第7話 セカイ系エロコメ 3/5

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 二十分後、霧ヶ峰家のチャイムがならされた。

 霧ヶ峰の代わりに白雪がドアを開けると、そこには、二人の女性がいた。


 一人はピシッとしたスーツを着ている。

 いかにも『仕事出来ます』といった感じの人だ。

 以前、霧ヶ峰が鍵をなくした時に来た女性だ。


 もう一人は、ラフな服装な女性だった。

 年齢は四十代くらいで、服もラフなものを着ている。

 普通の主婦のように見えるが、彼女も研究所の職員だ。

 主に超能力者たちの生活を支援している。


 二人のうち、スーツの女性が話し始めた。


「お久しぶりです。貴方は、白雪忠さんですね?」

「はい」

「姉川から連絡を受けて参りました。私は高橋で、こちらが佐藤です。この度は、連絡をしていただきありがとうございます」

「いえ、連絡は姉川さんからあったものですし……」

「連絡がつかない状態を解消していただきました。こちらとしても、とても助かっています」


 高橋は事務的な口調で言った。

 固い印象だが、何としても礼の言葉を言うという強い意志が感じられる。


「それでは、霧ヶ峰を移送させていただきます。失礼します」


 二人は、霧ヶ峰家に遠慮なく入ってきた。

 高橋は、霧ヶ峰の引っ越しの時に来ていたから、部屋のレイアウトもよく把握している。そのため、奥の寝室までまっすぐに向かった。佐藤も、高橋の後に続いて部屋の奥に入っていく。


 佐藤と高橋は、寝室のドアを開け、霧ヶ峰のいるベッドの前まで行った。

 だが、様子がおかしい。


 二人は、目の前にいる霧ヶ峰を見ていなかった。

 部屋の中を見回し、困惑した様子で白雪に声をかける。


「あの、白雪さん」

「はい?」

「霧ヶ峰カスミは、おそらく、このベッドの上にいるのですよね?」

「はい。いますけど」

「そうですか。残念ながら、私たちに彼女の姿を認識することが出来ません」


 その一言は、白雪にショックを与えた。

 これまでは、霧ヶ峰が自分の意思で人の意識から消えていた。

 だが、今は違う。


 見られたいのに、見られることが出来ない。

 超能力の暴走。

 どこか軽く見ていたその現状を目の当たりにしてしまった。


 霧ヶ峰は、少し気まずそうにしていた。

 だが――。


「つきましては、白雪さん。貴方にご同行を願います」


 高橋がその言葉を言った瞬間、目の色が変わった。

 超能力の暴走が、白雪を同行させる大義名分となったのだ。

 人に認識されない悲しみよりも、白雪への好意が勝った。

 余裕で。一瞬で。圧倒的に。


 他方で、白雪は渋い顔をしていた。

 超能力研究所。短期間ではあるものの、白雪もそこにいたことがあった。

 それは、苦い記憶。

 超能力を無効化してしまうがゆえに、超能力者に迫害された記憶。

 白雪が超能力者とのかかわりを極力避けようとする原因は、そこで生まれた。


 だが、霧ヶ峰を見て観念する。

 彼女は、白雪に触れながら上目遣いで白雪を見つめていた。

 そんな彼女のことを放っておくことは、今の白雪には出来そうになかった。


「分かりました。行きます」


 白雪は、半ばあきらめの気持ちで言った。

 今回は非常事態だから、付き合ってやることにしよう。

 そう自分に言い聞かせながら。


 だが、研究所側の要求はこれだけにとどまらなかった。

 高橋は、あくまでも事務的な口調で告げる。


「ありがとうございます。つきましては、こちらの手錠を着用してください」


 高橋は手錠をベッドの上に置いた。

 置いたというより、投げ捨てたような動作だった。

 まるで汚らわしいもののように。


 その手錠がどれほどの本気度の物なのか。

 白雪は見当もつかなかった。

 だが、少なくともプラスチック製ではないようだ。

 一度腕に嵌めたら、そう簡単には外せないだろう。


「あの、この手錠は何のために使うものなのですか?」

「勿論、白雪さんと霧ヶ峰を繋いでおくためのものです。私たちは霧ヶ峰の姿を見ることはできませんが、白雪さんの手錠だけはなんとか認識することが出来ます。その手錠に異常がなければ、我々は安心することが出来る。そのためです」

