スーパー・ベリーベリー・ハッピー ~語りたがりの教祖サマ~

シャクジュンジ

第1話 遭遇

 視線の先にはがあった。

 桜の花びらが落下を始めた4月の上旬。休み時間に廊下を歩いていると、まるで思春期男子の妄想もうそうの様な光景が唐突に目の前に現れた。

 僕の前方二メートル。歩いている女生徒のスカートがまくれていたのだ。

 いわゆるパンチらというものだ。恐らく、トイレから出てきたときにスカートの裾をウエスト部分に巻き込んで出てきてしまったのだろう。

 女生徒のスカートは後ろだけが豪快ごうかいにまくれ上がり、中の白いパンツが完全に露出ろしゅつしてしまっていた。これではもはや、パンチラではなくパンモロだ。

 しかし、当の女生徒はというと、その事にまったく気付いていない様子だ。あまりにも堂々としているものだから、一瞬わざとやっているのかと思ったが、常識で考えてそんなわけあるまい。もし本当にそうなら痴女ちじょである。

 健全な男子である僕は、彼女の臀部でんぶに思わず視線を奪われてしまったものの、すぐに頭を振って思考を切り替える。

 さて、どうしたものか?

 僕は、何食わぬ顔で辺りをそっと伺う。

 ここは学校の廊下である。授業の間の短い休み時間とはいえ、トイレへ向かう生徒や、移動教室の生徒は廊下に出てきている。

 しかし、幸か不幸か、今現在、廊下にいる生徒の中で彼女のパンモロに気付いている人物は僕以外にいないようだ。

 となると、この場で僕が取れるアクションは二つである。

 本人に指摘するか、それとも指摘しないか。

 ……考えるまでもない。僕が取るべき正解の行動は、彼女にきちんと指摘することだろう。そうでないと彼女が大恥をかく。

 しかし、そう考えた僕が実際に取った行動はパンモロを指摘してあげることではなかった。ましてや本人に自発的に気付かせることでもなかった。

 僕が実際に取った行動はというと、何もしないことだった。

 パンモロを指摘してあげるべき。そんなこと頭ではわかっている。わかっているのだが、しかし相手は初対面の異性である。上履きの色から僕と同じ一年生であることはわかるが、逆に言えばわかるのはそれだけだ。

 僕は彼女を知らないし、彼女も僕を知らない。

 女性にパンツが見えていると指摘するのは非常にセンシティブな問題である。それが男からとなればなおのことだ。

 声をかけていいものなのだろうか? セクハラになったりしないだろうか? 知らない男から指摘されてなおさら恥ずかしい思いをするのではないか?

 そういった疑念が湧いてくるのも当然だろう。

 今は僕しか気付いていないが、いずれ周りの人間、もしくは自分で気付くだろう。むしろ、これだけ大胆に出ているのだからそうなるのも自然に思える。

 一見、それは最悪のシナリオのようにも思えるが、一概いちがいに悪いこととも言えない。

 本人が最初に気付いて直すならそれが一番ダメージは少ないし、そうでなくても、せめて同性が指摘すれば僕が指摘するよりもいくらか彼女の羞恥心しゅうちしんも軽減されるだろうと思う。

 そう考えた僕が取った行動は、目を逸らして気付いていない風を装うことだった。

 現状維持。他人任せ。なるようになる。ケセラセラ。とにかく、自分からは何もしないことを選択したのだ。一応、僕の名誉のために断っておくが、これは彼女のパンツを堪能したいというよこしまな動機による行動ではない。他によりよい解決策が存在するのだからそれに期待しようというとても前向きな行動である。

 それに、これだけ大胆に見えているとパンチラのありがたみも少ない。むしろ、そんな誤解をされることは心外なくらいだ。

 そういえば、近年は男性が被害者になるセクハラ事例も存在すると聞いたことがある。今の僕はもしかしたら、被害者なのではなかろうか。

 などと心の中で自己弁護をしていると、唐突に僕の背後から別の女生徒がツカツカと早足でやってきて、僕を追い抜いた。そして、パンモロ女生徒に追いつくと、背後から小声で耳打ちする。

