第二部

第46話:ベーコンエッグマフィン

 国王さまの手紙が届いてから、三週間が経つ頃。


 本格的に寒くなり始めたベールヌイの地では、防寒具を着ないと外に出かけられないほど冷え込んでいた。


 息を吐くと白く、指先が凍るように冷たい。霜が降りる光景も当たり前のようになっていた。


 しかし、屋敷の中はそんな寒さを感じさせないほどワイワイと賑わっている。毎日リクさんの朝ごはんを食べるために、みんなが勢いよく飛び起きてくるのだ。


 もちろん、一番楽しみにしている私は、すでにお行儀よく席についている。


「今朝は一段と冷える。温かいうちに食べてくれ」


 そう言ってリクさんが出してくれたのは、ボリュームのあるベーコンエッグマフィンと、マノンさんが作ったと思われるカボチャのポタージュだった。


 上から見なくてもわかるほどはみ出る玉子に、新鮮なシャキシャキレタス、そして、カリッカリに焼いたベーコン。そこに添えられたアツアツのポタージュを見れば、最高の朝ごはんだと言える。


 私はなんて贅沢な生活しているんだろうか。起床してすぐに温かいごはんが食べられるだけでも嬉しいのに、こんなにも豪華なものを用意されてしまっては、頬を緩めずにはいられない。


「いただきまーす」


 精神を食欲に支配された私は、勢いよくマフィンにかぶりつく。


 モッチリとしたマフィンと玉子が濃厚な味わいを出しつつも、シャキッとしたレタスでサッパリとして、おいしい。カリカリとしたベーコンが良いアクセントになり、肉の旨味が合わさって、満足感をプラスしてくれる。


 食べる前からおいしいとわかっていたけど、はぁ~……。これが幸せというもので間違いない。


「朝から激うまですね。寒い朝でも飛び起きたくなるおいしさです」

「そこまで大袈裟なのは、レーネくらいだぞ」


 ちょっぴり照れたリクさんが否定するが、そんなことはない。向かい合って座る亀爺さまが、珍しくパクパクと食べているので、相当おいしいんだと思う。


「して、ワシの朝ごはんはまだかのぉ?」


 それはもう、食べたはずの朝ごはんをとぼけた顔で要求してしまうほどに。


「亀爺さま。口元を拭き忘れていますよ」

「しもた!」


 ナプキンで口元を拭いた後、もう一度朝ごはんをねだる亀爺さまを余所に、私はカボチャのポタージュを口にした。


 口の中に入った瞬間、カボチャの深い味わいが舌に押し寄せると共に、豊かな香りが鼻に抜けていく。スイート野菜を使用しているため、甘みが強いにもかかわらず、後味はサッパリしていた。


 残しておいたパンにポタージュを付けて食べるのも、またおいしい。


 やっぱりこのポタージュは、マノンさんが作ったものみたいだ。裏庭でスイート野菜を収穫している時に、何度かいただいた味にそっくりだった。


 サササッとやってきたマノンさんが、リクさんに対抗するように胸を張っているので、間違いない。


「やはりライオンこそが王者。リクを料理人の地位から落とす日も近い」

「マノンにはまだ早い。いや、俺は領主だがな」


 どうにもライオンのプライドが刺激されたみたいで、マノンさんはリクさんの地位を奪おうとしているみたいだ。


 家臣を料理で労う文化があるこの地では、おいしい料理を作れることが、上に立つ者の絶対条件となっている。それゆえに、リクさんを料理人の地位から落とそうとしていると思うんだけど……。


 領主の地位ではなく、料理人の地位を狙うあたり、たぶんよくわかっていないと思う。


 因縁のライバルと出会ったかのように、がおーーっと睨みを利かせるマノンさんだが……。リクさんが朝ごはんのベーコンエッグマフィンを手渡すと、すんなりと身を引いた。


 席に座ってお行儀よく食べ始めると、マノンさんの頬はすぐにだらしなく緩む。とても幸せそうな笑みを見せているので、彼女がリクさんに勝つ日は、まだまだ先のことだと悟った。


