第10話:ホカホカ肉まん

 小さな手でユサユサと体を揺らされ、私は目を覚ました。


「奥方、おはよう」

「へっ? もう朝?」


 爽やかな日が差し込む窓の景色を見て、気がつけば朝になっていたことを自覚する。


 どうやらマノンさんにマッサージされたまま、熟睡していたらしい。あまりにも心地よかったから、夢を見ることもなく、一瞬で朝を迎えていた。


「奥方、早く着替えよう。朝ごはんに遅れる」

「朝ごはん……!」


 昨夜、夜ごはんを食べ損ねていることを瞬時に理解した私の行動は早い。


 マノンさんの指示に従い、用意してくれたオシャレなワンピースに素早く着替える。しかし、すぐに問題が発生した。


 年頃の女の子が着るような服が似合わないとか、着たい服がないとかいう問題ではない。単純に服のサイズが合わず、肩紐がすぐに落ちてくるのだ。


 無駄にセクシー……と言いたいところだが、痩せすぎた体型では、それすらもなかった。


「奥方、痩せすぎ」

「すいません。普段着くらいは用意してくるべきだったんですが……」

「ひとまず肩紐を結んで、長さを調整しよう。朝ごはんに遅れる」

「由々しき事態ですね。それでお願いします」


 応急処置をしてもらった後、急いでマノンさんに連れられて、広々としたダイニングにやってくると、そこはもう……戦場になっていた。


「俺の肉を取るんじゃねえ!」

「名前書いてねえだろ! あっ、それは俺が狙っていた肉だぞ!」

「フォークで追撃するな! もう肉は俺の皿の上にある」


 テーブルの上に置かれた肉の山を奪い合うようにして、大勢の獣人が一心不乱に朝ごはんを食べている。


 貴族という言葉が似合わないほど、醜い争いをしながら。


 あれ? ここは公爵家の屋敷だよね? 街の酒場じゃ……ないよね?


「しまった。もう始まっている」

「えっ? あの肉の奪い合いのこと、ですか?」

「うん。毎朝、大量の肉がテーブルに置かれて、好きなだけ食べることができる。でも、おかわりはない」

「あぁー……だから、みんなで必死に奪い合っているんですね」


 あえて、この光景を一言で表すのであれば『弱肉強食』である。


「じゃあ、奥方は向こうに行くといい。私はこっち」

「えっ? ちょっと、マノンさん?」


 タタタッと駆けていったマノンさんは、肉の山を奪い合うテーブルの席につき、急いで食事を始めた。


「……」


 黙々と手を伸ばし、ハムハムと肉を食べまくるマノンさんは、意外に大食いなのかもしれない。


 昨日「一緒に食事を楽しまないと、家族になった気がしない」と言われたが、アレに混ざるのはさすがに難しいだろう。肉を取ろうとして吹き飛ばされ、怪我するのが関の山だ。


 どうしよう。マノンさんが指で差してくれた方向には、静かに食べている人もいるけど、どこに座ったらいいのかわからないし……。


 不安になってキョロキョロしながら立ち尽くしていると、リクさんが近づいてくる。


「レーネはこっちだ」

「えっ? あっ、はい」


 リクさんについていくと、マノンさんが指で差していた静かなテーブルに案内してくれた。


 席に座ると、向かいには甲羅を背負った亀のお爺さん獣人がいて、周りには侍女の制服に身を包むヤギや羊の獣人がお淑やかに食事をしている。


 その手に持っているものは、片手では収まりきらないほど大きい肉まんだった。


 どうやらガツガツ食べる肉食系タイプと、ゆったりと過ごす草食系タイプで分かれて食事をしているらしい。


 亀のお爺さんがモグ……モグ……とゆっくり咀嚼し、ヤギや羊の獣人さんが小さな口を開け『は~むっ』と頬張っている。


 その奥では「俺が先にフォークで差した肉だぞ!」「いーや、俺だ!」と言い争うトラの獣人がいるので、その温度差に驚いてしまう。


 賑やかな食事のような、静かな食事のような……と考えていると、リクさんが私の分の肉まんを持ってきてくれた。


「足りなかったら言ってくれ」

「いえ、十分です」


 八年間も貧相な食事をしてきた私にとっては、とんでもないご馳走である。


 早速、両手で肉まんを手に持ち、勢いよく頬張る。すると、餡の香り豊かな蒸気に襲われ、幸せな気持ちになった。


 ふんわりとした生地に、優しい味付けがされた餡。ゴロッとした肉はもちろん、タケノコの歯応えがたまらない。


「むふふふ」

「相変わらず、うまそうに食べるものだな」

「リクさんの料理はおいしいですからね。骨身に染みますよ」

「さすがに大袈裟だろう」


 ちょっぴり照れたリクさんが目を逸らすと同時に、向かいに座っていた亀のお爺さんと目が合った。


「おやおやおや。この新しい娘さんが旦那さまの奥さまかな?」

「あっ、はい。レーネ・アーネストと申します」

「ほお。どこかで見たような顔だと思ったら、アーネスト家の娘さんかい。いや~、どうりであったことがあるような……ないような?」


 そこは疑問を浮かべられても困りますよ。私の記憶にはないので、初対面だと思いますが。


 どうにも亀のお爺さんは時間の流れが遅すぎるみたいで、じっくりと考え込んでしまう。


 そのまま中途半端に会話が終わってしまったので、思わずリクさんに助けを求めると、呆れるようにため息を吐いていた。


「亀爺の話は半分聞き流した方がいいぞ。今年でニ千歳の超高齢者らしく、記憶が曖昧だ」

「ニ千歳……? この国の歴史がもうすぐ千八百年を迎えますから、それよりも長生きをしていらっしゃるんですか?」

「どうだかな。本人は建国に携わったと言っているが、確認のしようがない。昔は聡明な人物だったらしいが、今となってはな……」


 考えることをやめた亀爺さまは、大きな口を開けて、最後の一口を食べきる。ゆっくりと手を伸ばしてナプキンを取ると、口の周りを『ふき……ふき……』と、丁寧に拭いた。


「して、今日の朝ごはんはまだですかのう?」

「な? 言っただろう? 適当に相手をしてやってくれ」


 そう言って、リクさんが去っていく。


 どうやら年を重ねすぎて、物忘れが激しくなったらしい。まさか食事が終わった後に朝ごはんを催促するとは。


「奥さまや。いま手に持っている肉まんは、もしやワシのではないだろうか」

「いえ、私のです。亀爺さまは、先ほど食べていらっしゃいましたよ」

「何をおっしゃっておりますのやら。そうやって年寄り扱いをするのはやめてくだされ」

「でも、口元にまだソースが付いていますが」

「しもた! 拭き残し……ハッ!」


 リクさんが『適当に相手をしろ』と言った本当の理由がわかった気がした。物忘れを逆手に取った、新手のおかわりの方法である。


 気まずくなった亀爺さまが席を立つと同時に、隣に座っていたメイドさんに服を軽く引っ張られてしまう。


 肉を奪い合う獣人たちや亀爺様とは違い、とっても緩そうな雰囲気だった。


「奥さま、服がぶかぶか~」

「もっと食べないと~」

「私のお腹の肉あげる~」


 とてもマイペースな侍女の獣人たちを見て、私は思った。


 この屋敷だとマノンさんはしっかり者に分類されるんだな、と。

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