第4話 空白補完効果と生足の関係 2/4
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さて、トイレを貸すこと自体はやぶさかではない。
というか、何の問題もない。
「それは構いませんが、コートは脱いでもらえます?」
「え……、あ、そうですよね」
霧ヶ峰さんは固まってしまった。
男のいる家で、コート一枚であっても脱いでしまうのはためらわれるのだろうか。
だが、コートが最も濡れている以上、着たまま家の中に上がらせるというわけにもいかない。
「あの、白雪さん。実は、このコートの下はあまりお見せ出来ないような状態になっていまして」
「お見せ出来ないような状態?」
「なので、お見苦しいでしょうが、お許しください」
そう言って、霧ヶ峰さんは恥ずかしそうにコートを脱いだ。
脱いだコートは、部屋の中を濡らさないように玄関の端においてくれた。
コートに下に着ていたのは――薄手の桃色のパジャマだった。
上半身だけパジャマで、それをコートで隠していたようだ。
これが『お見せ出来ないような状態』?
なんというか――。
「正直、がっかりです」
「え? あ、すみません」
霧ヶ峰さんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
だが、これは誤解というものだ。発言の真意ははっきりとさせる必要がある。
「誤解をしないでください。ぼくは、霧ヶ峰さんがお嬢様にあるまじき過激な服でも着ているのかとわずかに期待してしまっていただけです。だけど、実際に着ていたのはただのパジャマとか、普通過ぎて何の面白みもないと思っただけです」
「はぁ……」
まぁ、世間的には、あまり褒められたことではないのだろう。
霧ヶ峰さんもそれが分かっているのか、コートからパジャマがはみ出ないよう、パジャマの裾の部分をズボンの中に入れていた。見てくれはよくないが、コートで隠れていれば問題ないという判断なのだろう。
それに気づいたのか、霧ヶ峰さんはパジャマの裾部分をズボンの中から出した。
それがファッションとして正しいかどうかは分からない。
だが、その行為によって一つの問題が生じていた。
その裾部分が、彼女のショートパンツを完全に覆い隠していたのだ。
つまりは、パジャマから直接生足が飛び出ている状態。
ぼくは思わずそこに気を取られてしまった。
「え、あの、なんですか?」
「いや、その恰好、下半身が何も穿いていないように見えるなって思っただけです」
「え……」
霧ヶ峰さんは、警戒したかのように一歩後ろに下がる。
うん、失言だったね、これ。
異常者だと思われても仕方がない発言だ。
でも、ぼくは異常者でも何でもない。ごく普通の善良な市民だ。
霧ヶ峰さんが下半身に何もつけていないように見えるのも、脳が勝手に補完してしまっただけ。
なにも、異常なことではない。
今後のことを考えると、それを説明しておく必要があるだろう。
さぁ、論証を始めよう。
「霧ヶ峰さん、誤解しているかもしれないから、一応説明させてください」
「え、あの……」
「『空白補完効果』というものを聞いたことがありませんか?」
「あるような、ないような……」
「人の脳は隠された部分を勝手に補完してしまうというものです。空間補完効果というものもあるようですが、ほとんど同じものだと思います。今回、霧ヶ峰さんのズボンはパジャマで隠されてしまいました。だから、脳がその部分について勝手に補完をしてしまったのです。霧ヶ峰さんが下に何も着ていないように思えてしまうのは仕方のないこと、むしろ当然のことなんです」
「わ、わかりまし――」
「確かに、ぼくは先ほど、霧ヶ峰さんがショートパンツを穿いているのは見ています。それにもかかわらず、下半身に何も穿いていないかのように思えてしまうのは、ぼくがおかしいと思うかもしれません。念のため、それについて考えてみましょう」
「自分で自分に反論した!? いえ、それよりもですね――」
霧ヶ峰さんお言葉を無視して、ぼくは一考する。
結論はすぐに出た。
「仮に霧ヶ峰さんがハーフパンツを穿いていたら、あのパジャマの裾の下からハーフパンツがはみ出て見えていたでしょう。その状態では、おそらく下にハーフパンツを穿いていると認識できるはずです。つまり、パジャマの裾で隠された部分を補完するにあたり、ぼくの脳は保管の判断材料として、裾から飛び出ている足の部分を使っているのだと思います。ハーフパンツが飛び出していたら、ハーフパンツを穿いている。肌色の足が露出していたら、肌色のもの――つまりは、何も上に来ていない状態の肌がそこにはあると判断してしまったのです」
即興の仮説だ。
これに納得するためには、もう少し議論をすることが必要だろう。
だが、霧ヶ峰さんはこの説に賛同してくれるはずだ。
なぜなら――。
「もうそれでいいんで、あの、あの、中に入ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
霧ヶ峰さんは急いで靴を脱いで廊下を歩く。
つまり、彼女にはタイムリミットが近づいていたのだ。
「トイレをお借りしても?」
部屋の構造は隣と同じだから、場所は分かるのだろう。
だが、霧ヶ峰さんは律儀に部屋への入場とは別に、トイレの使用についての許可を求めてきた。
ぼくが「どうぞ」というと、霧ヶ峰さんはやや急いだ動きでトイレのドアに手をかけた。
そして、そそくさと中へと入っていった。
その動きに、極限状態における乙女の矜持を感じた。
「さてと……」
ぼくは霧ヶ峰さんが通ったルートを見る。
コートは脱いだものの、やはり雨に濡れていたため足跡が残っている。
とりあえず、霧ヶ峰さんのためにタオルを用意することにしよう。
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