 そんな光景が何気ないように感じるが、いつもこんなに落ち着いた雰囲気ではない。


「今日は朝の肉争奪戦はやらないんですね」


 毎朝、用意された肉を好きなだけ奪い合う肉食系獣人たちが、大人しくベーコンエッグマフィンを食べている。


 こんなに落ち着いた朝ごはんをいただくのは、私が嫁いできてから初めてのことだった。


「本当はやってやりたいんだが、少し環境が変わっていてな。街の近くまでやってくる魔物が減少したんだ。その影響が顕著に表れる前に、一時的に中断している」

「なるほど。平和なのは喜ばしいことですが、それはそれで食欲旺盛な皆さんには困りますね」

「どちらかと言えば、こういう場合は危険の前触れだ。突出した魔物が群れを作り、勢力を広げている時に起きやすい。今、ジャックスが偵察部隊を連れて様子を見に行っているが、どうなることやら」


 そんなことを話していると、険しい顔をしたジャックスさんが食堂にやってくる。


「ダンナ、悪い知らせだ。ミノタウロスが住み処を作り、繁殖してやがった」

「やっぱりか……」


 リクさんが大きなため息を吐いているので、状況は好ましくないんだろう。ただ、平和な地域に住んでいた私には、それだけ聞いてもうまく状況が理解できない。


 そのため、恐る恐る手をあげてみると、ジャックスさんと目があった。


「あの~、ミノタウロスと言うのはなんでしょうか?」

「俺に似た牛の化け物だな。獰猛で禍々しい分、群れを作られると厄介な魔物だ」

「つまり、ジャックスさんが分身したと考えたら、わかりやすいということですね」

「言っておくが、ミノタウロスは俺よりもデゲェぜ。顔の怖さだけは、俺が勝っているかもしれないがな」


 そこに自信があるのはどうかと思うけど……。ジャックスさんよりも大きいとなれば、二メートルは越える牛の化け物になるだろう。


 それが繁殖して増えていると思うと、さすがに背筋がゾッとした。


「魔物の被害が多い地域だと聞いていましたが、大変なことになりましたね。まさかそんな危険な魔物が住み着いてしまうなんて」

「嬢ちゃんが心配することはねえよ。俺はミノタウロスが危険だなんて、一言も言ってねえぜ?」


 ジャックスさんの言葉に疑問を思った私は、周囲を見渡してみる。すると、朝ごはんの肉争奪戦ができなかった獣人たちが目をギラギラとさせ、嬉しそうに笑みをこぼしていた。


 これで肉にありつけるぜ、と言わんばかりによだれを垂らしながら。


「ダンナが親玉を押さえてくれれば、あっという間に食糧庫がパンパンになるだけさ。だが、肝心のダンナの方に問題がある」

「あぁー……魔獣化の件ですね」


 ヒールライトの魔力が魔獣の血を抑えているとはいえ、どこまで効果があるのかは、まだ詳しくわかっていない。何日も遠征に出かければ、魔獣の血が再び暴走する可能性があるだろう。


 あくまで抑えているだけであって、魔獣化を治療したわけではないのだから。


 リクさんも同じ考えなのか、自分の両手を見つめて、不安そうな表情を浮かべている。


「今のところ問題はない。だが、戦闘で興奮状態に陥った場合、どうなるかは別の話だ。魔獣化の暴走も視野に入れておくべきだろう」


 用心するに越したことはないけど、本人がわからないのであれば、どうしようもない。


 一応、魔獣化の暴走が近くなると毛並みが変わるみたいなので、私はリクさんの尻尾を調べてみることにした。


「もう少し自分の体を知る時間が欲しかったな」

「毛並み的には大丈夫そうですけど」


 銀色の毛がモフモフしているだけで、金色の毛は見えない。魔獣の血はだいぶ落ち着いているような気がするけど……、油断は禁物だ。


「屋敷の裏庭にヒールライトが栽培されている影響も大きいんだろうな。この屋敷で生活している間は、魔獣の血が落ち着くようになった気がする」

「そうですか。一応、乾燥したヒールライトを持って遠征に行かれますか? お湯に溶かして飲めば、多少なりとも効果はあると思います」

「頼む」

「では、一週間ほど時間をください。魔力の豊富なものを厳選して、乾燥させておきます」


 リクさんが頷くところを見て、私は薬草菜園へ向かう。


「ミノタウロスの力を増大させてしまうが、魔獣化が暴走した方が被害は大きい。討伐に向かうのは、一週間後だ。各自、それまでに万全の準備をしておけ」


 このまま平和が続いてほしいと願いながら。

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