第51話

「えっ、なに? チョコ?」


「あー、……うん……。まあ、一応……」


去年チョコを渡した時は感じなかった、照れくささと受験生である背徳感にどきどきしていると、目の前で梶原が大きく目を見開いて、それから包みを受け取ると、中身も見ずに、にこお、と破願した。


(えっ? 中身見ないでそんな風に笑う? あっ、もしや去年の実績があるから、クロピーだという確信を持ってるのか?)


などと鳴海が梶原の破願の理由に混乱する。


「……なんでそんなに嬉しそうなの……」


ぽつりと鳴海が弱々しく呟けば、当たり前だろ、と梶原が受け止める。


「彼女からのバレンタイン嬉しくないやつがいるのかよ」


梶原の口から聞く『彼女』の言葉に心を痺れさせながらも、頭は冷静に状況を把握する。


でもそれは契約上のことで、本当は由佳が好きなんでしょ、あんた。


……とは、他の生徒がいる中では言えなかったけど、複雑な顔をした鳴海の気持ちは分かったらしい。梶原が照れくさそうにぽりぽりと鼻の頭を掻くと、これが一番うれしいよ、ともう一度言った。


「市原からのチョコだもんな。これが、一番。……あっ、でも市原はにデパートの高級チョコ買うんだっけな。そっちの方が気合が入ってるか」


ははは、と笑われて、ハッと思い出す。腐女子歴五年の鳴海ともあろうものが、ウイリアムとテリースの祭壇に献上するチョコを、今年は買わなかったのである。


(……っていうか、すっかり忘れてた……)


いくら受験勉強に疲れていたとはいえ、ウイリアムとテリースへの愛が目減りするとは思っていなかった!! ファン失格だよ、私!!


……という一連の脳内パニックに陥った鳴海を梶原はどう思ったのか、市原? と疑問顔しきりだ。


「……買ってないの……」


「は?」


……、買ってないの……。……買うの、忘れてた……」


衝撃の告白に、梶原も、えっ? と驚く。


「おいおい、どうしたんだよ、市原。去年あんだけ熱く語ってたお前がよ……」


風邪でも引いたんじゃねーの。熱でもある?


そう言って梶原が鳴海の額に手を触れた。途端にぶわーっと体中の血が顔に集まった感覚になり、一気に体温が上昇した。ぱっと梶原から離れて、額を隠す。


「風邪っていうか、疲れかもしんない! ずーっと勉強一色だったから!」


鳴海の行動に訝しげな視線を寄越しつつも、梶原は鳴海のことを心配してくれる。


「たまには息抜きした方が良いぞ。勉強できるやつって、やりだすと止まらねーの? 俺なんか休憩ばっかだぜ」


「そうだね! これからは気を付ける! じゃ、じゃあ、兎に角用事はすんだから……」


そう言って、梶原の前から逃げるように去る。兎に角恥ずかしさから前を見ずに廊下を走っていたら、ドン! と人にぶつかった。


「あっ、ごめんなさ……、って、なんだ、栗里くんか」


そこに居たのは栗里だった。栗里もまた、ロッカーに入っていたのか、沢山のラッピングされた紙袋を持っている。


「なんだはないでしょ、市原さん。凝りもせずに梶原にバレンタイン? それは自分の気持ちを認めての事? それともまだ演じてるだけなの?」


うぐ。痛いとこ突くなあ。どっちとも言えなくて鳴海が押し黙ると、ホントにさあ、と栗里は呆れたように続けた。


「君たちの関係がクリアに解ければ僕らみんな幸せになれるのに、なんで君たちはそんなに意固地なの」


栗里が言うみんなとは、梶原と鳴海、そして栗里と由佳のことだろう。梶原が恋した由佳と結ばれて、栗里はゲームの延長で鳴海を手に入れる。でも栗里は鳴海が腐女子だという事を知らないからそんなことが言えるのであって、鳴海が腐女子だと知ったら流石に引くと思う。それに鳴海は梶原が解消を言い出すまで、契約を続けたかった。それしか、鳴海に残された梶原とのつながりがないから。


「人の気持ちって、他の誰かが決められるものじゃないし、気持ちによる行動だって、人が決められるものじゃないよ……。私が梶原に最後の一歩を踏み出させることが出来ないみたいに、栗里くんだって私たちの事、どうこうすることは出来ないんじゃないかな……」


「そのいびつな関係を、このままずっと続けていくつもりなの?」


栗里は、在学中だけの擬態だという事を知らない。鳴海は、梶原次第だよ、と告げた。


「私には、どうにも出来ないの。梶原だけが、この関係の舵を切る権限を持ってるんだわ……」


契約でつながった鳴海とは卒業したら別れる。出来れば梶原には、由佳と結ばれて欲しかった。梶原が文化祭の時のような勇気をもう一度出してくれることを願うばかりだ。


窓の外を見る。桜咲く春にはまだ手が届かず、寒々しい桜の枝が北風に震えているだけだった。ぬるむ春に、梶原は桜を咲かせることが出来るのか。鳴海にはもはや祈って見守ることしか出来なかった。


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