「そうでしたか」

「はい。そういう設定になっています」

「設定!?」

「本来なら、暴れる超能力者に対して使うものです。人権的見地から実際に使用したことはありませんが。今回も、個人的にはいらないと思っていますが、とにかくそういうことになっているので、ご理解を」

「どういうこと!?」

「これについては、姉川の発案です。こちらはそれ以上のことは知らされていません。姉川は『ラブコメでありがちな展開を作り出してあげた』と言っていました」

「なんだそれ……」


 おそらく、姉川がふざけただけだ。

 そう考え、白雪は手錠に関しては拒否することにした。


 横では、高橋も不服そうな顔をしている。

 ため息までついて、今にも姉川を呪いだしそうな雰囲気だった。


 白雪は考える。

 おそらく、高橋は仕事に余計な遊び心を入れるのを嫌うタイプの人だ。

 姉川の指示に従ったら、恨みの感受がこちらにまで飛び火しかねない。


 つまり――うん、これ、素直に手錠をはめたほうが危ないな。

 白雪はそう判断した。


 だが――。

 カチャ、という音が右腕のほうから聞こえた。

 まるで重りでもつけられたかのような違和感を覚える。

 白雪が見ると、霧ヶ峰が自分と白雪の腕に手錠をはめていた。


「……霧ヶ峰さん?」

「姉川さんの指示ならしかたないですよ~。合理的。悪魔のように冷徹で合理的な考え方をする人ですからね、あの人。全く冷たい人です」


 どこがだよ、と白雪は心の中でツッコミを入れる。

 ふにゃふにゃになった顔で言っても、全く説得力がない。


「あの、白雪さん。もしかして、手錠、はめられてしまいましたか?」

「……はい」


 高橋は、眉間にしわを寄せながら白雪たちを見ていた。

 認識阻害の影響を受けているため、手錠がどうなったのかも認識しづらくなっているのだ。だが、大体の状況は推測できている。彼女も伊達に超能力者たちと接してはいない。


「では、車の方に移動してください。これ、鍵です。後部座席に乗っておいてください。私たちは、こちらで少し準備を行いますので」

「分かりました」


 高橋は白雪に鍵を手渡す。

 鍵を受け取った白雪は、しゃがんで霧ヶ峰に視線の高さを合わせた。

 そして、尋ねる。


「霧ヶ峰さん。車に移動するけど、歩ける?」

「歩けません! おんぶ又はだっこをお願いします!」


 即答だった。

 これまで頭が回っていなかったのが嘘のように、霧ヶ峰は言った。

 白雪は、高橋を見る。


「申し訳ありませんが、お願いします」

「……はい」


 白雪は、いかにも「我慢する」といった様子で返事をした。

 だが、実際のところは、嫌というわけではなかった。

 むしろ役得である。

 嫌がったふりをしているのは、ポーズに過ぎない。


 問題は、どんな体制で霧ヶ峰を移動させるかだ。

 俗にいうお姫様抱っこ。あれには夢がある。

 だが、今回は止めておくことにした。手錠のせいでやりにくいうえに、階段を降りる必要があることを考えれば、重心が前の方に偏る姿勢はよくないだろう。ゆえに――。


「それじゃあ、おぶっていくよ。えっと――すいません、高橋さん。この手錠、いったん離せませんか? おぶるにしても、ちょっと大変なんですけど」

「申し訳ありませんが、鍵は預かっていません」

「……え? それじゃあ、途中でトイレに行きたくなったりしたらどうするんですか?」

「創意工夫で何とかしてください、と姉川が申していました。文句は全て姉川にお願いします」

「……はい」


