第6話 空白補完効果と生足の関係 4/4
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霧ヶ峰さんを家に招き入れてから、どれくらいが経っただろうか。
突然、家のチャイムが押された。忘れていたが、霧ヶ峰さんは鍵をなくしたからここにいたのだ。それで、誰かに連絡を取っていたはずだ。
ちなみに、その時のぼくたちは、腕が伸びるキャラクターを操作する対戦ゲームに興じていた。実際にコントローラーを手に持ちながらパンチをすることで攻撃をするゲームだ。体を使うものなので、ぼくにも勝ち目があるのではないかと思ったのだが、霧ヶ峰さんに抜かりはなかった。こちらの攻撃は防御され、あちらからは強力なパンチや必殺技が何度も放たれる。体を使うゲームならあるいはと思ったが、やはり勝ち目はないようだ。
「まだやりますか?」
「……ちょっと休憩しよう」
「はい」
霧ヶ峰さんはゲームをして打ち解けたのか、だいぶリラックスした様子だった。実際、ぼくたちはそれなりに仲良くなれたと思う。同じ高校一年生だということが分かり、ぼくは丁寧語で話すのをやめていた。霧ヶ峰さんはまだ丁寧語のままだけど。
そんな霧ヶ峰さんは、ソファーの上に座り、仰向けになって体を伸ばしていた。
その時、ぼくはあることに気付いた。それは、霧ヶ峰がパジャマのボタンを三つしか止めていなかったということ。霧ヶ峰のパジャマには、全部で六つのボタンがあった。その内、一番上の一つと、一番下の二つのものが止められていなかった。霧ヶ峰が仰向けになった瞬間、腹が剥き出しになっていた。
ぼくは、何故かそこに目が行く。
適度に脂肪がのった柔らかそうな腹。そして、その中心にアクセントとして存在するヘソ。
そこに目を奪われた。
「霧ヶ峰さん、お腹が出てるよ?」
「太ってません!」
「いや、そうじゃなくて、服からお腹が出てるってこと」
「ああ、そうでしたか。失礼しました。まぁ、お腹なので気にしないでください」
「気にしないでって言われても……」
「え? いや、でもお腹ですよ? 別にみられて困る場所でもないはずですし」
「本当かな?」
「……あれ? この流れってもしかして――」
「ぼくは、霧ヶ峰さんの腹を見て本当に一切の劣情を抱かなかったというのだろうか。それを考えてみたい」
「いえ、結構です」
「さぁ、論証を始めよう」
「また始まった!?」
「まず、男性が女性の身体を見た時に劣情を抱く条件に付いて考えてみよう。一般的に劣情の対象として扱われるのは、女性の胸と尻だ。では、何故その二つに対して男性はエロスを感じるのか。それを考えるべきだ」
「……どうぞ、好きにしてください」
「その答えを得るためには、胸と尻に対してエロスを感じない状況を考え、それと通常の場合を比較すればいい。例えば、アフリカあたりのどこかの部族は、女性も上半身裸で生活している。だが、その部族の男性はそれを見て劣情を抱いてはいないだろう。それは何故か。日本と何が違うのか。霧ヶ峰さんは何だと思う?」
「それは文化の違いとしか」
「その通りだ。つまり、性的対象として見るかどうかは、文化によって異なる。そして、それを測る指標として、普段、服で隠しているかどうかというものが考えられる。胸と尻は水着を着ていても隠される部分であり、日本の文化で考えて性的な目で見られる部分と考えられるだろう。では、腹はどうか。ビキニタイプの服を着ていれば当然晒される部位だ。へそ出しのファッションと言うのもある程度市民権を得ていると考えていいだろう。ゆえに、腹と臍はエロスの対象ではない」
「ですよね!」
「だがしかし!」
「まだ続くんですか!?」
「本音を言えば、ぼくは先ほど迷いを感じていた。霧ヶ峰さんの腹を見ながら、これは『見てはいけないもの』なのではないかと考えていた。よくよく考えてみれば、腹は普段から割と隠されている部位なわけだから、エロスの対象となる余地がある。そして、霧ヶ峰さんは腹を見られたことを恥じらった。それは、霧ヶ峰さん自身が自らの腹をエロスの対象となり得ると判断しているからに他ならない。その感性は、霧ヶ峰さん特有のものではなく、日本女性に普遍的なるものなのではないだろうか。だとすると、大ぴらに曝け出されている者を除き、腹も胸や尻と同様にエロスの対象になり得ると考えるべきだ。そして、霧ヶ峰さんは普段から腹を大っぴらに出している人ではない。ゆえに、文化人類学的に考えて、霧ヶ峰さんの腹と臍はエロい! これが結論だ!」
ぼくはようやく自らの論証に満足できた。
特に矛盾はないはず。
後は、霧ヶ峰さんがこれを認めるかどうか。すなわち、彼女が自らの腹をエロいと認めるか否かである。
ぼくは彼女の言葉を待った。
だが、その時――。
ピンポーン、というチャイムの音が部屋に響く。
先ほどまで存在した、言いようのない空気が霧散する。
二人の間には、気まずい雰囲気が残っていた。なんだこれ。
「も、もしかしたら、高橋さんかもしれません」
「高橋さん?」
「さっき私が連絡した人です」
「とりあえず、僕が出てみるよ」
玄関に行き、ドアを開ける。そこには以前見たパンツスーツ姿の女性が立っていた。髪はきっちりと後ろでまとめ、いかにも真面目な社会人といった雰囲気だ。
「霧ヶ峰はこちらにいるでしょうか?」
「はい」
振り返ると、霧ヶ峰さんが玄関まで来ていた。
それを見たスーツの女性は、ポケットから鍵を取り出した。その鍵には、アニメのキャラクターを模したキーホルダーがついていた。女性は、とげのある声で告げる。
「霧ヶ峰さん。一階の入り口のところに、この鍵が落ちていました。探し物は、これではないですか?」
「あ……」
「今回、これだけのために私ともう一人のスタッフが、片道二時間かけてここに来ました。もう少し気を付けるようにしてください」
「……ごめんなさい」
謝罪する霧ヶ峰さんの手に、女性は鍵を握らせる。
「では、確かにお渡ししました」
「はい、すみません……」
「それに、その恰好は何なのですか? あまりにラフと言うか……、それ、パジャマですか?」
「あの、上にコートを着ていて」
「だから許されると?」
「……ごめんなさい」
消え入るような声で、霧ヶ峰さんは返事をした。
それを聞いたのち、女性はぼくのほうを向き、頭を下げる。
「白雪さん、この度は、霧ヶ峰を保護していただきありがとうございます。今後は、このようなことがないようにいたしますので、どうかご容赦ください。本当に、ご迷惑をおかけしました」
「あ、いえ、別に迷惑じゃないですし」
最初はどうなることかと思ったけど、意外に楽しかった。少なくとも、ゲームの対戦はまた後でお願いしたいところだ。しばらく特訓をした後での話になるだろうけど。
「そういっていただけると助かります。これからも、出来れば霧ヶ峰をお願いいたします」
「は、はい」
その奇麗な一礼には、威圧感があった。
この人、何者なんだろうか。
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