「そんな風だから、記者なんてやってるんだよ」


 アーヤの物言いにコニーは小さく溜息をつくと、手をパタパタと振るう。


「了解、気をつけて行ってきな」


 コニーは諦め半分で友人を送り出す。これが魔王の支配域とかなら何としてでも止めるが、ピットブルクの迷宮の最上層ならば、下町の薬屋だって冒険者資格を取って薬草を探しに行く場所だ。


 アーヤ自身、記者の見習いの頃は、生活費稼ぎに同じ事をしている。まだ看過できる危険……の筈だ。

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