 白雪は、手錠のことについては諦めた。

 姉川のことだから、その辺はなにも考えていないだろう。


「それじゃあ、霧ヶ峰さん。左腕をぼくの首に回してくれる? それで、両足でぼくの胴を挟むようにして抱き着いて」

「はい!」

「……元気じゃない?」

「いえ、そんなことはありません。ゴッホゴッホ」

「まぁ、いいけど。それじゃあ、行くよ。右手は手錠で使えないから、右足は特にしっかりぼくの胴にしがみつくようにして」

「はい、王子様!」

「何その呼称!?」


 姫と呼ばれたり王子と呼ばれたり。

 白雪には、霧ヶ峰の思考が全く読めなかった。


 そんな白雪の逡巡をよそに、霧ヶ峰は白雪の首に腕を回す。そして、体重を白雪の背中に預けた。言うまでもなく、胸の柔らかな感触が背中に伝わる。しかも、今回は風邪のせいで体温が高く、汗もかいていたことから、その感触がより生々しく感じられた。


 だが、あくまでも白雪は紳士的に振る舞う。

 紳士的なふるまいこそが、下心を隠す最良の策なのだ。

 白石は左手で霧ヶ峰の左足を支え、霧ヶ峰を負ぶった。


「それじゃあ、先に行っています」

「はい、お願いします」


 白雪は高橋に一声かけてから、車に向かった。

 玄関で靴を雑に履き、共用の廊下部分に出る。

 そして、廊下を歩いてから階段を慎重に降りる。


 耳元にかかる霧ヶ峰の吐息や、艶めかしい体温を極力意識しないようにして。

 一段一段慎重に歩いた。

 そして、駐車場にたどり着く。

 そこには『超能力研究所』とかかれた軽自動車が置かれていた。

 白雪はロックを解除すると、左のドアから霧ヶ峰を後部座席に乗せた。

 そして、霧ヶ峰を奥に詰めさせて、白雪も車に乗り込む。


 これで、一仕事終えた。

 白雪がそう思っていたら、霧ヶ峰が体を白雪の方に倒した。

 霧ヶ峰の頭が、白雪の肩に乗せられる。


「すみません。座っているのもつらい状況でして」

「それじゃあ、横になる?」

「そうですね。白雪君には申し訳ありませんが、膝枕なんぞをしていただけたら嬉しいです」

「……うん。まぁ、狭い車内だしね。横になるとしたら、そうするしかないよね」

「その通りです。まったくもってその通りです」

「それじゃあ……。どうぞ」

「失礼します」


 霧ヶ峰は、遠慮がちに白雪の腿に頭を載せた。

 なお、白雪の右手は霧ヶ峰の左手に繋がれている。そして、膝枕の体制になる際は、必然的に霧ヶ峰の左腕が、体の前の部分に出るようになる。そのため、白雪の右腕は、霧ヶ峰の体を抱きとめるような位置に収まった。不可抗力である。


 高橋たちが車に戻ったのは、その少し後だった。

 生活用品だけでなく、部屋に置いておくと腐ってしまうようなゴミまで整理していたらしい。その両手には、大き目のビニール袋を持っていた。


 車に戻ってきた高橋は、白雪たちを見た。

 白雪は呆れられるのではないかと思ったが――。


「霧ヶ峰に変わりはありませんか?」

「はい」


 高橋は、二人が今どんな状態になっているのかを認識できていなかったようだ。

 能力の暴走による弊害。

 あるいは、役得。


 白雪は、あえて膝枕状態であることは言わなかった。

 言ったところでどうにかなるものでもないだろう。

 それに、こういうどさくさにまぎれた親密行為を高橋は快く思わないはずだ。

 とりあえず、そういうことにしておいた。

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