第12話 儀式と愛
お使いを終えて部室に戻ると、甘ったるい匂いが鼻をついた。
「何の匂いですか?」
「アロマオイルよ。アロマには心の
「はい。一応……でも、本当にこれで良かったんですか?」
部長は僕が差し出した買い物袋と紙製キャリーボックスを受け取ると、中身を
しばらくして部長がキャリーボックスを閉じた。そして、人差し指と親指で丸を作って僕に見せる。
「バッチリ。完璧よ」
「よかった……」
僕は
それと同時に、「どうしてコレが必要なんだ?」と疑問が
部長は買い物袋とキャリーボックスを手近な棚の上に置くと、買い物袋から天然水のペットボトルを取り出した。取り出されたそれは、何故か袋の中でラベルが剥がされていた。
部長はペットボトルの封を開け、中身を備品の電気ケトルに注ぐ。
「これで準備完了ね。歩夢くんも座ってちょうだい。儀式を始めましょう」
中央のテーブルでは既に樋口先輩と庄司さんが待っていた。二人はなにか世間話をしていたようで、庄司さんの顔色は明るい。
「南田くんの席はここよ」
指定された僕の席はさっきと同じ席だった。しかし、樋口先輩の席がさっきと違う。さっきは僕の隣に樋口先輩が座っていたが、今は正面の席に座っている。庄司さんの位置は変わっていないので先輩同士で席を交換したのだろう。
腰を下ろす前に、僕はいつもと少し様子の違う部室を軽く見回す。
中央のテーブルには花柄のテーブルクロスが掛けられ、その四隅にはアロマポットが置かれている。カーテンは閉め切られ、部室の壁には宗教画のような不思議な絵の描かれたポスターが何枚も貼られている。それと、どこからか持ってきたのか、動物のぬいぐるみやおもちゃの人形が所狭しと飾られている。並べられたぬいぐるみや人形たちに統一性はなく、サイズは拳ほどの大きさから抱きつける大きさまで、モチーフはアニメのキャラクターからリアルな動物まであり、必要だからとりあえずかき集めてみましたといった様相だ。
これも全て僕がおつかいに言っている間に三人で準備したのだろう。家具の配置は以前と変わっていないものの、そこには日常と
僕が腰を下ろすと、部長は電気ケトルのスイッチを入れてからこちらへやって来た。そして、僕の隣に腰を下ろす。テーブルに四人が揃った。
口火を切ったのは部長だ。
「庄司さん」
「……はいっ」
いきなり呼びかけられ、庄司さんの肩が跳ね上がる。返答の声から彼女の緊張が感じ取れた。僕もつられて身体に力が入る。ついに儀式が始まるようだ。
部長は肘をテーブルに乗せて前のめりになると、優しげな声音で庄司さんに訊ねる。
「SVH部のことは、誰かから紹介されたのかしら?」
「えっと……一個上の従姉妹から聞いて……」
庄司さんは視線を逸らしながらおずおずと答えた。
「ということは、私がどういう人間なのかを知って、ここにいるのよね?」
「……」
少しの沈黙の後、庄司さんは神妙な顔で頷く。
神永杏珠は新興宗教の教祖である。彼女に頼るということは、新興宗教と関わりを持つということであり、それは現代日本において特別な意味を持つ。
つい先日もカルト教団に選挙援助を受けていたことが発覚した国会議員が辞職したばかりだ。もう知らなかったでは済まない。逃げられない。
しかし逆に言えば、庄司さんの覚悟がそれだけのものだという証拠でもある。
庄司さんが生唾を飲んだのがわかった。
すると、部長は唇をぺろりと舐めてから、ゆっくりと口を開いた。
「了解よ。……庄司さん。お湯が沸いたら儀式を始めるから、それまで私の話を聞いてもらっても良いかしら?」
「えっ? あ、はい」
庄司さんは目を丸くしている。そして、恐らく僕も彼女と同じ顔をしているだろう。てっきり儀式が始まっていると思っていた。
「大丈夫。杏珠に任せてれば心配いらないから」
何か言いたげな庄司さんに樋口先輩がすかさずフォローを入れ、先輩に
「えっと、始めていいかしら?」
庄司さんが頷き、それを受けて部長は語り始める。
「そう身構えるほどの話でもないから、気楽に聞いてちょうだい。あくまで湯が沸くまでの前説みたいなものだから。……知っての通り、私って新興宗教の教祖なんだけど、でもだからといって他の宗教を否定しているわけではないのよ。むしろ、根がわりと宗教オタクみたいなところあって、一つの事柄でも宗教ごとに解釈が違ったりすると、面白いって思っちゃうの」
今更気付く。そういえば、今日の部長は説明会の時の作ったキャラではなく、素の彼女だ。どういった基準で使い分けているのかは分からないが、部活外の人間と接する時に毎回アレになるというわけではないようだ。
「宗教ごとに解釈が違うものといえば、そうね。……例えば『愛』があるわね」
部長が「愛」という単語を口にした瞬間、庄司さんがわかりやすく反応した。肩が跳ね上がり、口からは「んっ」と声が漏れた。顔を見ると、目が少し泳いでいる。
「『愛』という単語を聞いて、真っ先に連想するのはやっぱりキリスト教の『
とはいえ、『隣人愛』と『LOVE』は別物だし、
……それで言えば、仏教の捉え方は極端よね。『愛』は全て
「……じゃあ、神永先輩は『愛』って何だと思います?」
部長のうんちくを遮り、庄司さんが口をとがらせ問いかける。その行動に部長は一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐに元の余裕たっぷりな顔に戻った。
「私がどう思うかっていうのは、教祖としての立場も抜きでってこと?」
「はい。そうです」
「わかったわ。そうねぇ……」
僕は当然、彼女の「そうねぇ」の後にはすぐに何か言葉が続くものだと思っていた。
しかし、僕の予想に反して部長はここで石のように黙り込んだ。わからないものは素直に「わからない」と言ってのける先輩なので、「愛」についても何かしらの持論はあるのだと思う。だが、彼女は黙り込んだ。口許に拳を当てて思案している様子だ。
恐らく頭の中にある持論の言語化に時間が掛かっているのだろう。僕は予想する。
その間、部室が沈黙に包まれる。
部長が次に口を開くとき、いったい彼女は「愛」についてどんな持論を披露するのか。僕だけではない、庄司さんも樋口先輩も固唾を飲んでそれを待っていた。
数分後。ついに、部長は口を開いた。
「私が思うに、『愛』っていうのはね……」
その時、部長の背後から「ゴッゴッゴ」とけたたましい音が聞こえてきた。その音は次第に大きくなり、一度だけ小気味よく「ポンッ」と鳴ると、今度は蒸気の抜ける「シュー」という音に変わった。音の主は電気ケトルだった。
「お湯が沸いたわ。儀式を始めましょう」
ケロリとした顔でそう言ってのける。
まさに見計らったかのようなタイミングだ。計算していたとも思えないのできっと偶然だろうが、彼女が教祖であることを考えるとそれも必然に思えてくる。
部長の「愛」論も個人的には気になったが、あくまでこれは脇道。本筋はこれから始まる儀式である。僕は聞きたい気持ちをグッと我慢する。
しかし、質問をはぐらかされた庄司さんだけは、不満そうに頬を膨らませていた。
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