「あなた、パンツ見えてる」

 直球である。声をかけられて振り向いた女生徒は、慌てて両手を尻に当てた。そして、そこに本来あるべき布の存在がないことを確認し、顔を赤らめる。

 女生徒に声をかけたこの人物は、どうやら先輩のようだ。彼女の上履きの色は二年生を意味する赤色だった。

「大丈夫だから、そのまま手で隠してなさい」

 そう言うと、先輩は真っ赤な顔でテンパる女生徒をなだめながら、手際よく彼女のスカートを直す。そして、直し終わると「気をつけなさいよ」と言って女生徒を送り出した。

 結果、僕が話しかけるよりも平穏にこの事件は解決した。

 その一連の流れを、僕は見ていることしか出来なかった。どうしてあんなにあっさりと正しいことを実行できるのだろうか。僕には先輩が輝いて見えた。

 すると、先輩は唐突に振り返った。後ろにいた僕と目が合う。

 まさか目が合うとは思わなかったのだろう。その先輩は一瞬だけ驚いた顔を浮かべた後、すぐに表情を戻し、つかつかと僕の方へ寄ってくる。

 そして目の前までやってきて言った。

「君さぁ、気付いてたでしょ」

「えっと……」

 責めるような視線をまっすぐに向けられ、僕は目が泳ぐ。

「気付いてたならさ、声かけてあげなよ。酷いじゃない」

「いや……でも、僕は男ですし……」

 先輩の視線を受けると、さっきまでの自己弁護の言葉は完全に霧散してしまった。

「男だからスケベ心が働いたと?」

「いえ、違います。……男に指摘されたら余計に恥ずかしいんじゃないかって……」

 言葉の最後にいくにつれて、僕の声は弱々しくなる。自信のなさの表れだった。

「あのさぁ、それは言い訳だよ。そんなの関係ないって」

 先輩はわざとらしくため息をついてから続ける。

「気付いたのなら言ってあげなくちゃ。そうでしょ。だって、もし私がここを通りかからなきゃ、彼女はもっと恥ずかしい思いをすることになってたんだよ。そんなのかわいそうじゃん」

「…………」

 言い返す言葉が見つからない。まったくもってその通りである。幼稚園児ようちえんじでもわかる簡単な理屈だ。だが、声をかけた方が良いとわかっていても、現実の僕は何も出来なかった。僕はただ彼女のパンツを視姦しかんしていただけだ。

 ただただ惨めだった。僕は自分の不甲斐ふがいなさをかみしめる。

「どうしたの? こぶしなんか握って。何か文句でもあるの?」

 無意識に拳を握っていたようだ。あわてて拳をほどく。

「いいえ。先輩のいう通りです……」

「やけに素直だね」

 少しふてくされて答えると、先輩は意外そうな顔を浮かべた。

「……言い返せるようなことがありませんから」

「ふーん、そう」

 先輩は興味がなくなったのか、それだけ言うと去っていった。

 僕はそれをただ立ち尽くして見送る。

 しばらく見ていると、先輩は途中まで歩いた後、なぜか唐突に立ち止まった。そしてきびすを返し、まっすぐ僕の元まで戻ってきた。

 そして両目でまっすぐ僕を捉えて言う。

いわく、あやまちてあらためざる、これあやまちとう」

「……?」

 僕の頭の中で疑問符が踊る。戻ってきたと思ったら、この人はいったい何を言っているんだ。

 すると、僕の困惑を感じ取ったのか、先輩は解説してくれた。

「孔子の言葉よ。要するに、人間だれでも過ちを犯すことはあるんだから、もし過ちを犯しても反省して正せばいい。それは決して過ちではない。反対に、自分の過ちを認めないこと。これこそが本当の過ちだって意味……らしいわよ」

「はぁ……そうですか……」

 意味を聞いてもよくわからない。一応、フォローされたのだろうか?

 すると、先輩はスカートのポケットから四つ折りになったビラを取り出して、僕に差し出してくる。

「後輩くん、もし自分を変えたいと思っているならさ、ここに来ない?」

 手渡されたそれを受け取り、広げて目を落とす。そこにはこう書いてあった。


【新入生対象SVH部説明会】

 幸せを研究する部活「SVH部」に入部して一緒に幸せを追い求めませんか? 

 4月9日(火)16時半より、2年3組の教室にて、説明会を行ないます。

 興味のある方は是非ぜひご友人も誘ってお越しください。

 申込不要。参加無料。説明会に参加された方全員にお土産を用意しています。


「新入生対象……エス、ブイ、エイチ部? 説明会?」

 手渡されたビラに印刷された文字をそのまま声に出す。読み方は合っているか自信なかったが、指摘されなかったので多分正解だろう。

「そう。今日やるから来てよ」

「そんな急に……」

「もしかして予定あった?」

「いや、ないですけど……」

「じゃあいいじゃない。どうしても嫌なら無理にとは言わないけど、説明を聞くだけだし騙されたと思って試しに来なよ。どうせまだ部活決めてないんでしょ。そんな顔してる」

 そんな顔とはどんな顔かとツッコみたかったが、それを飲み込む。

 確かに部活はまだ決めていなかった。入りたい部活もないし、入部するしないは別として、説明を聞くだけなら構わないだろう。これも何かの縁だし、前向きに検討しても良いかもしれない。

 しかし、そうなると一つ大きな疑問があった。

「えっと……そもそもSVH部って何ですか?」

「それは来てのお楽しみ。ちなみに、後輩くんの顔は覚えたから。もし来なかったらどうなるかな? スケベ野郎だって学校中に言いふらしちゃうかもね」

 先輩はペロリといたずらっぽく舌を出す。

 どうやら、僕に与えられた選択肢は始めから一つだったようだ。

「……わかりました」

「よろしい。楽しみにしてるわよ」

 差し出されたしわくちゃのビラを僕がポケットにしまうと、今度こそ先輩は去っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る